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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

変形した心への恐怖

2008年01月25日 | x5死はなぜあるのか

この現象は、そもそも人間の脳が、人間の身体を見るときに、石ころを見る場合とは違う神経活動を起こしているところからくる。人間は無意識のうちに、人体の中に命や心を見る。これはたぶん、生れつき人間の脳に備わっている仕組みの働きでしょう(この機構の生得性について、実験心理学では仮説として示唆されることがあるが脳神経科学では脳神経機構としては同定されていない)。私たちが人間を見ると、その身体の中に命と心があるように見える。石ころの中には命や心は見えませんね。私たちが人間を見るとき、無意識のうちに、相手の内側に滑り込んでその心を感じている。拙稿の用語ではこれを憑依という。憑依を起こす神経機構が人間の脳にはある。この憑依機構が自動的に働く結果、私たちは完璧に人の形をしたものを見ると、それが人のように動いて、人のように物事を感じ取っている、と感じる。無意識のうちに直感でそう感じてしまうわけです。ところが、死体を見る場合、私たちの、この無意識の憑依機構は混乱する。それは人のように見えるけれども、私たちは死体にはうまく憑依できない。ぜんぜん動かないし、視線を向けても声をかけても、反応しない。憑依しようとする無意識の神経活動は空転し、人なのか人でないのか、はっきりしないその物体の存在感は揺らぐ。

死体を見ると、まず命と心への信頼感が揺らぐ。命というものが不気味に変質して命ではなくなっている。心というものも変に変質して心ではなくなっている。この死体のどこかに、その不気味に変形した心が隠れているのではないか。死体を見ると、人間は、そういう恐怖のようなものを感じる。その恐怖が、嫌悪となり、目をそむけたり逃げ出したくなったりさせる。死体への、その恐怖と嫌悪の感情が、人間が自分の死を恐れる気持ちにつながっていくのでしょう。

拝読サイト:不気味なレゴ頭蓋骨DEATH

拝読サイト:ホラー

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骸骨はなぜ怖いか

2008年01月24日 | x5死はなぜあるのか

Poussin_bacchus_2 そういう自然現象である死の存在と、人間の脳が死に恐怖を感じることとは、本来、何の関係もないはずです。それでも、人間の脳は、死というものを恐怖と強く結びつけて感じます。それはなぜでしょうか? 死を怖がるという脳の働きが、なにか人類の生存に有利に働いているのでしょうか?

死が怖いと考えている人は、実際、何を怖れているのでしょうか?

死のイメージとして、骸骨の絵が良く使われる。骸骨はだれかの死体です。死ぬ前は生きていた人間だったはずです。

生きている人体を見る場合、人間の脳は、他の無生物を見る場合と違う内部反応を起こす。生きている人体は、命と心を宿すかのように感じるからでしょう。この現象が死体を見る場合の(怖いとか不気味だとかの)特有な情緒反応を作り出すもとになっている。私たち人間が、骸骨など死んだ人体を見る場合、ただの石ころを見るような気持ちにはならない。骸骨を見た人間の脳は、生きた人体を見た場合にそこに心を感じる神経反応と深く関連した、特別の神経反応を起こしている。

死体は生きている人体に似ているけれども、違う。動かない。見つめている私たちを見返す視線を向けてこない。会話ができない。眠っている人も動かないけれども、それとは全然違う。死体は息をしていない。心臓が鼓動していない。顔色がおかしい。触ると土のように冷たい。肉がもげていたり破損していたりなどして見かけがおかしい。つまり、命と心が感じられない。それなのに、生きている人間のようにも見える。特にその人が生きていたとき間近に接した経験があれば、なおさらです。心の代わりに、霊魂とか妖気、のような神秘的なものがあるように見えるわけです。それが不気味に感じられる。それで命や心の存在感が揺れ動き、不安から死体への嫌悪と恐怖の感情が引き起こされる。

拝読サイト:生物学的な「ヒト」と、仮定の上の「芸術」、そしてフィクションとしての「人間」

拝読サイト:目玉商品

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遺伝子技術による格差問題

2008年01月23日 | x5死はなぜあるのか

現代の科学は、人間を含むあらゆる生物のDNA配列(ゲノム)を読み取ることを可能にしました。料金は一人一億円以上かかるそうですが、米国で(そのうち日本でも)専門会社に委託すれば、だれでも自分のDNA配列(ゲノム)全部を読み出してもらえるそうです。そのデータがあれば、何歳頃になればどの程度老化が進んで、どのガンでいつ頃死ぬか、かなり正確に予想できる。心配な病気についてだけの検査ならば、ずっと少ない料金だそうです。さらにもう少したくさん料金を出せば、遺伝子工学の医療が受けられて、寿命は何パーセントか延びるようになる。

さらに数十年後の将来には、先端科学を応用した高価な医療を施すことで、人間が百数十年、さらには数百年以上も生きつづけることが可能になるでしょう。しかし、その時代になっても、生物は死なないとうまく子孫を残せない、という自然原理は働く。つまり寿命を長く延ばすほど延命医療にかかるコストが幾何級数的に膨大になっていって、ごく一部の金持ちしか恩恵にあずかれない。そのため、国民全体の平均寿命はほとんど変わらない可能性が大きい。実際はたぶん、そうなる前に、貧富格差による身体能力やルックス、寿命などの二極化により上下の社会階層が固定される懸念が政治的な問題になってくる。そうなれば、遺伝子技術の人体応用は法的に規制されるでしょう(cf 二〇〇七年 マイケル・J・サンデル『完全化への反論』)。いずれにせよ人類が存続する限り、未来の人間といえども、不老不死になるわけにはいかないようです。

拝読サイト:はげるリスクを遺伝子診断

拝読サイト:[ニュース] 人間の寿命が10倍延びる技術開発!【義務教育90!?

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赤の女王仮説

2008年01月22日 | x5死はなぜあるのか

Poussin_narcissus_n ウイルスや細菌など病原体の進化に対抗する人体の免疫系の防御的な進化(赤の女王仮説などという{一九七三年 レイ・バン・バレン『新進化法則』})、などが典型例です。(男女を問わず)同じ人間がいつまでも子を作り続けると、同じ免疫体質の人間ばかりが多くなって、ウイルスの速い突然変異に免疫系の応答変異で抵抗できる人間が生まれてこなくなり、(人間に限らずどの生物種でも)種族は滅びてしまう。子から孫、ひ孫への世代交代を早め、違った体質の人間を次々に増やすことで、ウイルスの速い変異に対抗できるDNA配列〈ゲノム〉を早く作り出し、種族を生き残らせることができる。

そういう自然現象として、動物は(植物も)、自分が手に入れた生存圏を、自分よりもう少し環境適応能力が高くなる可能性のある子供たちに明け渡すために、老いて死んでいく。人間も同じ。それを繰り返している。私たちの身体が今ここにあるのもそういう自然現象の一環です。

生物はそういう身体に作られている。つまり、それは複雑ではあっても何の神秘もない、そういう機構を備えた生物だけが、変化し続ける生態系環境、たとえば食料となる植物群や捕食し捕食される動物群が変化し続け、害虫、病原体、ウイルスなどが変化し続けるこの地球上で生き残り、子を産み育て繁殖していく。これは神秘でもなんでもない。進化という単なる自然現象、つまり物質世界の法則が繰り返される結果です。

拝読サイト:赤の女王とお茶を

拝読サイト:和光同塵: 2007年版冬の炬燵の読書録-その28-

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バージョンアップした表現型

2008年01月21日 | x5死はなぜあるのか

生物の身体はいつか壊れる。しかし、生物は形あるから壊れる、というばかりではなく、ちゃんと壊れるように進化してきたのです。

生物の身体は生殖(と育児)を何回か終えて一定の年齢になると、きちんと老化して壊れていくように設計されている。それは生物の身体というものが、個体が生き延びるためにあるのではなく、遺伝子(DNA配列。ゲノム)が生き延びるように進化が進んだ結果、自然に起こった現象だからです。進化の結果、種ごとに固有の寿命がDNA配列(ゲノム)に書き込まれているわけです。

自然の生存競争においては、まったく同一のDNA配列(ゲノム)を何度も複製して、いつまでも同じ能力の生物の数を増やしていくよりも、速く世代を交代させて、新しく再配列されたDNAを使う遺伝子発現システム(遺伝子型)を早く生存競争にさらして淘汰させるほうが競争に勝つ。なぜならば(病気になりにくいとか、食料が少なくても繁殖できるとかの)生存能力をレベルアップした新しい繁殖システム(表現型という。生物の身体構造や生態、生得的行動などのこと)をなるべく早く出現させ、新しい環境に適応していくほうが、その遺伝子発現システム(遺伝子型)自身が生き残りやすい。

ちなみにこの状況は、経済界での企業の生存競争にも似ている。携帯電話やパソコンの型が古くなると、すぐ店頭から消えてしまうのはなぜか? グローバリゼーションの競争的な環境下で市場シェアを確保するためには、絶え間なく研究開発を続け、つねにバージョンアップした新製品とその生産販売システム(表現型)を実現し続けなければ、その会社(遺伝子型)は市場に生き残れないからですね。

拝読サイト:書評:ドーキンス『利己的な遺伝子』

拝読サイト:微生物を構成する最小ゲノムと、人工生命の合成

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