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哲学用語

『哲学用語図鑑』より

 歴史

  文献 へ-ゲル『歴史哲学講義』

  メモ 人間の自由は、オリエント世界、ギリシア世界、ローマ世界と進むにつれて発展し、ゲルマン世界で最終段階に達するというのがヘーゲルの考え

  カントは自分の格率と道徳法則を一致させ、それを実践することが自由だと説きました(自律)。けれどもヘーゲルにとっての自由は、そのような個人の内面の問題ではなく、現実社会で具体的に実現されなくでは意味がないものでした。ヘーゲルは、具体的な自由が弁証法によって現実社会で実現する過程が歴史であると考えていた。

  ヘーゲルは、歴史を根底で動かしているものは人間が絶対精神を手にいれて自由になりたいと思う意識であると考えました。そしてその意識は少数の人間が自由になった時代から、すべての人間が自由を手にする時代へと歴史を推し進め、最終的に、人倫といわれる共同体を誕生させると主張しました。

 ルサンチマン

  文献 ニ-チェ『道徳の系譜』

  関連 奴隷道徳

  メモ 元々は「恨み」「怨恨」の意。

  これをニーチェは弱者が強者を憎悪する心理を表す語として用いた弱者が、力ではかなわない強者のことを悪に仕立て上げ、自分を納得させる心理をニーチェはルサンチマンと呼びます。たとえば貧しい人がお金持ちを悪だとみなすことによって精神的に優位に立とうとすることです。

  ルサンチマン 弱者は自分を善、強者を悪と思い込むことによって自分を精神的に優位に立たせる。

  弱者のこの性質によってキリスト教が爆発的に広まったキリスト教は、人々の心の中にあるルサンチマンを道徳という言葉に変えて正当化したので、爆発的に受け入れられたのだとニーチェは考えました。

 力への意志

  文献 ニ-チェ『力への意志』

  関連 ニヒリズム、、遠近法主義、超人

  メモ ニ-チェの「力への意志」という思想には、ショーペンハウアーの哲学の影響が見て取れる

  ニーチェは人の行動原理は力への意志だと考えました。強くありたいという気持ちがすべての感情や行動のもとになっているというのです。人が怒ったり笑ったり悲しんだりするのは自分の力が認められたり、けなされたりするからだとニ-チェは言います。

  部下が挨拶しないと上司は「常識がない」と言って怒います。けれども本当は部下に常識がなぃから怒るのではなく、自分が無視されて悔しいからだとニーチェは考えます。もっともらしく一般的な正義や道徳を持ち出すことには強くありたいという力への意志が隠されているのです。

 永劫回帰

  文献 ニ-チェ『ツァラトゥストラ』

  関連 ニヒリズム、超人

  メモ スイスのシルヴァプラーナ湖畔を散歩していたとき、永劫回帰のアイデアが生まれたといわれている。石ころをいくつかつかんで、地面にばらまく行為を何回も繰り返せば、いつかはまったく同じかたちで地面に配置されます。この行為をさらに無限回繰り返せば、何度も同じ配置になるはずです。

  ところで、原子は100種類ほどあるといわれていますが、すべての物質はその組み合わせによるものです。私たちの世界は原子の組み合わせでできています。

  物事が変化する前後で原子の種類と数は変化せず、時間は無限だと考えると、さきほどの石ころの例のように、私たちが今生きでいる世界とまったく同じ原子の組み合わせは、無限の時間の中で、今後何度も回ってくるし、過去に何度も繰り返されていたことにないます。

  このように考えると時間は円環運動をしていることになり、歴史に進歩や前進はなく、ただ変化のみが存在するのです。ニーチェはこれを永劫回帰と呼びました。

 超人

  文献 ニ-チエへ『ツァラトゥストラ』

  関連 ニヒリズム、永劫回帰

  メモ 超人とは対照的に、創造力に乏しく、単に生をむさぼるだけの人間をニ-チェは「末人」と呼ぶ

  人類には共通の目標があり、歴史はそれに向かって進歩しているというのがヘーゲルの考え方でした。けれども、神が死んだニヒリズムの世界では、人は目標に向けで生きる力を失い、グラグラと毎日を生きることを求めるようになるとニ-チェは言います。彼にとって私たちは円環運動をする時間の中をただ生きてぃるだけなのです。

  ニ-チェはそれでも永劫回帰を肯定します。なぜなら既存の価値に捉われず自分自身で自由に目標を決めることができるからです。

  ニ-チェは永劫回帰を『これが生きるということか。ならばもう一度』と肯定的に受け入れ(運命愛)、既存の価値に捉われずに新しい価値を生み出す人間を超人と呼びます。彼にとって超人とは真の意味で自由な存在なのです。

  (超人は奇想天外な発想で新しい価値を作る。たとえばユダヤ教の教えを破ってでも自分の信念を貫き通したイエス・キリストは新しい価値を生み出した超人。ニ-チェはキリスト教は強く批判したが、イエス本人のことは否定していない)

  ニ-チェによると超人は、奴隷道徳に捉われている人たちから初めは理解されませんが、奇想天外なアイデアで既存の価値を失った重苦しいニヒリズムの世界に風穴をあけます。

  そして、次に訪れるルサンチマンの存在しない世界で、超人たちは子供のように無邪気に楽しく生きることができるのです。

 現象学

  文献 フッサール『現象学の理念』『イデーン』『デカルト的省察』

  関連 現象学的還元、エポケー、志向性、ノエシス|ノエマ、間主観性

  リンゴが目の前にあったら、私たちはそのリンゴの存在を疑ったりはしません。ところがよく考えてみると、この場合確かなことは、自分にはリンゴが見えでいる(自分の意識にリンゴがあらわれている)ことだけであるとフッサールは気づきます。

  にもかかわらず、リンゴは自分の主観の外にあって、なおかつ自分はそのリンゴを見ている(知覚している)。だからリンゴは自分の意識にのぼっているのだと私たちは確信します。

  リンゴだけでなく、他人も自分の身体も過去の思い出も、すべでは自分の意識の中にあるのであって、意識の外には何もないはずです。世界は自分の主観の中だけに存在し、主観の外にはないのです。なのに私たちは、世界が自分の外に実在していることを当り前のように信じています。崖から飛び降らたりしないのはそのためです。

  私たちはなぜ世界の実在を確信しているのでしょうか? その確信はどうやって生まれるのでしょうか? その謎を解明するのが現象学です。
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