goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

動物の聖なる精神

2008年04月22日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

他の動物はそうなっていない。チンパンジーなどは、ごく断片的に、この機能を持つようですが、人間との差は大きい。観察すればすぐ分かる。チンパンジーに、「来年の計画は?」と聞く人はいないでしょう。

 人間だけがなぜ、目的をもって長期的な自分の人生を計画できるのか? そして、なぜそうするのでしょうか?

 筆者が若いころ感動した有名な小説の筋です。ある日、老漁師はいつものように小船に乗り、一人で海に出る。巨大なカジキマグロと大格闘の末、釣り上げるけれども、獲物は鮫に食われてしまう。骨だけになった獲物を持って陸に戻った老人は、それでも幸せそうに見える(一九五二年 アーネスト・ヘミングウェイ老人と海』)。この一日の老人の大格闘は、次の日からの彼の人生には、良くも悪くも関係しそうにありません。しかし、私たち読者は、老人の行動の美しさに感動する。

 人間はなぜ、「今のこのときだけ、今日一日だけ、幸せならそれで満足」と考えられないのでしょうか? それは聖人君子のような、美しすぎる生き方かもしれない。しかし凡人の私たちも、ちらっとは、それが分かるような気になることもある。 今食べたい食事と、今すぐ交尾したい異性のことだけを考えている動物は、聖なる精神を生きているようにも見える。しかし、「動物はばかだから、それしか考えられない」と言ってしまえば、それもそのとおりでしょう。

拝読サイト:『チンパンジーの赤ちゃん』

拝読サイト:ヘミングウェイ・カップ

コメント

将来を予想する脳機構

2008年04月21日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

Tizianovenuscvenere20e20cupido20con  人はなぜ幸福を追求するか? なぜ私たちは、それを人生の目的として追求するのでしょうか?

 五分後であれ、五日後であれ、あるいは五年後であれ、今から将来を予想してその中で自分の幸福を追求する、というゲームを作り上げそれをプレイする機能が、進化のある段階で人類の脳に追加されたようです。しかし、他の動物は、こういうことはしない。動物の中で人間だけが、なぜ、自分の行動を計画できるのか? なぜ、一年以上もさきの収穫を予想して穀物の種を保存することができるのか? なぜそういう脳機構を持つように進化したのでしょうか?

拝読サイト:アラフォーですが、なにか?

拝読サイト:WEB漫画『ちのしあわせ家族』第7話「二つの道」あとがき

コメント

幸福の自己再帰性

2008年04月20日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

幸福とは何でしょうか? アンケートをとるときの選択肢としては、家族、お金、結婚、出世、成功、勝利、裕福、栄誉、尊敬、安心、安全、健康・・・ いろいろなキーワードがあげられそうです。

幸福は目に見えない。ですから、幸福というのは脳の中に生ずるひとつの錯覚です。目に見える物質世界には幸福はありません。幸福は物質ではなくて目に見えないものなので、他人どうしが同じものを感じながらしっかり共感するのはむずかしい。

例外的には、分かりやすい幸福というものもある。蚊に刺された腕の赤い斑点を見せて、それを掻きながら、「痒いところを掻くと幸せ!」と言えば、その幸福は聞き手にも共感されるでしょう。その共感が、その幸福の意味です。そのほかの幸福も、それを感じている人を見ている人が、共感をはっきり感じられるときは、確かにそこに存在する。幸福とはお金や地位そのものでもなく、状況そのものでもなく、それらの状況にある人が感じているらしいことを、目や耳で観察して想像する観察者の脳の状態にある。特に、自分の状態を観察している場合、観察者は、自分を観察することで、他人から見た自分の幸福を、あるいは不幸を、感じることができる。

拝読サイト:隔靴掻痒

拝読サイト:GNPよりGNH(国民総幸福量)

コメント

集団 vs. 個人

2008年04月19日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

Tiziano_venus_urbino しかしこれは実は、人類史上、つい最近あらわれてきた行動様式です。日本でも、個人の幸福の話が問題になるようになったのは、たかだかこの百年のことです。それまでは、人間にとって自分個人の幸福はあまり問題ではなかった。関心がそこまでいかなかった。自分が属している集団、大家族、氏族、一族郎党、の幸福が問題だった。自分の属する集団が生き延びられなければ、個人の存在などはない。まず、集団の生存、それが問題なく確保された段階にいたって、集団内部の過酷な支配体制に対する疑念がでてくる。そして自由が希求される。革命内戦など大騒動が終わって、ようやく個人の自由が当たり前の時代になる。そしてはじめて、さて個人の幸福とは何か、という問題がでてくる。

集団全体の生存があって、その上に、集団内の自由があり、さらにその上に、個人の幸福がある、という構造になっている。それなのに今は、自分個人の幸福以外興味がない、という人がとても多い。自分ひとりだけ成功するよりも仲間と仲良く暮らすことが一番幸せ、などと言うと、主体性がないとか、個人が確立していない、などと叱られてしまいます。

拝読サイト:テレビを見ました

拝読サイト:少子化対策について

コメント (1)

日本国憲法第十三条

2008年04月18日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

日本国憲法第十三条には 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と書いてある。生命、自由および幸福追求が人間にとって一番大事だ、と憲法は言っている。そういえばあの頃は、あの世界大戦が終わった二十世紀の中ごろ、日本国憲法が書かれた頃は、世界中の知識人の関心は、個人、自由、幸福、権利、というような言葉の中にあった。

実際、とりあえず生命と自由に対する脅威への対応に全力を傾ける必要がない(現代の欧米、日本などの)文明国の人々は、個人としての幸福を追求することに相当のエネルギーを傾けている。

拝読サイト:憲法13条!!

拝読サイト:幸福追求権

コメント