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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

足元で崩れていく哲学

2006年11月15日 | 1哲学はなぜ間違うのか

これと同様に、間違った西洋哲学は、古代から近代まで、西洋文明の繁栄に役立ったのです。今現在の時点で、哲学の間違いがはっきり分かろうと分かるまいと、これから百年か二百年くらいの間は現代文明の繁栄が続くでしょう。

西洋哲学は言語の客観的な存在感を確立しました。それを拡大することによって、まず宗教を発展させ、次に社会、経済を発展させ、同時に科学、技術を発展させる基礎的な手段を与えました。ところが、それらが十分に発展してしまった現代に至って、それらの生みの親である哲学は急にかつての輝きを失ってきました。

十六世紀、世界制覇の情熱に駆り立てられて発展した航海術のために天体観測の技術が洗練され、その観測事実によって天動説がほころびはじめたように、今日、経済に駆り立てられた科学技術の発展の前に旧来の哲学はほころんできています。ただ、人々の生活は、まだまだ変わらないでしょう。過去の哲学の上に発展した西洋文明に取って代わる新しいものは百年の単位では現れそうにないからです。

しかし、ほころびた哲学しか持てない現代人は、文明生活を楽しみながらも、なかなか満足した人生を終えられない。だれもが他の人間との相互理解に自信を失い、自身の存在感をもてあまし、よって立つ足元のモラルを失い、自己中心的なニヒリズムに陥っていくように見えます。このほころびは、文明の足元がぐらついているかどうか、という出発点からの間違いで始まるのですから、つくろいようがありません。当分現代人は、自分の足元で崩れていく哲学が見えても見ないようにして生きていくしかないでしょう。

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地動説などあってもなくても

2006年11月14日 | 1哲学はなぜ間違うのか

Hatena5

地動説を知らなかったからといって、十六世紀以前の人々の精神生活が、地動説が普及した後の十七世紀以降の人々のそれに比べて惨めだったかというと、そうでもなかったようです。当時の文学、絵画などを見ても、(すくなくとも上流階級の人々に限れば)むしろ私たち現代人よりも豊かな精神生活を営んでいた様子が想像できます。

地動説などあってもなくても、太陽は毎朝東から昇って西に沈み、夕焼けは美しかったのです。地動説など知らなくても昔の人々は直感で分かりやすい天地観や天動説のもとで、古代から中世まで十分豊かな文学、芸術や技術を作り出し、それにもとづいてかなり文明的な社会生活を発展させていました。

地動説が出てきて直接恩恵を受けたのは、天文学くらいのものでした。天動説では天空を不規則に惑いながらさ迷い歩く惑星が、地動説によれば太陽を焦点としてすっきりと美しい楕円運動をするようになったのです(さらに後年、アイザック・ニュートン{一六四二―一七二七}の力学によって地動説の理論的な美しさは完璧になりました)。地動説の美しさに感銘を受けた当時の自然研究家は、望遠鏡など観測装置を発明して自然を精密に観測し始め、観測事実に基づいて自然法則を次々と発見し、占星術と別れて近代的な天文学と物理学を作り出しました。最初は天動説の予測よりも悪い精度でしか天体の運動を予測できなかった地動説も、ガリレオ・ガリレイ一五六四―一六四二)やヨハネス・ケプラー(一五七一―一六三〇)の研究により、ついには精密な軌道計算式を確立して、航海術を飛躍的に発展させました。

ビートルズのヒット曲『フールオンザヒル(一九六七年)』に歌われたように、自然研究家は、夕日を眺めて、地球の自転を体感したのかもしれません。自分の目の前に見える直感で感じる世界よりもずっと大きな宇宙があって、それ全体に通じる法則で目の前の光景を見直すとすべてが単純明快に理解できる。十七世紀の自然研究家は、そう思ったのです。ここから近代的な科学の芽が生まれてきました。精密な物理学や化学が作られ、科学は大きく育ち、それが応用されて産業革命が起こり、近代の西洋文明ができあがりました。その結果、世界中の人々の生活が変化してきたのです。日本人の筆者が、毎朝おいしいコーヒーを飲めるのもそのおかげです。

しかし結局、地動説の影響が人々の生活を根本的に変えるまでには二百年以上もかかりました。数十年の単位では、地動説は大多数の人々の生活には、たいした影響を与えなかったのです。

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天動説のころ

2006年11月13日 | 1哲学はなぜ間違うのか

似たような話を歴史の中に見つけることができます。

かつては、間違った天地観あるいは天動説を人類全員が信じていました。

天動説というのは、別名、地球中心世界観といって、地球は不動で太陽や星が天空を回っているという考えです。「世界は天と地からなり、太陽が東からのぼり西に沈む」という素朴な天地観をすこし数学的に発展させた考え方です。地動説(一五四三年 ニコラウス・コペルニクス 『天球の回転について』)が唱えられるまで、この天地観と天動説が世界中の常識でした。

地面が動いているわけはない。これは直感で分かりやすい。誰もその間違いを疑わなかったのです。

この天動説、つまり地球中心世界観は、間違ったまま人々に浸透しました。地面を不動のものとして太陽や星の動きが観測され、ユークリッド(BC三二五年頃―BC二六五年ごろ)が集大成した幾何学を使って精密に記述され、宇宙の中心に不動な地球がある、という当時の天文学が作られたのです。天動説の精密な理論化による当時の天文学は、まず占星術に使われましたが、かなり正確に太陽や星の動きを予測計算できました。それを使って正確な暦が作られました。実用上、農業に不可欠な知識でした。また精密な時計を発達させ文明社会の発展に大いに役立ちました。

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ふところが豊かになると精神も豊かになる

2006年11月12日 | 1哲学はなぜ間違うのか

西洋哲学に支えられた現代文明は人類の生活を豊かにし、物質面ばかりでなく精神生活をも高めました。現代の科学と経済の繁栄だけを見ても、それは明らかです。科学と経済は互いに支えあって発展し、それらに支えられて自由な精神、思想、政治が表れてきたのです。つまり経済が発展することは、率直に言えば、ふところが豊かになることで人々の精神生活が豊かになるということです。

ただ、上へ上へと、ここまで高く伸びた現代文明の足元も、有史以前から変わらない原始的な言葉というものを土台にしているために、近代的な科学と経済が急に発展してくるとバランスが悪くなって、深い所からぐらついてくるのです。

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朝のコーヒーを一杯

2006年11月11日 | 1哲学はなぜ間違うのか

これは、立派な業績です。私たちの生活を豊かにし知識と教養を与えてくれた西洋文明を、筆者は心から尊敬し感謝しています。嫌いではなくて好きです。皮肉ではありません。筆者の朝食はトーストとコーヒーです。特に、朝のコーヒー一杯は、人生の至福ですね。そういう筆者が、西洋哲学はけしからん、と叱ってみたいとか、西洋文明は破滅する、とかいうような侮蔑の言葉を吐きたいと思うわけはありません。

ただ、このおいしいコーヒーを発明した西洋文明も、いまや、その土台になっている西洋哲学が衰退していくことで、ついに限界が見えてきたな、と思うだけです。

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