私たちの言語は(拙稿の見解では)、本来、比喩と事実を区別しない、ともいえる。比喩を使う文章表現を指して、それが比喩表現であるとする見方は、現代人の言語学者が考え付いた見方ではあるけれども、言語を発明した原始の人々は、もともと比喩と事実の区別はしていなかった、のではないでしょうか?
もしそうであるとすれば、「あらゆる行動は目的がある」という認知は、現代人からみて比喩であろうが事実であろうが、本来、人間の言葉としては、事実として語られる。つまりどんな場面でも「あらゆる行動は目的がある」という見方は普遍的な使われ方をしていることになります。これは人類の言語が持つ二項形式が(X,Y)、Xがある目的を持ってYをする、という形式であることに(拙稿の見解では)表れています。
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