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知られざる大国ポーランド

『スラヴの十字路』より

北はバルト海、南はカルパチア山脈を国境とするが、東西は見渡す限りの平原が続く、西スラヅ最大の国ポーランド。ポーランドという国名自体、「野の国」「平原の国」という意味なのである。

平原に位置するこの国は、自然の障壁を持かないため、敵の侵略を容易にした。ポーランドはドイツ、ロシア、オーストリアなどさまざまな国の支配を受け、国家の消滅まで経験した。歴史上、多くの悲劇に見舞われてきたポーランドだが、この国ががっては中・東欧を代表する、そしてヨーロッパでも有数の大国であったことは、あまり知られていない。

ポーランドが国家として形成されるのは一〇世紀後半のことだが、大国として姿を現すのは、一三二〇年に分裂していた王国が再統一され、さらに一三八六年にリトアニア大公国と連合し、ヤギェウォ朝が開かれてからである。これ以降、ポーランド王国は発展し、その繁栄は一六世紀まで続く。その版図にはポーランドとリトアニアだけでなく、現在のウクライナ、ベラルーシ、そしてロシアの一部も入っていた。

当時、ポーランドがいかに大国だったかは、その文化面からも知ることができる。イタリアから広まったルネサンスは一五世紀後半にはポーランドにも波及し、一六世紀になるとポーランドの文化は高度に発達し、「黄金時代」を迎えるのである。それは華麗で、国際色豊かな文化だった。この時期に地動説を提唱したコペルニクスやプーシキン以前のスラヴ圏内における最大の詩人と称されるコハノフスキがポーランドから現れたのも、偶然ではない。コペルニクスやコ(ノフスキはヤギェウォ大学に学んでいるが、この大学は一三六四年の創設で、ヨーロッパ有数の歴史を誇り、ドイツ最古のハイデルベルク大学より二二年古い。こうしたことも当時のポーランドの文化の高さを証明するものだろう。ちなみに、前々ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世や国際的に有名なSF作家レム、ノーべル文学賞を受賞した詩人シンボルスカなどもこの大学の出身である。

ところで、栄華を誇っていたポーランド王国の首都だったのは、ワルシャワではない。首都はポーランド南部の、上記ヤギェウォ大学があるクラクフという都市だった。クラクフは一六一一年にワルシャワに遷都されるまで、王国の首都であり続けたのである。

クラクフは、第二次世界大戦時にポーランドのほぼ全土が焦土と化したにもかかわらず、奇跡的に大きな破壊を受けなかった。そのおかげで、中世以来の街並みや建造物がそのまま残り、現在、この都市はヨーロッパで最も美しい町のひとつに数えられている。ヴィスワ川のほとりに建つ王城ヅァヴエル、中世都市の広場としてはヨーロッパ最大規模で、織物会館などのある中央市場広場、左右非対称の二本の塔を持つマリア教会など、見所満載だ。数多くの文化遺産を残すクラクフの歴史地区は一九七八年に世界遺産に登録されたが、最初の登録地一二件のうちのひとつとして選ばれたのである。

クラクフ近郊には、さらに二つの世界遺産がある。ひとつはクラクフから南東に一五キロほど行ったヅィエリチカの岩塩坑である。最盛期にはポーランド王家の収入の三分の一がここで取れる「白い金」、すなわち岩塩によるものであったという。現在では岩塩の採掘はほとんど行われていないが、壁面の彫刻、シャンデリア、祭壇等、すべてが岩塩でできた地下世界を体感することができる。もうひとつはクラクフの西五〇数キロのところにあるオシフィエンチム、ドイツ名アウシュヅィッツである。人類史上最大の負の遺産とも言われるこの場所に関しては、多言を要すまい。近い距離にあるこの三つの世界遺産を見て回れば、いろいろな意味で人間の「すごさ」を感じることだろう。

クラクフに話を戻そう。この都市には日本とかかわりのある施設もある。それは日本美術・技術博物館、通称「マンガ・センター」である。現在、ポーランドでも日本のアニメやマンガは人気だが、この「マンガ」はそれとは関係なく、美術評論家・収集家のフェリクス・ヤシェンスキの雅号「マンガ」(北斎漫画にちなむ)からとられたものである。彼は何千点にものぼる浮世絵などの日本の美術品を収集していたが、それを展示するためにこの施設は建てられたのだった。建設にあたっては、『灰とダイヤモンド』などで世界的に知られる映画監督ワイダが尽力した。開館は一九九四年で、設計を行ったのは磯崎新である。

この博物館の存在が示すように、ポーランドはヨーロッパを代表する親日の国である。日露戦争で当時ポーランドを支配していたロシアを破った日本に対して、ポーランドの人々は好感情を抱き続けてくれているのだ。ヤギェウォ大学やワルシャワ大学など、ポーランドを代表する大学には日本学科があり、受験生の人気は高いという。それに対し、日本でポーランド語の専攻課程があるのは東京外国語大学ひとつだけである。

たしかに、日本におけるポーランドヘの関心は低い。とはいえ、ポーランドヘの日系企業の進出は旺盛である。現在、二〇〇社ほどが進出しているという。ポーランドの経済成長は堅調で、リーマン・ショックによる世界的な金融危機のあおりを受けてもプラス成長を続けたヨーロッパ唯一の国たった。また、二〇〇九年には日本とポーランドの国交樹立九〇周年を迎えた。今後、両国のさらなる交流を期待したい。
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