goo

宗教を存在の力に活かす

今後の宗教と存在の力

 やはり、宗教の力を借りないと存在の力になりえない。ということで、「神」の分析をした。

 今後の宗教に対して、三大要素は個人化、批判精神、グローバル化です。これを存在の力で解釈します。

 集団に縛られていた個人が解放され、人々は批判精神を存分に発揮する。さらに、グローバル化により、膨大な情報が手に入りことによって、必要に応じて、掘り出すことができる。

 これから、宗教的意識のコペルニクス的転回が始まっている。

 宗教を個人に伝達し、義務付けていた集団は、その役割を終えた。個人が自らの個性を開花させるために、宗教を自由に選択する時代に入った。ヨーロッパにおける、集団的宗教が瓦解し始めた。

 原理主義者によって、宗教崩壊が始まったわけではないけど、彼らの行動は人目についたのは確かです。個人の自由を強く求めることが変えるもとになる。アラブの春もそこから来ているという見解です。

 宗教が取り込むべきことは、生きる意味の探求であり、カタチにするのは存在の力です。組織から解放された後でも、個人は変わることなく、存在の謎について考え、本質的な疑問を抱き続けるはずです。

 人生の成功とは何か、苦しみや死に直面した時にどうすべきか、どういう価値観で生きるべきか、どうすれば幸福になれるのか、自己とも他者とも和合し、心安らかに生きるにはどうすべきかという、終わりなき問い。

 個人と集団、個人の利益と公共の利益との相互連関について、グローバル化した世界を視野に入れて、考え直す。

イヴとアダムの物語

 ユダヤに伝わるこの話は知っていますか。神が最初に創造したのはイヴであり、アダムではなかったという話です。でもイヴは、楽園で暮らすうちに退屈してしまい、仲間を創ってほしいと神に頼みます。そこで神は動物たちを創りますが、イヴはそれでも満足できず、今度は自分に似ていて、共犯者になれそうな仲間が欲しいと神にねだります。神はこうしてアダムを創ることになりましたが、その時イヴに一つの条件を課します。彼女が男性より先に創造されたことは、男性の傷つきやすい自尊心を損ねないために、彼には決して打ち明けてはならない、という条件です。そして最後に神は、「これは永久に私たち二人の……女性同士の秘密ですよ!」と締めくくったそうです。

宗教における女性蔑視の傾向

 大部分の宗教に、女性蔑視の傾向が見られますね。前に述べたように、人類の定住化はほとんどの場合、家父長制という男性優位の制度のもとで起こりました。家族を支配する男性たちは、村や町を、次いで都市を支配・統制するようになり、同じように宗教においても支配権を手にします。それによって、女性は副次的な役割に追いやられ、さらにはその役割を取り上げられました。こうして女性は、家庭の中でのみ役割を与えられ、男性の保護下に、つまり監督下に置かれることになったのです。この男性支配の構造は、後に神学的裏づけを与えられ、社会に定着していきます。

 女性差別を正当化している聖典の多くが、女性は何よりもまず男性を誘惑する存在であり、その誘惑から男性を守ること--女性を人目に触れさせないよう覆い隠し、万が一間違いを犯したら女性を罰すること--が肝要であると説いています。そして、女性が祭祀を執り行えない理由として、諸宗教は月経中の女性の機れを前面に押し出しています。「女性に血の流出があり、その血が女性の身体から流出するとき、その女性は七日間、月経で穢れた者とされるだろう。また、その女性に触れる者も、夕方まで不浄とされるだろう。穢れた状態にある女性が横たわる寝床は、すべて不浄とされるだろう。誰であれ、彼女の寝台に触れる者は、自分の衣服を洗い、その身を水で清めなければならない。その人は、夕方まで不浄とされるだろう」と言っているのは、『モーセ五書』の一つである『レビ記』(15章19‐22)です。そういう女性がどうして祈祷など行なえるだろう、ということですね。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 政治とは 承... 「自分中心に... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。