未唯への手紙
未唯への手紙
端っこにいる人の意識と知識
未唯へ
明日は身辺整理です。パソコンには向かないようにしましょう。まあ、それにしてもどうでもいいことです。
今日は2時間早く、会社を出ます。豊田市の無印が明日からお休みです。
パートナーの次期ネット
パートナーはGMに渡しましょう。自分が何を考えているかをまとめるものに集中させます。出口がないけど。私がやりたいのは地域の活性化。そのあとの新しい民主主義です。そのために、2015年までに何をするかです。自分の内なる社会を外なる社会で生きましょう。
それと行動分析は止めます。今日もなぜ、7時45分から来ていたのか。どうでもいいことです。とりあえず、31日までは話をせずに、早く帰ります。
別にあと三年、これで暮らそうとは思っていない。パートナーは来年にはいなくなるでしょう。今年、居なくなったと思えばいい。とりあえず、今週は口を利くことは必要ないです。
端っこに居る人
今は、あまりにも端っこにいる人たちを相手にすることはできない。そんなことをやっていても、この会社は変わらない。この世界も変わらない。歴史も変わらない。それで意味があるのですか。
世界の片隅で生きているという感覚の人間にとってもたら、行政への意見を言う、パブリックコメントにしても、何も出てきません。
自分の周辺の文句を言っても、全体が変わるかというと、変わらないです。意識が全体に及んでいないと、意味が持ちません。その意識が持てない、組織に対して従順が求められていると思っている以上は、それは反逆です。
端っこに居るとか真ん中に居るとかではなく、単に生きているということです。生きているミッションです。
自分が見聞きしていることから、全ての論理を作っていかないといけない。マスコミはダメです。環境塾の時も、意見はいくつもある。それぞれのフィールドの利害関係で答は変わってきます。それらを聞いて、自分の考えていることとマッチングを掛けるかです。
それには、ものすごく、意識が必要です。そのために図書館がある。それを活用していない。本がある。それも活用していない。
自分の問題として、捉えられていない。そんなことをやっている暇があったら、という論理です。それで自分のことをやっていることで、全ての利益が持っていかれるとか。おおもとが覆されます。
原子力が一番分かりやすいかもしれない。あれで結局、何が起こったのか、何でああなったのか、それに対して、非難していたものをいかに排除してきたのか。
次のことが見つからない。そのためかもしれない。前との関係でやっていく。敗戦となれば、価値観は変わる。あのクライシスでなぜ、価値観が変わらないのか。
だけど、環境専門家はあれで、自分の考え方を変えざるをえなくなった。言っていることを変えています。その瞬間に立ち会ったのが、環境塾の一つの成果です。
冬眠から出ようか
こうなったら、穴から出ましょう。啓蟄です。常に未唯空間に漂っています。
まずは、何にも囚われない証しに、紙を全て捨てます。全て、未唯空間で考えていきます。
ネットワークの次のステップへ行きます。パートナーとは異なる世界です。
明日は身辺整理です。パソコンには向かないようにしましょう。まあ、それにしてもどうでもいいことです。
今日は2時間早く、会社を出ます。豊田市の無印が明日からお休みです。
パートナーの次期ネット
パートナーはGMに渡しましょう。自分が何を考えているかをまとめるものに集中させます。出口がないけど。私がやりたいのは地域の活性化。そのあとの新しい民主主義です。そのために、2015年までに何をするかです。自分の内なる社会を外なる社会で生きましょう。
それと行動分析は止めます。今日もなぜ、7時45分から来ていたのか。どうでもいいことです。とりあえず、31日までは話をせずに、早く帰ります。
別にあと三年、これで暮らそうとは思っていない。パートナーは来年にはいなくなるでしょう。今年、居なくなったと思えばいい。とりあえず、今週は口を利くことは必要ないです。
端っこに居る人
今は、あまりにも端っこにいる人たちを相手にすることはできない。そんなことをやっていても、この会社は変わらない。この世界も変わらない。歴史も変わらない。それで意味があるのですか。
世界の片隅で生きているという感覚の人間にとってもたら、行政への意見を言う、パブリックコメントにしても、何も出てきません。
自分の周辺の文句を言っても、全体が変わるかというと、変わらないです。意識が全体に及んでいないと、意味が持ちません。その意識が持てない、組織に対して従順が求められていると思っている以上は、それは反逆です。
端っこに居るとか真ん中に居るとかではなく、単に生きているということです。生きているミッションです。
自分が見聞きしていることから、全ての論理を作っていかないといけない。マスコミはダメです。環境塾の時も、意見はいくつもある。それぞれのフィールドの利害関係で答は変わってきます。それらを聞いて、自分の考えていることとマッチングを掛けるかです。
それには、ものすごく、意識が必要です。そのために図書館がある。それを活用していない。本がある。それも活用していない。
自分の問題として、捉えられていない。そんなことをやっている暇があったら、という論理です。それで自分のことをやっていることで、全ての利益が持っていかれるとか。おおもとが覆されます。
原子力が一番分かりやすいかもしれない。あれで結局、何が起こったのか、何でああなったのか、それに対して、非難していたものをいかに排除してきたのか。
次のことが見つからない。そのためかもしれない。前との関係でやっていく。敗戦となれば、価値観は変わる。あのクライシスでなぜ、価値観が変わらないのか。
だけど、環境専門家はあれで、自分の考え方を変えざるをえなくなった。言っていることを変えています。その瞬間に立ち会ったのが、環境塾の一つの成果です。
冬眠から出ようか
こうなったら、穴から出ましょう。啓蟄です。常に未唯空間に漂っています。
まずは、何にも囚われない証しに、紙を全て捨てます。全て、未唯空間で考えていきます。
ネットワークの次のステップへ行きます。パートナーとは異なる世界です。
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