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誰も認めてくれなくてもいい、僕さえよければ

『イタリア人はピッツァ一切れでも盛り上がれる』より

イタリア人は「誰かに認めて欲しい」なんて思っていない

 日本のニュースを読んでいると、何かの賞を受賞した人がよく、「認めてもらえて嬉しい」というようなコメントをしている。東京で喫茶店に入った時も、隣席にいたOLが友人に、「上司も同僚も認めてくれない」という悩みを打ち明けていたことがあった。この、「誰かに認めて欲しい」という声は、イタリアではとんと見聞きしたことがない。

 イタリア人の友だちは、誰もが何かしら情熱を傾けて追求するものを持っているが、彼らの姿勢から伝わってくるのは、「私はとにかくこれが好き!」というパッションであって、「認めて欲しい」という欲求とはちょっと違うような気がする。相棒の従姉妹のジュリアは、20代後半の理学療法士。学生の頃から演劇に夢中で、社会人となった今も、時間があれば仲間と一緒に芝居の練習に励んでいる。そんな彼女が「小劇場でお芝居をすることになったから観に来て」と言うので、親戚一同そろって観に行くことにした。

 演目は、シェイクスピアの代表作『ハムレット』。オフィーリアを演じることになった彼女は、難解で長いセリフの丸暗記はもちろん、ヒマさえあればオフィーリアに関する本や絵画を探しまくり、衣装、メイク、髪型から性格判断まで、あらゆる角度から研究して彼女なりのオフィーリアを作り上げることに情熱を傾けていた。それを知っていた私たちは、彼女の晴れ舞台がとても楽しみだった。

 従兄弟ら4人がそろって車に乗り込み、劇場へ向かう道すがら、ジュリアが突然こう言った。

 「お願いがあるの。舞台で何があっても、絶対に笑わないって約束して」

 珍しく真顔で、深刻そうな彼女の声の調子に、私たちはちょっと戸惑った。

 「おいおい、大丈夫だよ。失敗しても笑ったりしないよ。それにあんなに頑張って練習したんだから、トチッたりしないさ。もっと自信を持てよ」

 頼もしいお兄ちやんのルチアーノが、そう言ってジュワアを励ました。すると彼女は、「違うのよ。私のことを言ってるんじゃないの。問題は、〝ハムレット〟なのよ」とため息まじりに、告白した。

 「実はハムレット役の男性がね、ものすごいローマ訛りなの。でもすごく真面目な人で、一生懸命練習したのよ。演出家も何度も発音や話し方を注意して、彼も何ケ月も取り組んできたの。でも、ホントに可哀想なんだけど、どうしてもアクセントがローマ訛りになっちゃうのよ。だから万が一、ハムレットがべタベタのローマ弁でセリフを言っても、笑わないって約束して!」

 なるほど、〝ローマ訛りのハムレット〟か。それは確かに、想像すると笑えるかも……。

 ローマ訛りをどうお伝えすればいいか悩むところだが、簡単に言うと、かなりくだけたアクセントで、強い巻き舌はちょっと粗野な印象を与える。江戸っ子のがらっぱちとか、活きのいい関西弁のような感じ、とでもいおうか。そんな口調で苦悩しまくるハムレットというのは、確かにかなり無理がある設定だった。

 劇場で合流した他の従兄弟グループ4人と私たちは、後方右側の席に一列に並んで座った。もっと前へ座るつもりだったが、万が一ハムレットに何か起きたら吹き出す前に退避できる席にしよう、ということで場所を変更したのだ。

 いよいよ幕が開いた。予想に反して、劇はたいした混乱もなく順調に進んだ。ジュリアのオフィーワアはキュートで、衣装もメイクもばっちり決まっていた。演出もかなり斬新な手法で、素人集団とは思えないレベル。寸暇を惜しんで情熱的に取り組んで来た役者たちのエネルギーが舞台上で弾け、観客が惹き込まれていくに従って、舞台上の役者たちもエスカレートしていった。

 そして第三幕。ハムレットのあの有名なセリフのシーンになって、熱演を続けていたハムレットのアクセントが突然、崩れ始めた。

 「生きるか、死ぬかり!? それが問題やっ、ちゅうねん」

 我々の一列は、全員がとっさに頭を膝に抱え込んで、なんとか爆笑を凌いだ。しかし、それは単なるプロローグにすぎなかった。そこから先、ハムレット役の彼は天井知らずでヒートアップを続け、「どこまでが僕で、どこからがハムレットかわからない」というトランス状態へと突入していった。熱が入れば入るほど、ローマ訛りはキツく、声は大きくなり、他の配役の完璧で美しい台詞回しとの対比がますます鮮やかになっていった。〝笑ってはいけない〟という掟があると、ハムレットの訛りはどんどん強調されて聞こえてくる。そんなわけで、私たちは第三幕以降ずっと、頭を下げて自分の靴を見つめつつ、ぷるぷると肩をふるわせながら必死で耐える羽目に陥った。途中、我慢できなくなった二人が退場したが、一列全員がそろって席を立つわけにもいかないので、残された者はひたすら耐えるしかなかった。
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