このようなコンピュータプログラム、つまり、効用という得点を最大化するようにゲームの戦略を選定していく最適化アルゴリズムは、機械的に主体性を実現する試みといえる。認知心理学などでは、このような情報処理システムが人間の行動の基本的なモデルとされている(一九七五年 ジェリー・フォダー『思考の言語』)。この仮説によれば、私たちの主体性とは、人生というゲームの得点を最大化するような戦略を計算して選び取っていくアルゴリズムだ、という理解になる。
人間の行動をこのような最適化アルゴリズムとする見方は、また、現代経済学の考え方に通じる。ゲーム理論から発展した経済学では、個々人が自己の利益を最大化する最適行動をとると仮定して、経済現象を理論化する。こういう理論は、現代人の理解する人間行動のモデルにぴったりあっているように見えるところから、現代の経済理論、政治理論、経営理論などに、広く受け入れられている。
だが、本当にこれが人間なのか? 人間は一種の最適化アルゴリズムなのか? 人間という動物は、本当にこう動くような仕組みになっているのでしょうか? 拙稿は、この点に関しても、懐疑的な見解を述べてみたい。
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