これと同様に、間違った西洋哲学は、古代から近代まで、西洋文明の繁栄に役立ったのです。今現在の時点で、哲学の間違いがはっきり分かろうと分かるまいと、これから百年か二百年くらいの間は現代文明の繁栄が続くでしょう。
西洋哲学は言語の客観的な存在感を確立しました。それを拡大することによって、まず宗教を発展させ、次に社会、経済を発展させ、同時に科学、技術を発展させる基礎的な手段を与えました。ところが、それらが十分に発展してしまった現代に至って、それらの生みの親である哲学は急にかつての輝きを失ってきました。
十六世紀、世界制覇の情熱に駆り立てられて発展した航海術のために天体観測の技術が洗練され、その観測事実によって天動説がほころびはじめたように、今日、経済に駆り立てられた科学技術の発展の前に旧来の哲学はほころんできています。ただ、人々の生活は、まだまだ変わらないでしょう。過去の哲学の上に発展した西洋文明に取って代わる新しいものは百年の単位では現れそうにないからです。
しかし、ほころびた哲学しか持てない現代人は、文明生活を楽しみながらも、なかなか満足した人生を終えられない。だれもが他の人間との相互理解に自信を失い、自身の存在感をもてあまし、よって立つ足元のモラルを失い、自己中心的なニヒリズムに陥っていくように見えます。このほころびは、文明の足元がぐらついているかどうか、という出発点からの間違いで始まるのですから、つくろいようがありません。当分現代人は、自分の足元で崩れていく哲学が見えても見ないようにして生きていくしかないでしょう。