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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

動物に聞いたわけではないが

2007年01月19日 | 2言葉は錯覚からできている
Hatena20

それは進化の結果できた、たぶん人類にだけある特有な神経回路の活動です。大きな大脳皮質を使わなければ不可能なほど複雑で膨大な、神経信号の操作なのです。人間以外の動物が、「心、欲望、存在、言葉、自分、生きる、死ぬ、愛する、憎む、幸福、不幸、世界、人生、美、正義・・・」、のようなものを感じているとは考えられません。猿が自分や他人(他猿?)の死をイメージするでしょうか? きちんと観察すれば、そんなことはありえないことが分かります。

命、心、自我、生死など、そういう目に見えない神秘的なものに強い存在感を感じるような脳の働きは、人類が他の動物と分かれて進化して来た過程で獲得したものに違いありません。動物が感じる世界には、こういうものは存在しません(と動物に聞いたわけではありませんが、筆者は確信しています。その理由はだんだんと述べます)。つまり、これらの神秘的な抽象概念に対応するものに強い存在感を感じることは、この数百万年間の進化競争を勝ち抜いてきたホモサピエンスの脳の神経機構だけが作りだす人類特有の錯覚現象なのだと思います。

拝読ブログ:認知科学ってなんだ!? 

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心脳二元論は錯覚の存在感からくる

2007年01月18日 | 2言葉は錯覚からできている

筆者の考えでは、しかし、これは難問ではありません。答えは簡単です。

「命、心、欲望、存在、言葉、自分、生きる、死ぬ、愛する、憎む、幸福、不幸、世界、人生、美、正義・・・」こういう主観に絡む抽象概念に対応する存在感やそれに伴う不安、神秘感、尊厳、などもろもろの感情は、物質現象としては目に見えず手で触ることもできないのにはっきりと存在感があるわけですから、いわゆる錯覚です。物質としては存在しないのに存在感だけが感じられるのです。人間の脳神経系の中だけにある物質現象です。その脳の持ち主本人だけが自覚できる錯覚の存在感です。

拝読ブログ:錯覚って素晴しい♪

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心脳二元論はダメ

2007年01月17日 | 2言葉は錯覚からできている

またわき道にそれていくので話を戻しましょう。確かに脳科学がある程度進んできた現代、昔からの哲学の問題に科学者が答えられるようになったのではないか、と期待される面もあります。哲学や心理学の問題は、結局は、脳の物質現象を含めた物質科学として、科学者が解明するべき問題なのでしょうか? しかし、多くの科学者は難問だと言います。科学者は、ふつう科学以外のことを考えるのは嫌いですから、難問だと言って逃げているところがあります。それに、こういう問題を科学の思考法で考えようとしても歯が立ちませんから、本当に難問だ、と感じるのでしょう。

脳神経科学でも、主観的な心理問題はどう扱ってよいか分からないので、科学者は「主観的な心の問題は、今研究している物質としての脳の部分々々の科学とは別」といって無意識のうちに心脳二元論に逃げていきます。ちなみに、ノウ、nousというと、フランス語では「私たち」という意味だし、ギリシア語では「心」という意味です。駄洒落はさておき、科学者は逃げていき、この問題を引き受ける役と思われている哲学者たちは「心脳二元論は、昔の心身二元論と同じで論理的におかしいからだめ」と否定するばかりで分かりやすい一元論的な説明はできていない(一九八六年 ジェニファー・ホーンズビー物理主義思考と行動の概念』)という状況です。これは大変な難問のように思えますね。

拝読ブログ:言葉を獲得したというそのプロセスも

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哲学にも物理学にも数学モデル表現の効用あり

2007年01月16日 | 2言葉は錯覚からできている

Hatena19 哲学の論文も数学的な字面になってきて、いかにも真面目な研究に見えます。学会で発表したり、大学で講義したりするにも、メリハリが利く、という効用もあるのでしょう。しかしまあ筆者に言わせれば、数式を羅列して説明しなくてよいことまでわざわざ数式で書いている傾向がある。数学で表現できることは言葉でも説明できます。拙稿のようなエッセイ風の文章でも、書き方を工夫すれば、高等数学の内容も書けるわけです(若干牽強付会?)。ただし、上手な数学的表現は大きな発展性を導くことがある。地動説天動説座標変換による数学的表現の変更だといえるし、地動説にもとづくニュートン力学の座標変換そのものを力学変量に繰り込んだアインシュタインの相対論力学も、またを対象として力学を書き直した量子力学も、それぞれの数学表現の選び方に成功の鍵がありました。コンピュータの発展も二進法の採用によるところが大きい。表現はいろいろ試してみることがよいでしょう。表現を変えるだけでは内容は変わらない。ただし理論の進化と発展は表現のしかたに大いに依存することがよくある、ということです。

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心はニューラルネットの作動過程?

2007年01月15日 | 2言葉は錯覚からできている

数学モデルとして提唱されたニューラルネットワークが、情報科学認知科学の研究のための脳神経系の有力なモデルとして一九八〇年代頃から注目されはじめました。この分散型の情報処理システムは、現代のフォンノイマン型のコンピュータに取って代わる次世代のコンピュータではないか、という期待が計算機科学に影響を与え、また人間の脳のモデルになるとして認知科学の基礎理論になりました。ニューラルネットワークの研究が心の問題を解決できると言う考え(コネクショニズムという)や、それをさらに発展させて、常識的な心理学(素朴心理学などともいう)のいう欲望や信念など心的現象概念に関する経験的心理法則はすべて脳の働きをニューラルネットワークの作動過程とみなすことで物理的に理解できるはずだ、という考え(消去的唯物論などという)が、特に英語圏で発展した分析哲学の系譜に繋がる現代哲学では盛んになっています。心的な概念に実体が伴わないという言い方は、拙稿の考えと似ています。ただし人間観察から考察する拙稿と違って、現代哲学や認知科学では、ニューラルネットワークの数学的構造と数学的表現から導かれるシステムの特性を示すことで心的現象を説明しようとする傾向があるようです。確かに数学モデルを使えば、コンピュータシミュレーションなどがどんどんできるので、面白い。

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