goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

自己を含む現実世界

2012年04月23日 | xx9 生きるという生き方

John_william_waterhouse__the_charme 人類のこのような身体の構造は、たぶん、それが群棲哺乳類としての生活に有利であったために進化した仲間との運動共鳴機構を担う神経回路から作られている構造でしょう。言語機能を備える人類は、特に堅固な安定した客観的世界を共有することができるので、ここから自己を含む現実世界の存在感を維持することができます。

拝読ブログ:悪の組織の目標はなぜ「世界征服」なのか - わかりやすさを、コーディネート

拝読ブログ:ノマドな私の自己実現 - elm200 のノマドで行こう!

コメント

呪術的宗教的感覚

2012年04月22日 | xx9 生きるという生き方

あるいは実際は仲間から隔絶された孤独な人でも、人間の身体は、元来、トーテム、守護霊、祖先霊、神仏など呪術的宗教的感覚に包まれていて、あるいは現代人ならば、テレビ、新聞、雑誌、インターネット、携帯アプリ、など現代的擬似的な世界体験に取り囲まれていることで、自分の周りに広がっている客観的世界の安定感を感じ取ることができます。あるいはそう思いこむような身体構造になっている、といえます。

拝読ブログ:レディーメード Readymade - 葉悦の日誌

拝読ブログ:英語における「パンツ」の言い方一覧 - Commentarius Saevus

コメント

人は孤独になりきれない

2012年04月21日 | xx9 生きるという生き方

John_william_waterhouse__the_annunc こういうところから、宗教的感覚、たとえば「草葉の陰から見ている」とか「神がすべてをお見通しだ」とか、あるいはより日常感覚的な「離れていても心は通じる」とかいう感じ方が来ているといえます。これは(拙稿の見解では)宗教の教義とは関係なく人間特有の身体感覚を直感的に言い表した表現から来ています。

このような理由で、人は本当の意味で孤独にはなりきれない。孤独になれないような身体の構造になっている。どんな場面でも、人間にとっては、仲間、家族、あるいはだれか見てくれている人、そういう人々がいる世界が自分の周りにある、と思いこむようになっている、といえます。

拝読ブログ:佐藤泰志のこと。 - 日々の考え…あいおい文庫の場合。

拝読ブログ:「 塩 酸 珈 琲 」 満員電車に乗る中年の会社員は熟練の老兵を思わせる風格であった。

コメント

人間の構造

2012年04月20日 | xx9 生きるという生き方

つまり、人間はどんな状況に置かれていても、たとえ絶望的な孤独状態にあっても、あるいは明らかに目前に死が迫っていても、自分がこれからしようとしていること、あるいはいま思っていることが何らかの痕跡を残していつの日かそれがだれかの目に触れるはずだ、という思いを捨てることはできません。それは楽観的だとか、希望にしがみついているとか、いうことであるというよりも、人間の身体はそういう構造になっている、ということでしょう。

拝読ブログ:れんげの話ばたけ 小学生読書 人体のサバイバル3

拝読ブログ:Clan Devaloka 利き目

コメント (1)

痕跡も残らない生き方

2012年04月19日 | xx9 生きるという生き方

John_william_waterhouse__saint_eula 互の姿を注目し合う仲間がいて、互にこれからどう動くのかを注目し合っていて、仲間のその視線を意識しながら動く場合に、人は生きている、といえます。極端な例として、まったく人の目から隔絶された空間に生息する人がいたとして、その人がしたことが他の人々から見てまったく痕跡も残らないとしたら、その人は生きていたとはいえません。その状況を本人も理解していたとすれば、自分でも生きていると思えないはずです。ただし、ふつう本人はそういう絶望的な状況でも自分の置かれた状況を正しく理解できずに、自分が今生きていることで何らかの生きた痕跡が残り、いつかだれかがそれを見つけてくれるだろうと楽観的に想像するものですから、自分が生きていないと思う人は実際、現実の人間としてはいないでしょう。

拝読ブログ:m-fat (モファ) More Field Art Team ! : 市立埋蔵文化財センターから歩こう幸津川タイムトラベル15分コース

拝読ブログ:スーパーカブと原子力発電。 - マボロシプロダクト

コメント