ちなみに、このことわざ(地獄の沙汰も金次第)は、なかなか含蓄にとんだ言葉で、筆者は、近代日本文明の偉大な哲学のひとつ、と高く評価しています。この言葉が印象深い理由は、いくつかありますが、まず地獄といわれるわけの分からない世界での、エイリアンのような閻魔とか鬼とかの不気味な謎の(中国の不思議な役人のような)存在が相手である会話であっても、言葉が通じる限りは人間界共通の経済原則が通じるはずだ、という強烈な信念。そのポジティブな世界観に伴うネガティブな人生観、つまり、人生でまじめに努力して何をなそうと、金があってそれを簡単に金で買ってしまう人にはかなわない、という暗いニヒリズム。そして同時にそのニヒリズムへの嫌悪感がある。嫌悪を感じるけれども、その現実に目をそむけて逃げる人は敗北する。自分がそれ、というのはいやだ。そういう現代人のアンビバレンスをうまくあらわしている。嫌いだけれども、しかたなく認めてそれに追従しなければならないのが現実、という人生の捉え方を教える。またさらには、市場主義経済の自律性のメリットと腐敗のリスクを教える。そして最後に、そんな現実社会のアイロニーを教える。実に教育的なことわざですね。
しかれども、愛は金で買えない(一九六四年 ポール・マッカートニー『キャント・バイ・ミー・ラブ』)。若者はいつも、そう叫ぶ。それもりっぱな真実。逆に言えば、それ以外のたいていの幸福は金で買える。だから、愛のためには金が必要だ。現代人はそう思っているわけです。
拝読サイト:「世界で唯一、カネだけが無色透明で、フェアな基準」考
拝読サイト:格差問題はどう考えればよいのか