さて、拙稿の見解では、人間は、目的を追求するように作られた機械ではない。人間は目的もなく、泣いたり、笑ったり、居眠りしたりする。私たちは、いきあたりばったりに数億年かけて生存競争を戦い抜いているうちに、こういうつくりの身体になってしまっただけ、といえる。泣いたり、笑ったり、あくびや居眠りの連続でできている私たちの人生について、「その目的は?」と聞かれても、答えがあるわけはない。
ふつう人間が行動するとき、その脳はコンピュータのようにゲーム理論の戦略計算をするわけではない。チェスや碁を打っているときでさえ、アマチュアのプレイヤーはそれほど深読みをせず、イメージで「いけそうだ」とか「王手をかけて脅してみよう」などと瞬間的な感情で判断しています。人間の脳は、計算の理論値よりも感情で感じる現実感のほうを優先します。だからときどき錯覚して予測を間違え、コンピュータのほうが正しい判断をしたりする。
けれども感情で直感的に判断するとき、人間はコンピュータよりずっと速く行動できる。人間の脳は錯覚に反応して衝動的に動くことによって、かえって簡単に速く、損のない行動を導けることが多い。人間の感じる錯覚が、進化の過程で洗練されていて、実質的に最適値を得られるシンプルでスマートな近似計算を実現しているからです。
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