筆者はどうも存在という言葉が、あまり好きではありません。存在、なんて存在しないのじゃないか? 存在なんて、いい加減な、ぞんざいな言葉なのじゃないか、と思えてしまう。
「今朝は晴れていて気持ちがいい」と言いたいときに、「今朝が存在してかつ晴れが存在しているので気持ちの良さが存在する」と言い換えることはできますが、素直な言い方とは思えませんね。 あるいは、「今朝と共に晴れがあり、そして気持ちの良さがある」とも言い換えることもできそうですが、どうですか? つまらない言葉遊びのような気がしませんか?
存在という言葉は、いい加減で頼りないけれど、存在感という言葉は存在感がある。ふつうの人は、存在論などという言葉はあまり使わないけれど、直感で感じる存在感は頼りにしていて、それに導かれて毎日の行動をしている。
「彼女は存在感がある」というと、何を言いたいか、すぐ分かりますね。
つまり人間は、哲学理論以前に、直感で感じる存在感をもとに目の前の物質や人物が、今その場所に幻覚ではなく現実に存在し、自分や他人など人間の感覚に映り、自分や他人の運動作用にきちんと反応し、また干渉し、影響する、と思っている。
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