つまり私たちが、意識的に、他の人間あるいは動物の存在を感じるときは、(拙稿の見解では)その動きを自分の運動形成神経回路の共鳴によって写し取って、自分の動きのように感じます。さらにその人間あるいは動物の、これからの動きを自動的に予測する。つまり無意識のうちに、その観察対象に乗り移って自分が運動しているように感じます。その予測できた運動を自分の脳内の運動回路で感じて、その人間あるいは動物の心という錯覚を脳内に作る。
さらに対象が人間の場合、私たちは、仲間の人間の動きを他の動物とは区別して、強烈な存在感をともなって感じる。つまり、人間の脳は、そこに人間が存在するという知覚に特異に反応するのです。
仲間の存在にするどく反応する。これは、人類だけの能力ではなく哺乳類の脳に共通の機能です。動物が同種の仲間を識別する仕組みでしょう。もともと夜行性の哺乳類には匂いが重要な情報だったと考えられます。夜行性から昼行性になった霊長類では、視覚が発達し、嗅覚の役割を果たすように置き換わっています。霊長類の脳では、視覚情報を変換した信号が古い嗅覚情報処理回路に流れ込むように改良されているようです。目で人間の姿を見ることで、それが仲間だと感じさせる強烈な臭いの信号が脳内(の臭い情報処理回路)に立ち現われてくるような配線になっているのでしょう。それで、人間は、目の前の人間の存在を他のどの物質よりも強烈に感じる。その上、人間は仲間のする運動をみると自分の運動形成回路が共鳴する機構を持っています。それで他人の運動形成が分かる。これからその人がどう動こうとしているか、分かります。その神経機構が(拙稿の見解では)、心を感じさせる基底になっています。こうして、人間は、仲間の人間の内部に心がある、という感覚、というか理論、つまりいわゆる、心の理論、を身につけるのです。
人間の脳のこの仕組みによって、心というものがこの世界にあるわけです。
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