脊椎動物が数億年かけて進化した結果、哺乳動物の脳は体外の物質現象や体内の神経活動に起因する神経信号を感知して、ものごとの存在感を感じ取れるようになった。人類を含む哺乳動物の脳においては(拙稿の推測では、たぶん大脳基底部で)ものごとを識別する神経活動が起こり、それらを存在するものごととして記憶できるようになる。人類の場合は、さらに仲間の人間が感じる存在感を互いに共感し、動作や発声や表情などの運動を共鳴できるようになった。人類は、だれもが同じように感じられるその存在感の錯覚を共有してうまく利用し、信頼感を持って安定してそれらを使いこなせるような言語体系を開発し、その上に能率のよい社会を作った。
人類の言語の原型が作られたのは十数万年以上前と推定される。言語は、存在感の共有を固定する働きを持っているため、人々の間で世界の物事は安定して存在できるようになった。その働きで、言語は人類の生存適性を飛躍的に高め、人類の棲息地は地球全体に拡大した。
そこまではうまくいったが、その後、言語による存在感の固定は破綻する。最近数千年くらい前から、文明が作られ、哲学や科学というものが作られて、存在感と言語体系の矛盾を見つけてしまったことによる。
自然が行き当たりばったりに進化した結果としてできあがった脳の仕組みは、どうしても全体としての整合に欠ける。数百万年かけて、原始人類の脳が進化して存在感覚を共有化する神経機構を獲得してくるとき、後の時代で人間が哲学や科学のような論理的なものを始めることは問題にされるはずがない。つまり、人間の脳は、まじめに哲学されると矛盾が見えてしまうように進化してしまった。特に、存在感という感覚がそれであり、それにもとづいて作られた言語体系がそれです。人間は物質世界に存在感を感じ取ってその共感を共有し、それの上に言語を作り、さらにその上に科学を作る。同時に人の心にも存在感を感じ取ってその共感を共有し、それの上に言語を作り、さらに心の理論を発展させる。科学と心は別々の理論を作っていき、統合することができません。哲学者や科学者たちは、その矛盾を心身二元論の神秘と感じてしまう。
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