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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

感情と勘定

2008年05月27日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

Tiziano_pardo  考えて作った計画に、本当に従って行動したら、人間はすぐ身体を壊してしまう。身体は、自ら壊れるような運動はしない。だから、頭で考えた計画というものは、ほとんど実行できない。

私たちの身体は、そのときそのとき、その場の感情に従って衝動的に動いていく。その結果、行動を選択することになる。そうだから人間は健康に生存していける。将棋をしているときでさえも、「王より飛車を可愛がり」となる。それでゲームは楽しくなり、人はそれを好きになる。皆が好んでそれをすることでゲームとして成り立っていく。

巷のビジネス指導書にあるような、「衝動的に行動すれば失敗、目的を立てて計画的に実行すれば成功」という教えとは関係がない話です。そもそも目的を立てて計画的に実行できるような人は、無計画に進んで失敗するようなことはしない。逆に、無計画で進みたがるような人が計画をつくっても、うまくいきません。いずれにせよ、計画のあるなしにかかわらず、人間が行動するときは、結局は衝動的です。

人間は感情にしたがって衝動的に行動する。それも脳内シミュレーションで予測した将来の自分のイメージに対して感情を引き起こす。その感情に駆られて運動を実行する。それで得られた金銭や勝負の得点などの数字を見て損得をはじき出す。その後、予想した将来イメージを思い出して、その行動がそれを目的として合理的で正しかったことをチェックする。そのとき、自分の人生、というものを確認できる。成功感、失敗感、勝利感、敗北感など感情をしみじみ味わう。その確認が人生ゲームの楽しさです。感情に始まり、感情が勘定に変わり、最後はまた感情で終わる。感情にゆすぶられ、楽しいからゲームに夢中になる。それでいて後から見ると、勘定としてもあまり損がない行動になっている。

拝読サイト:ゼロサムゲームと感情の勘定

拝読サイト:感情を計算に入れる

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人間は異常な動物ではない

2008年05月26日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

実際、人間は、他の動物に比べて異常に変わった生き物であるというわけではない。私たち人間は、感情に従って衝動的な反射で運動するふつうの動物です。ただし、他の動物のように目の前の環境に直接反応してそのまま行動を起こすことは、あまりありません。覚醒しているときの人間は、冷静で、自分の運動の結果を予測してから行動する。つまり、行動の前に大脳皮質と小脳で作り出す予測シミュレーションが起こり、その結果に感情回路が反応して、自動的にシミュレーションで予測されたバーチャルな世界モデルの中での運動が起こっている。運動の結果起こった変化をまたシミュレーションと繋げて記憶し、後で思い出して、自分は目的を持って損得を計算しながらゲームを実行している、と思い込んでいる。

そうでなければ、人間がこんなに上手に行動できるはずはありません。あらかじめ明確な目的を持ち、詳細な計画を立てて、それをコンピュータのようにペイオフ行列を計算しながら、現実の環境の中で、確実に追求するという行動を本当にしたら、人間はたいていすぐ死んだり病気になったりしてしまいます。実際、小学生が立てた夏休みの計画が実行されることはないのです。すぐ怠けてさぼってしまう。お姉さんのダイエットもうまく実行できない。理想と現実はすぐ食い違ってしまうので、綿密な計画は、必ずといってよいくらい、挫折するのです。でも、それでよいのです。

拝読サイト:きっかけ

拝読サイト:[ 理想と現実についての愚痴語り ]

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○○は××をした

2008年05月25日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

Tiziano_03 人間の言葉は、この考え方に沿って作られている。「○○は、それをしようと思って、××をした」という形になっている。特に、「私は、それをしようと思って、した」という言い方で、自分の行動を言い表す。こういう言葉遣いを洗練させて、哲学は、人間の行動原理を図式化した。そうして哲学は、欲望が行動を導き、目的が行動の価値を決定する、という図式を教えた。

人間は、目的を持ち、それを達成するために必要な行動を予測計算し、最適な行動を選択実行する。自分たち人間はこういうシステムである、と私たちは思い込んでいる。教師たちは、何事も目的を明確化し手段を比較検討して最適な方法を選択しなさい、と教える。私たちは、自分たち人間はいつも必ず、はっきりした目的を持ち、それを実現するために行動しているはずだ、と思い込む。そのために私たちは、自分たちの行動をその図式でしか考えなくなってしまった。つまり、人間は他の動物と違って、理性を使って目的に沿った行動を選択している、と思っている。人間が反射や衝動や感情で無意識的に動くのは例外であって間違いである、ふつう人間は、理性で利害得失を勘案しながら行動する、と思っている。自分で自分が、何のために何をしているのか、よく分かって、それをしている、と思い込んでいる。しかし、(拙稿の見解では)それは間違いです。

拝読サイト:理性と感情

拝読サイト:論語と算盤

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感情の操作方法

2008年05月24日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

哺乳類は大脳辺縁系の感情回路で反射的に敏捷な運動を作り出すようにできている。この形質が、恐竜絶滅の後の時代で哺乳類の大繁栄をもたらした。人間も同じ。感情回路は進化の過程で世界を学習していて、生存に有利な運動を反射的に加速するようにできている。それで、人間も他の動物と同じように、感情で動くことによって、(原始時代までの生活環境では)結果的に生存に有利な行動をとれる。

ただ人間は、自分のその運動を、大脳皮質と小脳を使った、仲間と共感できるバーチャルなシミュレーションの世界モデル(拙稿4章『世界という錯覚を共有する動物』参照)に映している。人類の脳においては、シミュレーションでの仮想運動を言語に変換できるので、会話によって仲間との世界モデルの共感を確認することができる。お互いの動作や表情、特に言語を介して、人間の集団は感情を共有する結果、生存に有利な運動に価値を置く文化を発展させ維持する。文化間の競争による淘汰が起こって、集団としての生存に適した文化がますます強化される。

集団の文化が、私たちに適当な錯覚を与え、結果として、世界の見方を教え、人生の目的を教える。皆と同じように世界を見ることができるような錯覚とそれにより引き起こされる感情の使い方を覚える。子供は、文化に教えられて、人生を、皆が見るように見るには、どう見ればよいか、を覚える。他人に見える自分の姿をどう動かすか? どうすれば仲間外れにされないか? どうすれば、仲間の共感と尊敬を得られるように自分の感情をコントロールすればよいのか? 文化は、その感情の操作方法を教える。それをする文化と、その文化に従う脳とが共進化した結果です。

文化は個々人の脳のシミュレーション記憶に埋めこまれ、感情回路に連結されていく。私たちは自分の行動のシミュレーションを記憶し後で回想し、自分の行動を客観的にながめて、それが他人の行動と同じように、冷静な功利計算によって目的を追求した行動だった、と思い込む。人間は、他人の行動を見て、その行動がめざすものをその人の欲望だと思っている。さらにそれを自分の行動の解釈に応用して、自分の行動が目指すかのように見える状態を、自分の欲望だと思う(拙稿10章「欲望はなぜあるのか?」)。

拝読サイト:鏡の話

拝読サイト:感情の使い方

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人間、犬、猫、コンピュータ

2008年05月23日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

Tiziano_lucretia

(拙稿の見解によれば)人間の通常の行動は、犬や猫など一般の哺乳類と同じく、感覚情報の感知に対応する感情回路の反射的反応で決まってくる。ただ人間の場合は、目の前の感覚情報ばかりでなく、それに記憶情報を加えて大脳と小脳で作ったバーチャルな、仲間と共有できる予測シミュレーション(拙稿4章『世界という錯覚を共有する動物』参照)によって引き起こされる錯覚を、感情回路に反映して行動を選ぶ。チェスゲームに勝つ、という予測シミュレーションにおける状況が最高の感情を与えるように学習で設定されていると、感情回路はゲームの理論で計算したのと同じ駒の動きを(無意識のうちに)好ましい結論として、直感的に選んでいく。結果的に、コンピュータで最適戦略を計算して動くことと同じになる。人間はゲームに勝とうとして全力をつくすように見えるし、コンピュータも同じように、勝とうとして全力をつくすかのように行動を選択する。

こういう行動を外見だけで見ると、人間とコンピュータは良く似ている。それで、コンピュータを使いこなせば人間そっくりのロボットが作れそうだ、という楽観的な予想がなされますが、それは間違いです。人間のようなロボットは、そのような設計思想では作れない。いかにも機械のようにしか動けない、感情がない、ぎこちないロボットができるだけです。

拝読サイト:昭和初期にこんな人がいたとは・・・

拝読サイト:紫外線対策してますか??

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