この現象は、そもそも人間の脳が、人間の身体を見るときに、石ころを見る場合とは違う神経活動を起こしているところからくる。人間は無意識のうちに、人体の中に命や心を見る。これはたぶん、生れつき人間の脳に備わっている仕組みの働きでしょう(この機構の生得性について、実験心理学では仮説として示唆されることがあるが脳神経科学では脳神経機構としては同定されていない)。私たちが人間を見ると、その身体の中に命と心があるように見える。石ころの中には命や心は見えませんね。私たちが人間を見るとき、無意識のうちに、相手の内側に滑り込んでその心を感じている。拙稿の用語ではこれを憑依という。憑依を起こす神経機構が人間の脳にはある。この憑依機構が自動的に働く結果、私たちは完璧に人の形をしたものを見ると、それが人のように動いて、人のように物事を感じ取っている、と感じる。無意識のうちに直感でそう感じてしまうわけです。ところが、死体を見る場合、私たちの、この無意識の憑依機構は混乱する。それは人のように見えるけれども、私たちは死体にはうまく憑依できない。ぜんぜん動かないし、視線を向けても声をかけても、反応しない。憑依しようとする無意識の神経活動は空転し、人なのか人でないのか、はっきりしないその物体の存在感は揺らぐ。
死体を見ると、まず命と心への信頼感が揺らぐ。命というものが不気味に変質して命ではなくなっている。心というものも変に変質して心ではなくなっている。この死体のどこかに、その不気味に変形した心が隠れているのではないか。死体を見ると、人間は、そういう恐怖のようなものを感じる。その恐怖が、嫌悪となり、目をそむけたり逃げ出したくなったりさせる。死体への、その恐怖と嫌悪の感情が、人間が自分の死を恐れる気持ちにつながっていくのでしょう。
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