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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

現実世界だけが表

2012年11月21日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

人と共有できる現実世界。それに対して人と共有できない私の内面。少なくともこの二つの世界にまたがって私たちは生きている、と思われています。人と人が社会を作って言語を話す以上、どうしても私たちが互いに共有しているものだけが絶対的な存在感を持つ。話せば話すほど、書けば書くほど、現実世界だけが表に出てくる。

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物質からなる現実

2012年11月20日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

Millais_order_of_release_2 限りなく絶対的な存在である物質からなる現実世界に取り込まれることができないもの、私の内面というようなものは、いかがわしくあぶない影のようなありかたになるしかない。人間の身体はそう感じるようにできています。

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現実と私の内面

2012年11月19日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

現実はあまりにも確かに、ここにはっきりとある。そしてその現実と同時に私は私の内面があるように感じられる。その他にも、人によっては神秘的な世界、霊的な世界、愛や希望があるようにも感じられるようです。

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内面とは何か?

2012年11月18日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

Millais_leaves ところが私が感じ取るものはこれらの客観的な物質ばかりではない。身体の内部からくる感覚、感情、私自身の考えなどが感じ取れます。そういうものは私の内面であって、私以外の人には感じ取れるはずがありません。こういうものは、それでは現実ではないのか?

よく分かりませんね。そのような私の内面とは何なのでしょうか?

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客観的な物質としての私

2012年11月17日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

日常生活では、私たちが現実をこのように感じ取る身体を持っているということから出てくる結論を知っていれば、判断に困ることはありません。現実の物質世界はここにこうある。私の身体もまた、現実の物質であるから、同じように、ここにこうある。このような現実は、目の前の机が物質としてありのままに見えるように、だれが感じ取っても同じです。私の身体もまた、裸にしたり解剖したり顕微鏡で見たりすれば、どこまでも細かく、客観的な物質として、だれが見ても同じものです。

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