たとえば、生存繁殖のためには、なるべく楽をしてカロリーの高い食べ物を手に入れるような行動を選択するべきです。それには泥棒が一番正しい行動かもしれない。しかし、泥棒をすると捕まってひどい目にあう確率も高いから、割に合わない。それに、いったん泥棒の汚名を着てしまうと、一生、仲間は食べ物を分けてくれなくなるだろう。泥棒はやめて、まじめに働くほうが、結局は得なわけです。しかし、ふつう人間はこういうことを冷静に計算して理解するわけではない。泥棒はいけない、という正義の感覚は習わなくても身についている。そこへ文化による教育が加わると、まず泥棒はしないという人間が育つことになる。
泥棒はしない、というような、人間のこういう判断は、コンピュータのようにペイオフ行列から損得を計算して、一番、得になりそうな行動を選択しているのではない。経済的行動として、純粋に期待利益の多寡から、泥棒をしたり、しなかったりする人はいない。ここのところを、私たちは自分自身を誤解している。経済学のいうような利益最適な功利的行動、というものを、実際の人間が計算して実行しているわけではありません。
コンピュータにやらせてみるとよく分かりますが、現実の世界で役に立つような功利的計算をするためには、天文学的な量の前提条件が必要となり、計算量も膨大すぎて、とても実用にはならない。たとえば、いつも損得計算をした結果で行動する自分は、仲間から見ると協調性がないやつ、と見られていじめの対象になる恐れがある。それも計算に入れて、自分の行動の損得を評価しなければならない。不確定要素が多すぎて、どんな高速コンピュータでも無理になる(フレーム問題という)。
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拝読サイト:アスペルガー症候群者の「フレーム問題」