それで、そうでない生き方があるのか?そういう疑問が考えられるでしょう。しかし、生き方、という言葉で言ってしまった瞬間に、私たちは、仲間とともに客観的な世界を共有している、という暗黙の前提を認めてしまっています。
そうでなければ、生きるという言葉の意味が出てこない。現代人の私たちが語り合うときでも、人が生きる、というときの言葉の意味は、単に医学的生物学的な生死をいっているのではなくて、その人が何かをしている姿を仲間に見られている、認められている、という暗黙の想定があります。
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