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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

思想は言葉を安易に使いすぎ

2006年11月10日 | 1哲学はなぜ間違うのか

世界中の哲学や宗教、思想といわれるものは、どれも言葉を安易に使いすぎているのではないでしょうか。特に西洋哲学は、はじめから言葉を間違って使い始め、時代がたつにつれて、ますますこの間違いを徹底し、言葉をどこまでも信頼できるものとみなしてきました。この哲学にもとづいてヨーロッパの人たちは、言葉を徹底的に使いこなすことで精緻な倫理、法律、社会制度を作り、それを基礎にして力強い西洋文明を発展させ、欧米諸国を世界のリーダーに押し上げました。

西洋哲学は、人間の集団をそのように社会化し文明化し、世界全体を征服することで言葉の存在感を確立し、ますます言葉の限界を見えないようにしてしまったのです。

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答えは簡単

2006年11月09日 | 1哲学はなぜ間違うのか

答えは簡単です。

犯人は、言葉です。

言葉の使いすぎです。

人間は自分たちの言葉を、全面的に信頼して生きています。人間は言葉を使って文明社会を作り、言葉を使って哲学を語ってきました。しかし、実はだれもが知っているように、言葉は万能ではありません。言葉を使って理解できることには限界があります。言葉を使っては理解できないことまで言葉を使って理解しようとするところに、哲学の間違いが出てくるのです。あえて言えば、言葉の限界を超えて言葉を使おうとした人間の不遜で無謀な足掻きが哲学と呼ばれるものなのだ、と筆者は思います。

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なぜ哲学は負け組なのか

2006年11月08日 | 1哲学はなぜ間違うのか

Hatena4

さて科学対哲学。なぜ哲学は負け組なのか?

 

この疑問に対して煩悶すること数十年・・・。というほどではありませんが、この十年ちょっとくらいの間、筆者が自分なりに考え抜いてついに到達した答えを、さきに読者の皆さんに教えてしまいましょう。

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本気で答えてみよう

2006年11月07日 | 1哲学はなぜ間違うのか

確かに言葉使いが現代的な口語になっていて面白いのですが、結局、筆者のような頭が古い人間にとっては、毎日洪水のように湧いてくる新刊の書籍でも、インターネット中の文章でも、昔からの同じような話が言い伝えられたり言い換えられたり(それも薄められたり)しながら、繰り返し語られているだけのようにみえるのです。

それなら、頭と手が動くうちに、自身が長年不思議に思っていたこの疑問を、誰かが答えてくれると思わずに、自分で自分のために、本気で答えてみようと思ったのです。

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老人も毎日パソコンを覗いている

2006年11月06日 | 1哲学はなぜ間違うのか

筆者も還暦を迎え人生の残り時間が気になってきました。それだからでしょうか、老人らしい考えをするようになりました。たとえば、自分はこれ以上知識を集めてもたいして賢くなりはしない、と悟るようになりました。実際、この数年、インターネットが情報の源泉とか言われているらしいので、パソコンを覗き込んで毎日マウスをクリックしてみていますが、ほんとうに目新しいと思える話は見つかりません。

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