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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

枯れススキを幽霊と錯覚

2007年01月24日 | 2言葉は錯覚からできている

認知心理学などの用語としての錯覚より、かなり広い概念になります。言葉の意味を広げすぎているという批判を覚悟でこうしたわけは、人間どうしが目や耳の感覚器官で直接に間違いなく経験を共有できる物質現象と、それ以外とを、できるだけはっきりと分けるためです。間違いなく経験を共有できる物質現象とそれ以外とは、かなりはっきり分けられますが、物質現象ではない物事どうしは、曖昧さが連続していてどこかで切り分けることは難しいのです。つまり、狭い意味の錯覚(枯れススキを幽霊と錯覚など)と拙稿が使う広い意味の錯覚(心の存在など)とが連続していることを強調したいわけです。

拙稿の用語法によれば、日常生活で私たちが使っている一般的な言葉のほとんどは錯覚に基づいて使われていることになります。物質を指差さずに言う抽象名詞(三角形正義・・・)や集合名詞(社会、家族、会社、国家、人類・・・)、動詞(ある、する、なる、好く、嫌う、したがる・・・)、価値や感情に関する形容詞(正しい、怖い、いやらしい・・・)などは、ほとんど全部、錯覚から作られていることになります。これらの言葉はどれも、物質を指す言葉に比べると、曖昧で何を指しているか、それなのかそれでないのか、どちらとも言えるような分かりにくいところがあります。私たちは、幼児の頃からこういう言葉を使っているので、どういう場面でこれらの言葉が使われるかよく知っていますが、さて改めてその意味は、と聞かれるとちょっと自信がなくなるところがありませんか? これらの言葉がはっきりと実体を持っている、と思うのは錯覚なのです。

拝読ブログ:だって久しぶりだもんよ

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錯覚という言葉の使い方

2007年01月23日 | 2言葉は錯覚からできている

Hatena21 言葉遣いで誤解を生まないように、ここで、拙稿での「錯覚」という言葉の使い方を説明しておきましょう。ここから数ページくらい、やむを得ずちょっと哲学っぽいというか、あるいは科学的というか、理屈っぽくてしつこい説明になりますが,要するに言葉の整理だけです。そのあとはふつうの言葉遣いに戻りますので、しつこい話が嫌いな人は(二番目の・・・行まで)飛ばしてください。

・・・

拙稿では、物質現象としては目に見えず手で触ることもできないのにはっきりと存在感が感じられるものをすべて錯覚と言うことにします。目に見える物質現象にきちんと対応させることはできないけれども、ある特定の物事を思い出すと特定の存在感を感じる感情が起こり、運動形成神経系や自律神経系が無意識に動き出し、それを言葉で言い表すとたいていは誰にも分かってもらえるもの。そういうものは全部、錯覚ということになります。たとえば、「心、欲望、存在、言葉、自分、生きる、死ぬ、愛する、憎む、幸福、不幸、世界、人生、美、正義・・・」、のような物事は錯覚になります。

拝読ブログ:Dragon Illusion

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錯覚の存在感の研究は百年先?

2007年01月22日 | 2言葉は錯覚からできている

現在の科学では、脳機能の精密な観測方法が開発されていないので、これら錯覚現象は研究の対象にはなりません。いずれ観測装置が開発される時代(百年くらい先か?)がくれば、これらの存在感が自然科学の研究対象になることは間違いありません。ただし、そのときには神経科学の対象はいまよりずっとひろがり、種々の動物の感覚機構やコンピュータ内の人工神経系などの研究が発展しているでしょう。「神経科学」という分野名は発展的に解消されていて、数百万人の会員を擁する国際学会を持つ「存在科学」とでもいうような大きな研究領域ができているはずです。その時代の科学者たちの間で、特に人間が感じる存在感だけに興味が集中しているということもないと思われます。

拝読ブログ: 安定的に成長し続ける脳

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身体運動を脳内でシミュレーションする

2007年01月21日 | 2言葉は錯覚からできている

獰猛な、あるいは迅速な獲物を狩るには、自分自身と獲物と道具(投石とか槍とかこん棒)の三者が三次元空間で高速運動する過程を、瞬時に正確に失敗なく、予測しなければなりません。そのためには運動の実行以前に身体の動かし方を何度も頭の中でシミュレーションして練習することが効果的です。失敗が許されないロケットの打ち上げ前には必ず、大規模で正確なコンピュータシミュレーションがなされる。それらシミュレーションの結果得られた運動の特徴はデータ圧縮され、整理されてメモリに蓄えられ、似たような事態が実際に発生したときに、高速で再生されて状況の判断に使われます。それが人間の脳が作り出す将来の事態の予測イメージ、さらには目に見えないものたちの存在感、などの錯覚現象となっていったのではないでしょうか?

拝読ブログ:将来に思いを巡らす

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大脳とコンピュータのアナロジー;力学シミュレーション

2007年01月20日 | 2言葉は錯覚からできている

二百万年前の旧人類ホモ・ハビリス)の化石では、頭蓋容積が急に拡大していて大脳の急な発展を示しています。人間以外の動物が使わないような大脳皮質神経回路の使い方が始まったのでしょう。二百万年前におきたこの中枢神経系の飛躍的なパワーアップは何に使われたのでしょうか?

ちょっとしたアナロジーとして、五十年前におきた人工頭脳、つまりコンピュータ、の情報処理能力の急な拡大を考えてみましょう、一九六〇年代に集積回路の出現によりスーパーコンピュータが可能になったとき、飛躍的に増大したその高速計算能力は何に使われたか。戦闘機大陸間弾道ミサイルの飛行シミュレーション核兵器爆発過程シミュレーション気象予測シミュレーションです。つまり、三次元空間での力学系の複雑な運動過程を高速計算で模擬する大規模高速シミュレーションに使われたのです。

では二百万年前に人類が入手した大脳新皮質の高速計算能力は、当時、何に使われたのか? 興味深い諸説が提起されています。石器のハンドリング、言語の発生、あるいは投石のコントロールに使われた、など(一九九八年 リチャード・ドーキンス虹の解体』)です。ここで僭越にも筆者の推測を言わせていただけば、この世界最高性能の大容量高速生体計算機(人間大脳小脳)は、狩猟生活における人間の身体運動という力学系の高速シミュレーションとそれを応用した物質世界の変化の予測、特に高度の情報圧縮によるその記録と高速再生、さらにはそれらを応用した錯覚の形成のための情報処理に使われるようになった、と考えられます。

拝読ブログ:疑似科学に踏み込む脳科学

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