正月から使い始めた手帳の今日の欄。時間ごとに予定が書いてありますが、終わった予定はもう見ない。たまに見返す機会もないことはありませんが、警察にアリバイとして見せるとかいった特殊な場合を除けば、ふつう過去の細かい記録はあまり必要ではありません。
いちおう去年の手帳も取っておきますが、まあもう二度と見ないでしょう。若いころは、晩年に自伝を書くときのための記録として手帳を取っておくことが必要だろう、などと思ったものですが、いまこの年になってみると、社会的な自尊心や自己顕示欲というものがすっかり薄くなっていて、過ぎた人生は夢のようです。かすかに残っているセンティメントが古い手帳を捨てさせないのでしょうが、そのうち引き出しを整理する時にそれも忘れて案外あっさりと全部捨ててしまうような気がします。
拝読ブログ:J・エドガー - マダムようの映画日記