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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

モニター上の自分の身体

2024年02月22日 | yyy94身体の存在論


テレビや動画に映る人の姿が、現代人にとっては、人間の典型でしょう。そのテレビセレブ、タレント、キャスターたちはモニター上の自分の身体に関心を集中して生きている。そのことを視聴者はよく知っています。







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モニター/ディスプレイ、その役割としての気づき、対話、再生


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~自分軸で考えよう~ Z世代・ジェンダーとからだの話 【国際女性デー関連イベント】



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自分の身体が置かれている

2024年02月21日 | yyy94身体の存在論


現代日本人は目の前の風景に自分の身体が置かれていることを痛いほど知っています。 







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「自分の人生を生きていないとき」人は病気になる


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毎月タトゥーを入れてます 体を“改造”し続ける女性が語った「理想のカラダ」



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背後に迫る虚無

2024年02月20日 | yyy94身体の存在論


襟裳岬の平凡な農村風景。背後に迫る虚無。それを見渡している作詞者の身体がはっきりと見えます。







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人生どこを目指していけばいいかわからなくなった。


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新装版 虚無への供物(下) (講談社文庫)



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襟裳の春

2024年02月19日 | yyy94身体の存在論


さて昭和日本の最盛期、森進一が「襟裳の春は何もない春です」と歌う「襟裳岬」(一九七四年 岡本おさみ作詞 吉田拓郎作曲)。西行が愛でる日本の春を逆説として、当時の人々の心底を語る春の歌になっています。







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襟裳岬〜“何もない春です”と歌われた名曲にまつわる“色々 ...


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襟裳の春



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夏目漱石「人生」

2024年02月18日 | yyy94身体の存在論


三陸のつなみ濃尾の地震之を称して天災といふ、天災とは人意のいかんともすべからざるもの、人間の行為は良心の制裁を受け、意思の主宰に従ふ、一挙一動皆責任あり、固り洪水飢饉と日を同じうして論ずべきにあらねど、良心は不断の主権者にあらず、四肢必ずしも吾意思の欲する所に従はず、一朝の変俄然として己霊の光輝を失して、奈落に陥落し、闇中に跳躍する事なきにあらず、このときにあたつて、わが身心には秩序なく、系統なく、思慮なく、分別なく、只一気の盲動するに任ずるのみ、若しつなみ地震を以て人意にあらずとせば、此盲動的動作亦必ず人意にあらじ、人を殺すものは死すとは天下の定法なり、されども自ら死を決して人を殺すものはすくなし、呼息せまり白刃閃く此刹那、既に身あるを知らず、いづくんぞ敵あるを知らんや、電光影裡に春風をきるものは、人意かはた天意か(一八九六年 夏目漱石「人生」)
ちなみに、句点なし読点のみの文。明治の文章家が苦心して試行錯誤したおかげで今日の日本語がある、と分かります。








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夏目漱石を苦しめた金銭問題、ロンドン留学の極貧生活と正岡子規からの問い



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