津波に関して極端な安全対策は、海岸から離れた高地に住居と職場、学校、病院などすべての生活空間を移転することですが、その土地で生計を立てコミュニティを維持している人々にとってその対策は失うものが大きすぎてまったく不可能でしょう。それをしないから危険を過小評価しているという論法は無意味な極論です。
拝読ブログ:逢うは別れの始まり 別れは出逢いの始まり : 土曜日開店「かたし」の人生劇場 2
拝読ブログ:移転後の虎ノ門ヒルズ 糖朝: 「優しい空間のパティシエ」(匠番組より)のブログ
津波に関して極端な安全対策は、海岸から離れた高地に住居と職場、学校、病院などすべての生活空間を移転することですが、その土地で生計を立てコミュニティを維持している人々にとってその対策は失うものが大きすぎてまったく不可能でしょう。それをしないから危険を過小評価しているという論法は無意味な極論です。
拝読ブログ:逢うは別れの始まり 別れは出逢いの始まり : 土曜日開店「かたし」の人生劇場 2
拝読ブログ:移転後の虎ノ門ヒルズ 糖朝: 「優しい空間のパティシエ」(匠番組より)のブログ
今回の災害に関して実際にこのような気持ちになっていた老人がいたかどうかは定かではありませんが、想定される危険の過小評価は一般にその回避コストが大きいほどなされやすいという傾向はだれもが陥りやすい安全対策の過誤といわれています。たとえば成人病対策、交通事故対策、原子炉事故対策、など対策のコストが高いと危険は過小評価されがちといえるでしょう。
拝読ブログ:Gear Fit のアラームで豪雨を回避 - Digital Life Innovator
拝読ブログ:costmap関連の資料を翻訳する: 花岡ちゃんに花束を
また、危険を過小評価するということは、危険を避けるための労力を厭うところからも来るでしょう。津波の場合、その危険を避ける労力というのは高いところに移動することです。もともと腰の重い老人にとっては体重を持ち上げるという仕事はきつい。めんどうです。めんどうだから、危険を過小評価してしまえばその仕事はしなくて済む。そういう場合、だれでも危険を過小評価するものです。そういうことにしてしまえば動く必要はない。逃げる必要はありません。
拝読ブログ:梅雨明けの時こそ - チーム森田の“天気で斬る!” - Yahoo!ブログ
拝読ブログ:☆再掲載☆【対災害アクションマニュアル15】避難所を襲う火災
老人たちは経験が豊かで若い人たちよりも自分の経験に自信を持っています。老人たちの長い人生において、津波がこの高さまで来ることはなかった。津波は何度も来たし、最大の津波だといわれた津波も知っています。たとえば一九三三年の昭和三陸地震
では場所によっては二八メートルの大津波があった。それらもこの土地ではこの高さまでこなかった。だから津波が来ても動かない方がかえって安全。あわてて騒ぐとかえって危ない。と、死んだ老人たちが思っていた可能性はあります。
拝読ブログ:【地震関連情報7/12】福島沖でアウターライズ地震
拝読ブログ:あるもん探しの旅: 第二十八共徳丸に思う
しかし大津波の場合、マスコミなどでされている一般的な解説は、逃げなかった人たちは危険を過小評価していたからだ、というものです。津波がこの高さまで来るとは思わなかった、という言葉は、生き残った人たちによっても語られています。老人たちが多く死んだということは、老人たちは危険を過小評価する傾向があるということでしょうか?
拝読ブログ:ものすごく どうでもいいこと いろいろと。: アラフォー雑記帳 ~ゲームの向こうに~
拝読ブログ:【書評】うわさとは何か -ネットで変容する「最も古いメディア」 - 倒錯委員長の活動日誌