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ポピュリズムは格差にどう向き合うか

『ポピュリズムと経済』より グローバル化による格差拡大とポピュリズム

人々は格差をどう見ているか

 どの国においても富裕者と貧困者は存在するので、所得格差はどの国においても見られる。その格差の発生原因は様々であるし、国によってもかなり異なる。格差が大きすぎると好ましくないと判断して、いろいろな格差是正策を政府が採用する国がある一方で、格差の存在を必ずしも悪いとは判断せず、政府がほとんど何もしない国もある。政府がどのような態度や政策を取るのかにも、いろいろな背景がある。格差是正策をとればいろいろな副次効果が出現するのでそれを避けたいという動機がある。しかし政府は国民が格差をどう見ているかに注目して、格差の存在が悪であると判断している国民が多くいると知れば、国民に迎合する(これはポピュリストの考え方に通じるところがある)とまではいわないが、何らかの格差是正策を採用するであろう。そうであるなら、国民あるいは人々が格差をどう見ているか、というのは重要な課題となる。

 まずは研究の進んでいる欧米諸国を見てみよう。これに関しては、アルベルト・アレシナらによる有名な研究があるので、その要点を述べておこう。この研究の最終目標はアメリカ人とヨーロッパ人の間で幸福度がどのように異なるのかを知ることにあるが、それを決める重要な要因として格差を考慮した点に特色がある。すなわち、格差の大きいのと小さいのとで、人々が幸福を感じる程度がどれほど異なるかを調査したのであり、いってみれば人々が格差をどう判断しているかが焦点なのである。

 この研究を大まかにまとめると次のようになる。第一に、アメリカ人もヨーロッパ人も双方ともに、所得格差が大きいという事実があれば幸福の程度は低くなる、ということを認めている。すなわち、なるべくなら所得格差の小さい方が人々の幸福度は高まると判断している。とはいえ、微妙な差はある。つまり、ヨーロッパ人の方がアメリカ人よりもこの不幸の程度はやや高いので、アメリカ人はたとえ国民の間で所得格差が大きくとも、ヨーロッパ人よりもそれを合理的と容認する気持ちがあるということになる。逆にヨーロッパ人は大きな所得格差を容認せず、何らかの政策の実行を求める気持ちが強い。

 第二に、ここで述べたアメリカとヨーロッパの差は、それぞれの地域に住む人々の所得の差、すなわちアンケートに回答する人が高所得者か低所得者かということと、それぞれの人々の思想なり主義の違いによって現れている。具体的には、アメリカでの高所得者は所得格差の大きいことを少しだけ気にする(すなわち問題視する)ものの、低所得者はそれをさほど気にしない(すなわち問題視しない)、という特色がある。一方で、ヨーロッパでの高所得者はアメリカとは逆で所得格差の大きいことを気にしない(すなわち問題視しない)が、低所得者はそれを気にする(すなわち問題視する)という異なる見方を指摘している。

 なぜアメリカとヨーロッパの高所得者と低所得者の間でこうも態度が異なるかといえば、著者たちは、アメリカでは開放社会であることから所得階層の移動があるので、低所得者も頑張ればいつかは高所得者になれると信じているのに対して、ヨーロッパでは階層が固定されていて移動がないため、いつまでたっても低所得者であり続けなければならないと思うので、不満の程度が高いと説明している。この説明はおそらく正しいと思われる。もう一つの理由として、筆者はアメリカ人の気質として、努力して成功した人を賞賛する雰囲気が強いので、成功した人をあえて目の敵にしないのだ、と判断している。

 不可解なのはアメリカ人の高所得者の意向である。基本的にはヨーロッパの高所得者と同様に高所得に満足しているものの、その程度がヨーロッパの高所得者より幾分低いことがやや不思議である。アメリカでは自由競争主義が行き渡っているので、経済的な成功者は自分の努力の賜物として得られた高所得を進んで容認するものと予想されて、それが確認されてはいる。とはいえ少しだけの留保があってむしろ、少し気にする(すなわち問題視する)のはなぜなのか。アメリカ人の高所得者は彼らへの高所得税率に抵抗する程度が強く、明らかに自分たちの権益を守ろうとしていることから、なおさら不可解な意思表明と感じられる。ここで推察するに、ピューリタン精神の流れを受け継ぐアメリカ人(高所得者も含めて)は、高い不平等は人間社会にとって好ましくないと思っていて、アンケート調査には少なくとも表面上だけは自分たちの高所得を卑下していると解釈できるのかもしれない。しかし現実の世界では高い所得による裕福な経済生活に満足しているし、高い所得税率が課せられようとすれば反対行動に出るのがアメリカの高所得者である。このアメリカ人の嫌税感は庶民にまで浸透している。例えば共和党支持の保守派にティーパーティの一派があるが、この人々はとにかく税率を下げてアメリカ政府の関与する規模を小さくする運動を行っている。

 ヨーロッパの高所得者に関しては、階級社会が色濃く残っている社会らしく、階級の上部にいる資本家や特権階級は、自分たちが享受する高資産・高所得は親や祖先という前の世代から引き継ぐことのできた、いわば当然の権利であると理解している。自分たちが恵まれた階級にいることに対して嫌悪感はほとんどないといってよい。

 一方でヨーロッパの低所得者は、この階級社会を好ましく思ってないし、左翼思想を抱く人が多くなって、所得格差の是正を求めることとなる。ヨーロッパでは右翼足確には保守主義)と左翼(正確には社会民主主義)の政治対立はよく見られることであり、左翼が政権をとると税や社会保障によって福祉国家の色彩を強めて、低所得階級に有利な政策が導入されてきたことが歴史的な事実として認識できる。一方でこれが行き過ぎたと判断されると、経済活性化を旗印にして右翼が政権をとり、福祉が後退するのが通常である。

 イギリスの戦後の歴史は、保守党と労働党の政権交代が何度もあったので、ここで述べたことの証拠となるし、大国ドイツとフランスも似たような歴史を有している。

再分配政策の意味

 世の中には高所得者と低所得・貧困者が存在しているのは事実であり、高所得者から低所得・貧困者に所得を移転する政策を再分配政策と呼んでいる。どの国においても前者への高い税率と、後者への低いかゼロ税率によって、所得格差を是正したり、社会保障制度における保険料と給付額に差をつけることによっても再分配効果の働くことがわかっている。税や社会保障以外にも、例えば教育の分野でも再分配効果が作用する。

 もとよりどの程度の再分配政策を実施するかは国によって大きく異なる。国民がそれをどの程度望むのか、その望みに応じた政府の政策次第で、再分配効果の強弱が決定する。先進国に限定すると、日本とアメリカがその程度が弱く、ヨーロッパ諸国はその程度が強い。さらにヨーロッパの中でも、再分配効果のもっとも強いのは福祉国家であるデンマーク・スウェーデンといった北欧であり、次いでドイツ・フランスといった中欧で、イタリア・スペインといった南欧ではその効果は弱くなる。再分配効果の強い国ほど所得分配の平等性が高く、逆にそれの弱い国ほど所得分配の不平等性が高くかつ貧困者の数が多くなるのは当然の帰結となる。

 このように記述してくると、ヨーロッパでは所得分配は平等性の高いことが望ましいと考える人が多く、日本やアメリカでは、所得格差は大きくてかまわないと判断する人が多いと解釈できるかもしれない。所得格差が小さいと、高所得を稼ぎそうな有能で頑張る人の労働意欲が阻害されるので経済活性化にマイナス要因になると考え、そういう高所得者は低所得・貧困の多くの人々は本人の怠惰に原因があるとみなすので、手厚い社会保障給付は不必要との声が日米では強く、強い再分配政策を容認しないのだ、と解釈可能である。
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