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クロアチアEU加盟問題 「バルカン」から「ヨーロッパ」へ

『クロアチアを知るための60章』より

クロアチア人にとって自国の「ヨーロッパ入り」は悲願であったと言っても過言ではない。クロアチアは当然にヨーロッパの国でしょ、という意見もあるかもしれない。しかし、話はそうは簡単ではない。そのことを語るには、紀元395年まで遡らなくてはならないのである。395年とは、ローマ帝国が東西に分裂した年である。

西ローマ帝国は476年に滅亡する。旧西ローマ帝国領において、その後に展開されるのは、国力の差が比較的小さな複数の大国によって行われた覇権争いであった。こうした国際関係はヨーロッパ的であり、現代の国際関係の原型ともなっている。

東ローマ帝国が滅んだのは1453年であった。東ローマ帝国はそれよりかなり前に衰えていたとはいえ、東ローマ帝国の滅亡は、東地中海地域における覇者がオスマン帝国へと交代したことを象徴する出来事であった。覇権国が周囲の小国を従えるというオスマン帝国の国際関係は、実はアジア的であり、その典型は中国であった。

非常に乱暴に言えば、395年の境界は、ヨーロッパとアジアとの境界なのである。そして、現在のバルカンは、はぼ頃ローマ帝国領内に含まれていた。

395年に引かれた東西ローマの境界は、ドナウ川とその支流サヴァ川に沿っていた。その境界がクロアチアを走っているのである。もちろんのこと、この「ヨーロッパ=アジア」の境界は永続した訳ではない。そして、この境界自体が、ローマ帝国の東西分裂後に祖先が移住してきたクロアチア人の意識を直接に創り出したわけでもない。しかし、クロアチア人は、ヨーロッパの南限に居住しているので南隣はバルカン、という意識を強く持っている。それは、クロアチア人の強固なヨーロッパ人意識に結びつき、クロアチアがバルカンに含まれることへの反感を反射的に呼び起こすのである。

独立したクロアチアの初代大統領であったトゥジマンは熱狂的なクロアチア民族主義者であり、すなわち、強固なヨーロッパ人意識の持ち主でもあった。トゥジマンは、1990年に実施された独立前のクロアチア議会選挙においても、クロアチアの「ョーロッパ入り」を目標として掲げていた。この場合のョーロッパとは、EUであったが、クロアチアのEU加盟は、単にヨーロッパ地域機構の一員となるだけでなく、独立クロアチアの存在理由にもかかわる問題であったのである。

EUの側としても、ユーゴ解体後の地域の発展と安定化を重視しており、クロアチアの加盟は歓迎するところであった。すなわち、EUは2000年6月に、西バルカン諸国(ァルバニァ、クロァチァ、ボスニァ、ユーゴ連邦に対して、加盟の前提として締結されるべき安定化連合協定を示し、加盟の準備を呼びかけたのである。こうした働きかけは、それまでのEU拡大の歴史において例外的な動きであった。

しかし、クロアチアのEU加盟は決して順調に進んだわけではなかった。そもそもトゥジマンはクロアチア内戦を勝ち抜いた「建国の父」とはいえ、その権威主義的な政治手法、身内のスキャンダルには国内の反感が高まっていた。さらに、ボスニア内戦の期間中にセルビア人地域に行った軍事侵攻に関連して、戦犯疑惑も浮上していたのである。しかし、トゥジマンは1999年12月に現役大統領のままで死亡した。「死人に口なし」であった。

国民が2003年11月の議会選挙で選択したのは、若き穏健派サナデルの下で非民族主義政党への脱皮に成功したクロアチア民主同盟であった。サナデル政権にとっても、戦犯問題はクリアすべき雌問であった。高齢のボペトコは2003年4月に死去していたが、ゴトヴィナ引き波しは雌航した。そのために2005年3月開始予定のEU加盟交渉は延期された。しかし、交渉はオーストリアのに作のゆえに10月に始まり、ゴトヴィナも12月にカナリア諸島で身柄を拘束された後にICTYに移送された。

2006年10月から加盟の本交渉も始まり、EUの内閣とも言える欧州委員会も支持を表明していた。サナデルのクロアチア民主同盟は2007年H月の議会選挙において、過半数獲得には失敗したが第一党を維持し、サナデルは引き続き政権を担当していた。しかし、サナデルは2009年7月に突然首相を辞任した。その後、2011年12月の議会選挙の結果、クロアチア民主同盟は下野した。

この間もEU加盟交渉は順調に進み、隣国ズロヴエニアとのさまざまな問題もほぼ解決した。交渉は2011年6月に終了し、12月には加盟条約に署名が行われた。それを受けて、加盟の可否を問う国民投票は2012年1月に実施され、その結果は66%が加盟を希望するというものであった。3月にはクロアチア議会が満場一致で加盟条約を批准した。

こうして、クロアチアは2013年7月にEU加盟を果たすことになる。そのことは、クロアチアにとって、ヨーロッパの一員であることの何よりの証左であり、念願の「ヨーロッパ入り」の実現なのである。

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