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電子書籍 社会への影響

『電子書籍と電子ジャーナル』より 人間と社会への影響 行動に与える影響 認知に与える影響

古代より、人間の文明は文字メディアの存在を基本的な条件として発展してきた。 15世紀のグーテンペルクの活版印刷術は、まだ人口のほとんどにリテラシー(読み書き能力)のない時代の発明であるにもかかわらず、西欧においては宗教改革の勃発、近代科学の成立、国民国家の形成などに直接、間接の影響を与えたと考えられている。メディア論では、これをグーテンベルク革命と呼んでいる。

近代社会は、社会人にリテラシーがあることを前提として成り立っている。近代は、経済、政治、文化のすべてにおいて、多様なメディアのなかでも文字メディアを特権的な位置に据えた時代と言ってよい。それゆえ、文字メディアのコンテナが紙からディスプレイに交代するのだとすれば、それが個人の行為、認知のみならず、社会の在り方と仕組みに大きな変化をもたらすのは確実である。電子書籍の普及が社会に与える影響は、経済的にも政治的にも広く深いものになるだろう。

経済的には、すでに出版、新聞、図書館の業界に大きな影響を与えているのは周知である。電子書籍は、複製、頒布、宣伝のいずれでも印刷書籍より圧倒的にコストパフォーマンスがよい。これまでの産業構造のなかに電子書籍が安定した位置を占めるためには、商慣習や法制度の面で、特に知的財産権に関して未解決な問題は多いが、いずれは産業構造自体が電子書籍の普及に伴って変わってゆくであろう。

経済的な影響は、このような局所的な業界にとどまらない。人類は20世紀になって、物質、エネルギーだけでなく、情報もまた資源であることに気づいた。いまや世界の経済は、物質、エネルギーよりむしろ情報によって駆動している。電子書籍が情報・知識の流通を担う基本的なメディアとなるのであれば(そのときは電子書籍とは呼ばれていないかもしれないが)、人類社会の経済システムそのものを変容させる可能性を秘めている。

政治的にも、影響の大きさは計り知れない。例えば、電子書籍が市民の政治参加を促進し、国境や世代を越えた熟議が活発になり、民主主義を深化させる、といったような、1990年代にインターネットについて言われたのと同じ夢のシナリオを描くこともできよう。しかし、ここでは逆の懸念を紹介しておこう。

米国の市民活動家であるイーライ・パリサーは、インターネット上での読書行為に関して、前述(b)の傾向が民主主義を掘り崩す危険を指摘している。彼がとりわけ心配しているのは、インターネット上のサービスで一般化しているパーソナライゼーションのせいで、人々がますます「たまたま目についた情報、自動的にレコメンドされた情報」ばかりを読むようになることである。

パーソナライゼーションとは、利用者それぞれの属性や行動履歴によって、ネットを介して提供するサービスを最適化することである。具体的には、利用者の性別、年齢、住所などの属性と、ウェブを介した検索、閲覧、購買などの行動履歴を可能な限り記録またはプログラムで推定し、そのデータを元に利用者の興味・関心に適合した情報、ニュース、広告等を自動的に表示する仕組みである。サービスによって、レコメンド、サジェスト、おすすめ、おまかせなどと呼ばれている。

懸念されるのは2点。第1に、既知情報の強化・増幅が起こる。人間には、見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞かない心理的特性がある。例えば、自分と同意見は受容しやすいが、反論や批判は無視しやすい。このような現象は、心理学で確証バイアス、認知的不協和の解消などとして知られている。また、刺激の強い情報(例:ゴシップ、セックス、スキャンダル)や、単純で分かりやすい情報ほど受容されやすいことも知られている。パーソナライゼーションの仕組みは、これらの傾向を助長する。

第2に、未知情報の隠蔽・不可視化か起こる。自分の嫌いなもの、不快なこと、複雑でむずかしい話題は、サービス提供者のシステムによって自動的に遮断されるようになる。パリサーによれば、すぐには理解できない異質な他者(嫌い/不快/複雑な存在)と遭遇して体験する意味脅威こそが学習や創造の機会となるのであるが、パーソナライゼーションはそれを阻害する。

見知ったものだけに囲まれた居心地のよい世界に浸り、むずかしいことを視界から遠ざける仕組みが、民主主義を主体的に支えるべき市民の政治的な判断能力を毀損するというのがパリサーの主張だ。しかし、パーソナライゼーションは確実に企業に利益をもたらすので、今後ますます導入されるであろう。電子書籍の専用機にも汎用機向けのソフトウェアにも、その多くにはすでに組み込まれている。

社会学者の大洋真幸は、電話からインターネットまでを含む電子メディアの普及が、近代国民国家を成り立たせていた近代的主体の変容過程と対応していることを詳細に論じている6)。近代的主体とは、自分の経済的、政治的、社会的な行為の責任を共同体や神仏に帰属させず、自ら全面的に引き受ける個人のことである。電子メディアによって人間の主体性(アイデンティティ)までも変容するのであれば、メディア史の視点から見て、電子書籍の普及(紙→ディスプレイ)は、印刷の発明(写本→刊本)よりも文字の発明(声→文字)に匹敵する人類史の革命的変化なのかもしれない。
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