しかし、言葉をうまく使うことで物質ではないものが存在するかのように思えてしまうかどうかと、目の前の物質が存在するかどうかとは、レベルの違う話です。混同してはいけません。
脳内の存在感という感覚にしか根拠がない「存在」という概念を出発点にして、ものごとを哲学しようとしても、結局は挫折する。
そうだとすれば、「存在」という言葉は、物質世界で指差せるものだけに限定して使うべきでしょうか? 議論を分かりやすくするためにはそうかもしれませんね。まあしかし、いままで自由に使ってきた言葉を勝手に制限することなどできない。言葉使いに関して拙稿の方針は、むしろ自由主義、つまり、あいまいな言葉はあいまいなまま使う。「存在」に関しても、拙稿では、世間で使われているあいまいな言葉使いをそのまま使っていくことを原則にします。
さてその上で、拙稿では、物質も物質でないものも全部ひっくるめて、この世に存在などは存在しないのではないか、と疑ってみる。存在とは人間の脳が感じる錯覚の一種だ、と決め付けてみるわけです。少々過激ですが、この決め付けがうまく成功すれば議論はかなり単純化できるはずです。
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