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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

心の現象と脳の関係をどう考えるか?

2007年01月14日 | 2言葉は錯覚からできている

ところが、古来の哲学の対象である精神的な概念、「命、心、欲望、存在、言葉の意味、自分・・・」というようなものは、人体の運動を客観的に観察しても、なかなか厳密には捉えられません。コンピュータに入力できるようなデータになりませんね。こういう主観的情緒的、あるいは文学部的なものを科学としてどう考えたらよいか。自然科学に組み入れることはできないのだろうか?

この問題は、現代哲学では、心の哲学(philosophy of mindとして研究対象になっています。欲望というような心的な概念で表わされる心的現象と身体の運動との因果関係は、どう考えるべきか。心的現象が脳の運動神経を起動するのか? そうではなくて観察する人間がそう思い込んでいるだけなのか? 現代哲学でも、うまい説明はできていません。現代哲学の傾向としては、だんだんと主観的な心的現象(欲望、信念、意識など)を、懐疑的にみるようになってきているようです。主観的にしか捉えられない心の現象は、脳神経科学の記述で置き換えられはずだ(一九六〇年 W・V・O・クワイン『言葉と対象』)とか、いやそうではない、とかの議論が盛んになっています。

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脳の言語活動は科学的な観測が不可能

2007年01月13日 | 2言葉は錯覚からできている

これらの神経活動は、カメラやビデオに撮ったり、数値データとして精密に記録したりできるものではありません。(脳科学の研究で使われるfMRIなど脳活動測定装置では、脳の各部位の血流量の変化など神経活動の量を示す立体画像が得られますが、現在の技術レベルではかなり大雑把なもので、言語の内容との対応は測定できません。)つまり現在の科学では、脳の言語活動は精密な観測が不可能なものだ、と言わざるを得ません。主観的な存在感は感じられるものの目の前の観測可能な物質現象には直接対応しないものは科学では研究対象にできません。

心理学科言語学科は、ふつう、大学の理学部には属していませんね。いわゆる科学的方法論といわれる客観性再現性反証可能性簡潔性など自然科学の方法が使えないからでしょう。物理学を手本とする科学的方法論の立場からいうと、心理学や言語学の対象は脳の神経細胞の活動の一種、というしかない現象です。しかし、そう言ってしまっては人間が最も関心を持っている人間自身の心理や言語の内容の研究ができません。現代の心理学や言語学の研究者は、素朴な主観が混じる心理描写や言語の直接的な内容を研究対象にすることを避けて、人体の物理的運動などコンピュータに入力できるような観測データを客観的に記述する方法を開発し、科学的方法論に近い方法で研究を進めています。

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夢や思考は脳の中だけの信号伝搬

2007年01月12日 | 2言葉は錯覚からできている

Hatena18_1脳の神経細胞の活動は、身体の外にある物質世界との間に交わす運動出力や感覚入力の信号に直接対応するものもあれば、夢や抽象的思考のように主に脳の中だけで信号を伝播させるようなものもがあります。

人間が物を見たり物を持ち上げたりするときは、その物質と人間の身体との間にエネルギーと情報のやり取りがあります。しかし夢や抽象的思考のように脳の中だけで信号が伝播する場合、身体の外の物質との間にエネルギーや情報のやり取りがありません。

詳しく言うと、人間が声を出さずに言葉を思いつくときには、のどや口など発音器官にわずかな筋電流が流れます。しかしこの小さな運動は口の形を変えるほどには筋肉を動かしません。他の人が観察しても、この人の脳内の活動が身体の外の物質と関係しているようには見えません。外界に関係なく人間の神経系が活動するだけといえます。

その観点から言うと、「命、心、欲望、存在、言葉、自分、生きる、死ぬ、愛する、憎む、幸福、不幸、世界、人生、美、正義・・・」、そういう直感的にすぐ分かる抽象的な概念、あるいはそれに伴う存在感、神秘感、など種々の感情、を言葉に表現するときの脳の活動は、脳に入ってくる感覚信号に直接対応するのではなく、身体の中の神経細胞の間だけでの信号伝搬です。

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言葉と脳内電気信号

2007年01月11日 | 2言葉は錯覚からできている

しかしこれらの言葉をしゃべっているとき私たちの脳(中枢神経系ともいう)の神経細胞(ニューロンともいう)はどういう物質変化を起こしているのか? それを考えたとき、すべての信念はぐらついてきます。

科学の立場で見ると、世間話であろうと数学であろうと哲学であろうと、どんな内容を話すためであろうと言葉を使っているとき、私たちの脳の中では膨大な数の神経細胞膜の電圧がパルス状に変化(活動電位という)し、それにともなって神経伝達物質が分泌されて、膨大な量の神経細胞間電気信号の伝達(シナプス伝達という)を調整しています。

人間が言葉をしゃべっているときに限らず、動物が運動するときはいつも脳内の神経活動があり運動信号を作り出して脳から神経系(遠心神経系という)を介して全身に送り、いろいろな筋肉を収縮させたり、弛緩させたりしています。それで運動が起こる。つまり、外から見えるように身体が変形したり、顔色や表情が変わったり、全身が移動したり、身体に接触する物に力を加えたり、声や音が出たりしているのです。動物の運動というものはそういう物理化学的現象、つまりは物質現象の一種です。それだけです。それしかありません。二十世紀の中ごろから発展した神経科学(日本では脳科学ともいう)は、神経細胞の連結からなる神経回路網を流れる電気信号の伝達現象が知覚、記憶、学習、思考など精神活動の基盤になっていることを示しました(一九四九年 ドナルド・ヘッブ『行動の組織化』)。現在、その原理を疑う科学者は、ほとんどいません。

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人間にとって最も存在感があるものたち

2007年01月10日 | 2言葉は錯覚からできている

ふつうの人が日ごろ気にしてしまう言葉は、「命、心、欲望、存在、言葉、自分、生きる、死ぬ、愛する、憎む、幸福、不幸、世界、人生、美、正義・・・」というようなものでしょう。こういう、目に見えないものを表わす人間にとって最も存在感がある、印象の強い言葉は、科学では説明できないが最も重要であり根源的なものだ、と思われてきたわけです。円周率などと違って心に響く存在感があります。この世の神秘的な、神聖な、崇高な、あるいは尊厳のあるものを表現しているという気がします。しかもこういう言葉を使いこなすことによって私たち現代人は社会を維持し、互いにつきあい、そして個人の人生を生き抜いていくわけです。

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