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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

晩年に自伝を

2012年02月14日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

正月から使い始めた手帳の今日の欄。時間ごとに予定が書いてありますが、終わった予定はもう見ない。たまに見返す機会もないことはありませんが、警察にアリバイとして見せるとかいった特殊な場合を除けば、ふつう過去の細かい記録はあまり必要ではありません。

いちおう去年の手帳も取っておきますが、まあもう二度と見ないでしょう。若いころは、晩年に自伝を書くときのための記録として手帳を取っておくことが必要だろう、などと思ったものですが、いまこの年になってみると、社会的な自尊心や自己顕示欲というものがすっかり薄くなっていて、過ぎた人生は夢のようです。かすかに残っているセンティメントが古い手帳を捨てさせないのでしょうが、そのうち引き出しを整理する時にそれも忘れて案外あっさりと全部捨ててしまうような気がします。

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自伝的記憶

2012年02月13日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

Khnopff_schumann00 このような自伝的記憶 、つまり自分を主人公とする絵巻物が私たちの時間感覚の土台になっています。この絵巻物の左の端(西洋人なら右の端か)から、私たちは明日を語ります。私たちは、明日に関してそういう概念を持っています。

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老人の役割

2012年02月12日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

人間に限らず多くの動物はそういう時間劣化する記憶システムを持っています。人間や動物にとって昔のことは重要でなくなるが、最近のことは重要である。つまりそういう記憶装置を備えていることが生活に便利だからでしょう。

まあ年寄りは近年のことよりも自分が若いころのことをよく覚えている。それはたぶん、それが原始時代の老人の生き方であったからでしょう、文字や書物やインターネットがない時代、若い人々に知識を伝承するという老人の役割がそういう記憶を必要としていたと思われます。

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人間の記憶はアナログ式?

2012年02月11日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

Khnopff_requiem 過去の記憶は、結局は、いま何をするか、現在の行動に反映するために使われるものです。いま何をするかに関係が深い最近の記憶は鮮明です。逆に遠い過去の記憶は、いま役に立たないから薄れていきます。

過去は風化する、というか古い写真のようにセピア色になって時間劣化し、不鮮明になり、最後は分からなくなります。コンピュータのデジタル記憶データが時間劣化しないことと対照的ですね。アナログデータは時間劣化するがデジタルデータは時間劣化しない、ということから類推すれば、人間の記憶はアナログ式でしょうか?

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人生絵巻の主人公

2012年02月10日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

私たちが何かするときはこのように自分が何をしているか分かっていて、したことは記憶しています。もちろん時間がたつと忘れていきますが、ふつう過去にした大事なことはきちんと記憶できます。

自分がしようとしてしたことを意識的行動といいますが、これにはしっかりした記憶が伴っています(エピソード記憶という)。こういう記憶は自分が過去にした行為を時間列で並べた歴史絵巻のようにつながった記憶になっています(自伝的記憶という)。この絵巻物の最後の端に今の自分がいる、と私たちは思っています。ここから、私たちは自分がどこから来て、何であって、どこへ行くか、を知ることになります。

私たちは自分が昨日から今日の今という時点へ来て、この人生絵巻の主人公であって、明日の未来へ行く、ということを知っています。

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