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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

スマートな近似計算

2008年05月22日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

さて、拙稿の見解では、人間は、目的を追求するように作られた機械ではない。人間は目的もなく、泣いたり、笑ったり、居眠りしたりする。私たちは、いきあたりばったりに数億年かけて生存競争を戦い抜いているうちに、こういうつくりの身体になってしまっただけ、といえる。泣いたり、笑ったり、あくびや居眠りの連続でできている私たちの人生について、「その目的は?」と聞かれても、答えがあるわけはない。

ふつう人間が行動するとき、その脳はコンピュータのようにゲーム理論の戦略計算をするわけではない。チェスや碁を打っているときでさえ、アマチュアのプレイヤーはそれほど深読みをせず、イメージで「いけそうだ」とか「王手をかけて脅してみよう」などと瞬間的な感情で判断しています。人間の脳は、計算の理論値よりも感情で感じる現実感のほうを優先します。だからときどき錯覚して予測を間違え、コンピュータのほうが正しい判断をしたりする。 

けれども感情で直感的に判断するとき、人間はコンピュータよりずっと速く行動できる。人間の脳は錯覚に反応して衝動的に動くことによって、かえって簡単に速く、損のない行動を導けることが多い。人間の感じる錯覚が、進化の過程で洗練されていて、実質的に最適値を得られるシンプルでスマートな近似計算を実現しているからです。

拝読サイト:二手打ちで、何も見えなくなった@ペア碁 (とりさんの囲碁楽ぶろぐ)

拝読サイト:嬉しくなる科学の話

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居眠りの目的

2008年05月21日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

Tiziano_perseus_andromeda

しかし、これは間違った質問です。実際の人間の行動は、ゲームでも戦略でもありません。私たちは人生の目的を目指して毎日の行動を実行しているわけではない。「人生の目的」とか、「生きる意味」とかいうような言葉に深い意味があると思うことは、錯覚です。「○○の目的は・・・」というと、何か、重要なことを意味しているように聞こえる。しかし、それは錯覚です。私たちは、習慣によって、言葉の響きに引っぱられる。「今日の訪問の目的は・・・」などというと、たしかに重要なことを言っている。けれども、「今のあくびの目的は・・・」とか、「今の居眠りの目的は・・・」とか言っても意味がない。実際、「○○の目的は・・・」といって、意味がはっきりすることは、特別な場合だけです。

あまり多くはいませんが、自分の目的に役立つ行動しかしたくない、という人が、たまに、いますね。ある意味、非常に純粋な人です。そういう人にとってはあくびとか、居眠りなどは、人生にとって、まったく無駄な行動です。たとえば、笑う、ということもくだらない。目的がないから、笑っても仕方がない。実際、こういう人は、あまり笑わない。冗談や駄洒落をいうと、ひどく嫌がる。眉間にしわを寄せたりする。

拝読サイト:あくび

拝読サイト:春だから?

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ゲームには目的が必要

2008年05月20日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

人生の目的という言い方には、人生をそういうゲームの戦略として計算するべきだ、という思想が背景にある。人生の幸福という言葉も、その世界観から来ている。人生とは、幸福という得点を最大化するゲームであり、人間はそのゲームをプレイするゲーム用コンピュータである、という世界観です。

生命保険の勧誘パンフレットなどに、人生を一本の横線で表わした図が載っている。結婚、出産、育児、教育、老後などに掛かるお金が試算されている。このお金の出し入れが人生の目的? ちょっと違うでしょう、という気がしますね。だが、かなり説得力がある。人間は八十年くらいかけて、間断なくいろいろと努力を積み重ねていくものなのでしょうか? それで最後は死んでしまう。「それで、目的は?」と聞かれても明答があるわけではない。しかし八十年もの間努力を続けるということは、目的があるはずだと思われる。

目的がないとゲームも戦略も作れない。そう考えると、人生の目的という問いは非常にむずかしいけれども非常に重要な質問のように思われます。

拝読サイト:RIKI-TRIBAL Blog : ~私たちはArtをどう使えるか?~

拝読サイト:La-papara ~夢~  ネットワークビジネス

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ゲーム理論以前

2008年05月19日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

Tizianobacchus_and_ariadne ほとんどの場合は衝動的に行動していながら、人間は、自分のその行動結果について、ゲームのように理論化された人生のモデルを想像することができる。現実の人生を、この模型のゲームに当てはめて、コンピュータを使って目的関数の最適化を求める探索計算をすることもできそうな気がします。二十世紀の中ごろから、政治や経済やビジネスなどの世界などで、実際にコンピュータ計算が行われていて、この方法はよく成功している。数学的なゲーム理論による最適戦略探索です(一九八四年 ロバート・アクセルロッド協力の進化』既出)。これが成功した場合は、実に鮮やかな成功感を与えます。それで、これこそが現代人の行動原理であるべきだ、ということになってきた。

数学的ゲーム理論が作られるよりずっと昔から、人間どうしの会話では、成功戦略のような理論が頻繁に語り合われてきた。行為行動の利害得失、つまり、その行動は損だ、いや得だ、という会話を、私たちはいつもしている。物語やドラマでも、人間は結果を予測計算して目的を追求していることになっています。それで私たちは、人間はだれでもそのように功利的計算をしながら行動を選択している、と思い込む。当然自分もそういう行動を実際にしている、と思っているわけです。それは、私たち現代人の基本的な世界観、人間観になっている。

拝読サイト:ゲーム理論

拝読サイト:マッド・サイエンティストへのススメ:倫理観にとらわれるな!

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洗練された感情機構

2008年05月18日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

感情回路は若い頃の学習によって、特に仲間と感情を共有する集団としての学習によって、その反射を刻み付けられている。本人はその仕組みもその働きも自覚できない。膨大な回数の過去の繰り返し学習によって、感情回路は世界の法則を取り込んでいますから、無意識な衝動的反射の連鎖による行動が、緻密な計算による功利的な目的追求行動のように見える。

進化によって洗練された人間の感情機構の働きは、驚くべき実務能力を備えている。目前に迫る現実の課題を、驚異的な能率で実務的にさばいていきます。現代のスーパーコンピュータも、とてもかなわない。動物や人間の感情機構のこの具体的な仕組みを解明することが、今後百年の科学の、最大の仕事になるでしょう。

拝読サイト:意識と無意識について

拝読サイト:生命維持装置は金がかかるのか?

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