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哲学の歴史

『哲学』より 哲学の歴史 現代

絶対的観念論

 19世紀前半は、ドイツの絶対的観念論運動が支配的だった。ドイツの観念論者には形而上学的な精神が染み込み、18世紀の偉大なる体系構築者、スビノザ、ライプニッツが持っていた野望の一部が復活した.この学派の3人の偉大な思想家、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルは、みな新教の牧師の息子で神学を学んだ。彼らの思考には宗教的な影響が顕著に見られる。彼らはカントに従い、人間の意識を第一の形而上学的事実として捉えたが、実在に単一の形式を与えるのではなく、心もしくは精神をその構成要素とみなした。もしも宇宙が思考と同一であるとしたら、自分の考えることで我々は実在を特徴づける絶望的な心に精神の知識に至ることができる。

 こうした形而上学的楽観主義は、当然ながら、経験的探究を知識の基礎とする哲学への再評価という反動をもたらた。フランスでは、オーギュスト・コントの実証哲学が科学的裏付けのない知識を拒否し、宗教的ヽ形而上学的思考は時代遅れだとみなした。彼は社会を科学の研究対象として捉えるべきだと主張し、「社会学」という言葉を作り出した。イギリスではミルが経験主義者の立場から似たような課題を介護し、発見の帰納的論理を作りだそうとした。政治においてミルは自由主義者であり、社会を改善するために父のジェイムズ・ミルとジェレミー・ベンサムの功利主義的倫理学を発展させた。それよりも急進的なマルクスは1848年の『共産党宣言』で、資本主義組織と階級社会の打倒を呼びかけた。

 ショーベンハウアー、ニーチェ、キルケゴ-ルが代表する学派も、19世紀の重要な思想のひとつだ。彼らはそれぞれ異なる形で理性と科学への信仰に異を唱えた。ショーペンハウアーは現象の背後に知ることのできない実在があるとしたカントの考えを受けいれながらも、人間の経験の核に非理性的なものを認めた。ニーチエも理性を人生のカギとなる力として尊ぶ啓蒙思想に異を唱え、キルケゴールは個人の主観的意識の現実性に重きを置いた。

現象学

 一方、ドイツでは、これとは別の伝統の基礎が作られていた。フッサールは、哲学は考える主体から始まるべきだとするデカルトの理論に戻り、意識に直接現れてくるものを記述するにとどめる哲学へのアプローチを表して「現象学」という言葉を作った。フッサールヘの批判を通して、ハイデガーは「現存在」という、抽象的な人間存在でありその自身による世界内での位置づけ方であるものを理論の中心に据えた。のちの思想家、とくにサルトルの実存主義的現象学にハイデガーが与えた影響は計り知れない。

マルクス主義

 2つの世界大戦、ナチスによるユダヤ人大虐殺、ロシアと中国における共産主義革命は時代の政治哲学に衝撃を与えた。レーニンによるマルクス主義の唯物論的解釈はマルクスに基づくとともに、社会主義の東側諸国で追求され、変化をもたらす際の共産党の役割といった実際的な問題へと向かった。レーニンは哲学を世界を記述するものと見るのではなく、マルクスのように世界を変える道具、階級闘争の武器だとみなした。しかし、20世紀後半には、マルクス主義の語る歴史のような壮大な物語への信奉は薄れ始めていた。

ポストモダニズム

 20世紀の思想家の多くは、ルネッサンス以来優勢だった実在の体系的かつ完全な説明と、人間の進歩に関する楽観的な見方にますます懐疑的になっていく。第二次世界大戦の終結以来、彼らの見解はしだいに融合し、ポストモダニズムと呼ばれる動きへと至る。その立場はたとえばキルケゴールの哲学や、客観的な知識やひとつの「真理」といった観念へのニーチエの懐疑に代表されるような、啓蒙的価値に批判的だった19世紀哲学の要素を受け継いだ。真理という観念は力が姿を変えたもの、合理性は不合理な世界に対する人間のこじつけだとするニーチエの見解は、リオタールやフーコ-など20世紀の哲学者に深い彫響を与えた。
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