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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

正しく自然を描写する

2010年01月24日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

動物あるいは人間の行為は、皆さんが思っていらっしゃるように、目的を持って行われるものなのか? それとも拙稿が言うように、そうではないのか?

この問題は重要です。

拙稿の見解はこうです。

生物の身体は進化によって、効率的に生存繁殖するようにできあがっている。

植物の葉は太陽光線を効率よく吸収するように平均的太陽方向に垂直な方向に広がる。そのことを、「葉は日に当たることを目的として広がる」ということができる。花は蝶を誘い込んで花粉を運ばせることで繁殖する。そのことを「花は蝶を誘うことを目的として華麗な花弁をつける」ということができる。

動物の行動もまた、生存繁殖を効率よく行うように進化している。ライオンがシマウマの背中に飛びつくのは、進化により効率のよい栄養獲得のための行動が身体に作りこまれているからです。それを「ライオンは栄養獲得という目的を持ってシマウマを襲う」ということもできますが、そういう表現のほうが正しく自然を描写しているといえるのか? 

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コメント (1)

身体の作り→行動

2010年01月23日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

Geromejeanleonrepublic

たとえば、「ライオンは食料にしようという目的を持ってシマウマを襲う」という言い方にふつう違和感はありません。この場合、ライオンの意識的目的は、食料の獲得にある。ライオンは、食料を獲得できるとうれしいからシマウマを襲う。ライオンの気持ちがよく分かる、と皆さんは思いますね。

でも、本当にライオンは食料が欲しくてシマウマの背中に飛びつくのか?ライオンの身体の作りが、走っている自分の前を走るシマウマを見ると自動的にその背中に飛びつくようにできているから、ではないのか? このことを敷衍すれば、人間を含めてあらゆる動物はライオンと同じように、身体の作りがそうなっているからそう動くのではないのか?

もしそうだとすれば、私たちの行動は目的を持って意識的になされるのではなく、身体の作りがそう行動するようになっているからそう動くのだ、ということになる。そしてまさに、これが拙稿の見解です。

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動物と人間とは違うのか?

2010年01月22日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

しかし読者の皆さんの常識では逆でしょう。そもそも人間が目的を持って意識的に行動するものであるから、動物を擬人化することで、動物も人間と同じ仕組みで行動を決定していると見なせる。そうすることで、動物の行動を分かりやすく表現できる、ということでしょう。しかし本当に、人間は、動物を人間とは違うものと認めた上で、それを表現上のテクニックとして擬人化しているのか? むしろ、そうではなくて、動物も人間とまったく同じような心を持って動いている、と思っているのではありませんか?

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人間が動く原因は?

2010年01月21日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

Gerome_lionthetwomajesties

私たちが人間を観察する場合、人間も動物の一種ですから、その動きは当然そう見える。つまり私たちが人間の動きを認知すると、その動きは目的を持った意識的行為であるかのように見える。これは、人間が動く原因はその人間の内部にある意識的意図が働く結果である、というモデルを私たちが、無意識のうちに、使っているからです。

意識的意図は、どの動物の中にもあって、その動物(あるいは人間)の動きの結果を予測してそれがもたらす状況の変化を評価し、好ましい結果をもたらすような動きを選択する、ように見える。この選択には感情が伴っていて、結果のよしあし、好き嫌いを判定している、ように見える。私たちは、こういうモデルで動物や人間の行動を認知している。

拙稿の見解によれば、私たち人間は、動物の行動にこのような意識的意図、あるいは社会的な意図を見て取る。これは(拙稿の見解では)、動物などの動きに社会的な目的を見る見方から派生して、私たちは、人間の行動にも社会的な目的があると見ている、ということです。

拝読ブログ:「タモリ倶楽部」 2010年1月16日 役に立たない機械たち

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目的という脳内モデル

2010年01月20日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

こうして、XがYをする、という言語形式が作られる。つまり人類の言語においては、話し手は「Xを観察するとXが自分の運動の結果を予測してそれがYをする結果となることを意識した上でYをするかのごとく見える」と推定したときに「XがYをする」という言語表現をする。

こうして人類は、言語を使うとき、その下敷きとして働く運動シミュレーションのモデルとして、「あるものがある行為をするときは、その行為の結果を予測してその行為をするのだ」という物事の見方をするようになった。いや、正確に言えば(拙稿の見解では)、人類は、「あるものがある行為をするときは、その行為の結果を予測してその行為をするのだ」という物事の動きをシミュレーションモデルとして脳内に備えているから、その仕組みを利用してこのような言語構造を進化させた。

このモデルを使って、動物の動きを見ると、それは目的を持った意識的行動のように見えます。つまり、ある動物がある行為をするときは、その行為の結果を予測して、それを目的として、その行為をしているように見える。

拝読ブログ:脳はなぜ「心」を作ったのか

拝読ブログ:html5デモ

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