目で見れば分かる物質だけを扱う科学と違って目に見えない直感的な存在感の共有に依存せざるを得ない人文哲学は、どうしても直感に伴う曖昧さの侵入を防ぐことができません。そこに哲学者たちは論理の破綻を見てしまう。そこで再び混乱が始まる。対立する論敵を論破して学派の勢力を守るために、ますます特殊な言葉と特殊な論法を作って論争を発展させます。それらを統合するためにさらに新しい言葉と論法を作り出し、哲学を立て直そうとする議論も表れます。そうして際限なく現代哲学は難解になっていく、という悪循環が始まったのです。
ちなみに直感的な存在感を極力排除する方向に全力を傾けた哲学の一派は、形式論理の研究に徹底し、数理論理学や現代数学の基礎論になっていき、それはそれで成功しました。間違わない哲学を作ることに成功したのです。たしかに、数理論理学や数学は矛盾のない形式的な体系を作ることには成功しましたが、その分ふつうの人々の悩みからは遠く離れてしまいました。「円周率は存在するか?」という問題に日夜悩まされている人は少ないでしょう。