goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

人間は計算しない

2008年05月12日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

たとえば、生存繁殖のためには、なるべく楽をしてカロリーの高い食べ物を手に入れるような行動を選択するべきです。それには泥棒が一番正しい行動かもしれない。しかし、泥棒をすると捕まってひどい目にあう確率も高いから、割に合わない。それに、いったん泥棒の汚名を着てしまうと、一生、仲間は食べ物を分けてくれなくなるだろう。泥棒はやめて、まじめに働くほうが、結局は得なわけです。しかし、ふつう人間はこういうことを冷静に計算して理解するわけではない。泥棒はいけない、という正義の感覚は習わなくても身についている。そこへ文化による教育が加わると、まず泥棒はしないという人間が育つことになる。

泥棒はしない、というような、人間のこういう判断は、コンピュータのようにペイオフ行列から損得を計算して、一番、得になりそうな行動を選択しているのではない。経済的行動として、純粋に期待利益の多寡から、泥棒をしたり、しなかったりする人はいない。ここのところを、私たちは自分自身を誤解している。経済学のいうような利益最適な功利的行動、というものを、実際の人間が計算して実行しているわけではありません。

コンピュータにやらせてみるとよく分かりますが、現実の世界で役に立つような功利的計算をするためには、天文学的な量の前提条件が必要となり、計算量も膨大すぎて、とても実用にはならない。たとえば、いつも損得計算をした結果で行動する自分は、仲間から見ると協調性がないやつ、と見られていじめの対象になる恐れがある。それも計算に入れて、自分の行動の損得を評価しなければならない。不確定要素が多すぎて、どんな高速コンピュータでも無理になる(フレーム問題という)。

拝読サイト:"ドロボー歴50年?" 老泥棒、杖をつきながら逃走すぐ捕まる

拝読サイト:アスペルガー症候群者の「フレーム問題」

コメント

社会と文明と経済の遺伝子

2008年05月11日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

Tizianodanae3

つまり、結果的にですが、最小のリスクと最小のコストで、生存繁殖の確率を最大化する。ちなみに、さらに正確にいえば、生存と繁殖とは個体のレベルではなく、行動を生成するDNA配列(ゲノム)の遺伝子単位で起こる。自分の生存繁殖には不利になっても兄弟姉妹を助ける遺伝子群は、本人の子が生まれなくても、生き残っていく甥や姪に伝わって伝播していく(一九六四年 ウィリアム・ドナルド・ハミルトン社会行動の遺伝的進化)。また、村落を作る仲間とは孫の代までつきあうわけなので、利己的に仲間を裏切らずに、仲間がうまく生存し繁殖できるように助け合い協力し合う行動が、生存繁殖を有利にします。そういう繁殖に有利な行動を生成する遺伝子群は保存され拡散する(一九八四年 ロバート・アクセルロッド協力の進化)。これが、人類の社会と文明と経済の基礎になっている。

拝読サイト:「利他的」と「利己的」どちらが良いか「ゲームの理論」で決められる?

拝読サイト:利己的な遺伝子 増補新装版 By リチャード・ドーキンス

コメント

意志の自覚は錯覚

2008年05月10日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

ひとつひとつの仮想運動の形成は、単純な反射の連鎖により自動的に生成される。将来を予測したいろいろな場面のシミュレーションが作られて、同時にその存在感を現実と同様に感知できる感情機構によってそれぞれが評価され、加速減速を受けた運動が自動的に実行される。自動的な反射の連続ですから、運動の選択は躊躇なく、迅速に実行されるわけです。近年、脳科学の実験でも、人間の意志決定が無意識の反射で生成されていて、意識による意志決定の自覚は錯覚であるらしい、という実験結果が多く報告されています(古典的なものは、一九八五年 ベンジャミン・リベット『随意動作における無意識大脳指令と意識意志の役割』)

感覚信号や連想から生成されるシミュレーションからの反射反応で形成された運動が選択されるときは、いつも感情機構によって評価されるから、感情機構が加速する方向に人間は行動していく。感情機構の働きは進化によって洗練され、その設計がDNA配列(ゲノム)に刷り込まれている。結果として、私たち人間は、連鎖的な錯覚を、無意識のうちに巧みに操作して、生存繁殖に有利な行動を選択する。たとえば、仲間を嫌いにならずに仲良くつきあっていく、とかです。

拝読サイト: 「錯覚する脳」おいしいも、痛いも幻想だった

拝読サイト:進化論(evolution)に合理性はあるのか

コメント

脳内のシミュレーション

2008年05月09日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

Tizianodiana20e20callis

(拙稿の見解では)人間が動物と違うのは、主体性があるかないか、あるいは、目的指向かどうか、ということではない。

人間は、極端に大脳(+小脳)が発達しているおかげで膨大な過去の経験を記憶できる。記憶から多くのデータを呼び出して、現時点で感知した感覚情報を修飾することで、将来の精緻な予測シミュレーションを高速で作り出す。その予測シミュレーションが感情機構に投影されることで表れる錯覚の存在感を、いつでも感じている。人類は、その錯覚の存在感を仲間と共有できるところが、他の動物と違う。自分の脳内に作り出したバーチャルなシミュレーションに自動運動形成機構が反射的に反応して、仮想運動を作り出す。それが感情回路で加速減速を受ける。その結果に、また脳の自動運動形成機構が反応して、次の仮想運動を作り出す。それを繰り返し、連鎖的で自動的な運動シミュレーションの形成が起こる。身体を動かさずに、脳の中だけで次々に錯覚が作り出され、それに反応して脳内に仮想運動が形成されていく拙稿4章参照)。

拝読サイト:道徳観念

拝読サイト:課題 自我障害の説明モデルを作れ

コメント

忠犬ハチ公は目的指向?

2008年05月08日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

忠犬ハチ公は、果たして本当に、死んだご主人の面影を求めて渋谷駅まで往復したのでしょうか? それとも、駅前の焼鳥屋で餌をもらえるから行ったのか? それとも、単によい匂いのする方向へ歩いて行ったら、そこが渋谷駅だっただけなのか? 

ハチ公の行動が目的指向であるとすれば、ネズミの行動も目的指向なのか? ネズミがそうなら、ゴキブリの走りも目的指向なのか? じゃあ、クラゲの泳ぎも目的指向なのか?

逆に、ハチ公の行動が目的指向でないとすれば、人間の行動も目的指向ではないのではないでしょうか? 動物の中で人間だけが、主体性を持って計画を立て、正確に目的を追求できる、とか、あるいは、コンピュータのように冷静に最適計算をして目的に到達できる、という考え方は、怪しいと思いませんか?

拝読サイト:現代版 忠犬ハチ公

拝読サイト:空飛ぶクラゲ 

コメント