goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

私たちの内部変化

2012年04月08日 | xx9 生きるという生き方

そもそも、ある人が生きているかどうかが私たちの内部に起こす変化とはどういうものなのか? その人が生きていれば、私たちはその人とこれからどういうふうに関わるのだろうか、と思います。その人がこれからすることは何だろうか、と思うこともできる。しかしその人がもう生きていない、となると、こういうことを思うことはありません。

拝読ブログ: 今週のお題「桜」そして 流れる時間とピアノ達~♪ - 八ヶ岳のピアノ調律師のつぶやき♪古宇田ピアノ調律♪

拝読ブログ:珊瑚が酸性の海に弱いのは本当か:科学ニュースの森

コメント

「生きる」という言葉

2012年04月07日 | xx9 生きるという生き方

Gather_ye_rosebuds_while_ye_may このように、ある人が生きているか生きていないか、ということはその人の身体が医学的生物学的に生きているかいないかという事実とは別に、私たちの内部にかなり重要な変化を起こしている、といえるでしょう。その、生きているかいないかが問題になっている対象が、仮に、人間ではなくて、たとえば魚だった場合、ふつう私たちの内部に違いは起こりません。それが野に咲くタンポポだった場合など私たちの内部に何かが起こるはずはありません。

生きているかいないかが問題になっている対象が人間である場合だけ、私たちの内部にはっきりとした変化が起こる。それが「生きる」という言葉の重要な特徴です。

拝読ブログ:2012/04/06(金)「一日一生」 | 筆記~書の虎の巻

拝読ブログ:桜のように生きたい。: 月の響きを聴きながら

コメント

生きていると思う

2012年04月06日 | xx9 生きるという生き方

もし私たちがA子を知っているとすると、A子が生きていると思う場合と、A子がもう死んでしまった、と思うのとでは、私たちの内部がかなり違ったものになっています。逆に言えば、A子が生きているということは、A子にとって重要なことであると同時に、A子の知り合いである私たちにとってもある程度重要なことでもある、といえます。

拝読ブログ:今日の出来事

拝読ブログ:やっと一週間 - Owlのブログ

コメント

書き手の内部を表現

2012年04月05日 | xx9 生きるという生き方

Gather_ye_rosebuds__ophelia これらの例のように、人間の生き方についての言語表現は、物質現象のような形式で言語表現されたとしても、物質現象そのものよりもむしろ、それを記述する書き手の内部を表現するものである、といえます。

拝読ブログ:モノイドから得られるモナドを特徴付けるには? (よくワカリマセン) - 檜山正幸のキマイラ飼育記

拝読ブログ:255の意味は? - web notebook 三ツ星カルテット

コメント

書き手の内部

2012年04月04日 | xx9 生きるという生き方

これに対して、たとえばA子が犬だったとした場合の文章を考えてみましょう。

「A子は五匹の子犬を育て上げた母犬だった」

同じような形をしているけれども、この文の語り手は、人間の母親像を描いた前の例文とは全然違う感情をもってこの文を書いたように読めます。この文を書いた人の内部がこの文に表れているでしょうか?そんな感じはしませんね・

もっと極端に非人間的な記事。

「クレーンAは五棟の高層ビルの建築に使われた」

こうなると、書き手の内部など全然関係ないという感じです。

拝読ブログ:書き手の部屋 ブラック★ロックシューター 第八話 「世界を超えて」 感想

拝読ブログ:自主学習能力を育てる指導 : 「読みあい」について - livedoor Blog(ブログ)

コメント