未唯への手紙

未唯への手紙

個人=超国家を経て、変節点に向かう

2015年09月30日 | 4.歴史
オレンジのタブレットの使い方

 オレンジのタブレットの使い方の検討。まずはデータを厳選させます。音声などをキッチリ入れておきます。後は写真。外出時のマシンとして、ネット接続しないでも検索できるようにする。パートナーの資料はここでは必要ないです。

 本もコンスタントに読めるようにします。エッセイもプレゼンも最新状態にします。

10.5「変節点」

 意思の力の時代では、ハイアラキーに基づき、国民国家のほかに、様々な権力が働いた。宗教は人の心を捉えた。イスラム教の戒律、キリスト教の来世への希望、法然の南無阿弥陀仏などは、貧しい人を救うという名目で拡がっていった。また、ヒットラーの全体主義、スターリンの大祖国戦争、毛沢東の農民主体の革命では、数千万人がカリスマの横暴の犠牲になった。

 個人レベルの意思の力が革命家を生んだ。チェの南米革命、ルソーのフランス革命、ソクラテスのアテネ政治、デカルトの科学技術。生活に直結すると同時に、矛盾を拡大させた。

 いまは、進化する時です。民主主義は限界をむかえている。数学の空間認識が18世紀以来変わってきている。ジョブスなどによって、個人に変革を起こすという思いが、IT技術として揃ってきた。進化の武器は揃った。

 個人の認識として、生きている意味を問うことで、存在の力を手にしている。共有の意識から教育・会社・家庭において、新しい日本的循環を作り出せるところに来ている。

 2050年の変節点が見えてきた。これは日本などというレベルではなく、宇宙の歴史としての変節点になる。人類はそれに耐えられるかは、一人一人の意識に掛かっている。同時に、変節点のあとの世界をイメージする時です。

10.6「個人=超国家」

 変節点へのシナリオを考えると、次の次として、「個人=超国家」が想定される。突拍子もないように思われるが、自分という存在を考えた時に、内には大きな存在だけど、外から見たら、無である。つまり、存在と無が同居している。集合論で考えた時に、集合=点にすることで、次元を超えることができる。

 この数学的な形態を存在の力で個人と組織に当てはめると、個人-中間-超国家になり、国家ではなく、コミュニティがキーになる。それで、変節点までの社会の様相も変わってくる。中間として、地域インフラを据えることで、個人と超国家間の伝播が可能になる。

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