毎日、1000件以上のアクセス、4000件以上の閲覧がある情報発信ブログ。花や有機農業・野菜作り、市民運動、行政訴訟など
てらまち・ねっと



 読売新聞が大連立構想をあおり、民主の状況を誘導しようとしていると見れる。読売の渡辺社長がまた、と思っていたら今朝のテレビでもそのような報道。
 新聞を見たら東京新聞も明確に断定していた。
 「・・会合の出席者は、元首相・中曽根康弘や読売新聞グループ本社代表取締役会長の渡辺恒雄・・渡辺は福田政権の誕生にも大きな役割を果たし・・小沢ともしょっちゅう会っている関係。この席で、自民党と民主党の「大連立」が話題に上った。・・中曽根や渡辺は、宿願である憲法改正を実現するためにも、「大連立」を熱望・・」と報道している。

 このあたりの人物の動きは9月21日のブログにも載せた
    ⇒ ◆福田総理の成立の背景や安倍退陣の裏。読売新聞・渡辺ら各新聞幹部

 背景は知っておきたいもの。
 ともかく、当面は、「自民の形勢逆転」との見方は広がるのだろう。
 
人気ブログランキング→→←←ワン・クリック10点
ここのところ6位、7位、8位あたり

● 党首会談で「小沢副総理」一度は合意、17閣僚の配分も  読売新聞 2007年11月5日
 福田首相(自民党総裁)と民主党の小沢代表の党首会談で、民主党が連立政権に参加した場合、小沢氏が副総理格の無任所相に就任することで合意していたことが4日、明らかになった。
 両党首は連立政権の17閣僚の配分を自民党10、民主党6、公明党1とすることでも合意、「大連立」を前提に話し合いが行われていた。

 関係者によると、2日の党首会談では、民主党に割り当てる閣僚ポストとして小沢氏の副総理、国土交通相、厚生労働相、農相が挙がったという。副総理は内閣法に法的な位置づけはなく、あらかじめ首相臨時代理に指名された閣僚を指してきた。政府は、首相臨時代理を組閣時に5人指名しているが、臨時代理順位の1位を無任所相の小沢氏とする方針だったと見られる。
 このほか、自民、民主両党間に設置する政策協議機関のメンバーに民間人も参加することが話し合われた。(2007年11月5日3時0分 読売新聞)

● 検証―自・民『大連立構想』 お膳立て読売・渡辺氏か  11月4日 東京新聞(中日)
 発端は、先月二十五日夜に都内の料亭で開かれた会合だった。

 会合の出席者は、元首相・中曽根康弘や読売新聞グループ本社代表取締役会長の渡辺恒雄、日本テレビ取締役会議長・氏家斉一郎ら。渡辺、氏家は福田政権の誕生にも大きな役割を果たし、首相・福田康夫に、大きな発言力を持つ。民主党代表の小沢一郎とも「しょっちゅう会っている」(閣僚経験者)関係とされる。この席で、自民党と民主党の「大連立」が話題に上った。

 中曽根や渡辺は、宿願である憲法改正を実現するためにも、「大連立」を熱望している。ただ、大連立が実現するとしても、次期衆院選後だと考えていた中曽根は、「衆院解散前に大連立ができるんですか」と質問。渡辺は「できます」と応じた。

 二十八日には若いころ中曽根の秘書を務め、今も中曽根側近の前官房長官・与謝野馨が小沢と都内のホテルで共通の趣味である囲碁の公開対局を行っている。
 福田は翌二十九日朝、自民党幹事長・伊吹文明に党首会談の調整を指示した。「小沢氏は応じないのでは」と懸念する自民党幹部もいたが、福田は「受けるでしょ」と軽くいなした。その言葉通り、小沢は同日夕、あっさり会談を承諾した。
 「党首会談をお膳(ぜん)立てしたのは渡辺氏」。複数の与野党幹部は、こう口をそろえる。
 福田の「大連立」打診にはどんな背景があり、小沢はなぜ申し入れを拒むことになったのか。そして、傷ついたのはどちらだったのか。舞台裏を検証した。  (政治部与野党取材班、敬称略)

■検証『大連立』頓挫
 福田、小沢の一回目の会談がセットされたのは十月三十日。福田は新テロ対策特別措置法案の成立に協力を求めたが、小沢は「自衛隊の海外活動は国連決議に基づくものに限るべきだ」との持論を展開。平行線が続き、再び会談することになった。二人とも連立は話題にしなかったと説明しているが、自他共に認める大連立論者の渡辺が仲立ちをして会談が実現することが広がると、与野党幹部の間では「当然、大連立の話もしているはずだ」との憶測が渦巻いた。
 二日午後三時から始まった再会談。福田は自衛隊海外派遣の恒久法を検討する代わりに、新法案への協力を求めた。
 しかし小沢は、ここでも原則を譲らなかった。平行線のまま一時間経過すると、福田は「あなたの原則と新法案が法的に合うか検討してみる」と中断を提案。会談をしていた国会から首相官邸に戻って、官房長官・町村信孝らと対応を協議した。
 小沢も、党本部に戻り民主党代表代行・菅直人や幹事長・鳩山由紀夫と対応を検討。鳩山らは「もし大連立を提案されたら、『小沢首相』の実現が条件だ。就任したら、すぐに解散すればよい」と小沢が安易な妥協をしないようくぎを刺した。
 午後六時半の再開後、福田は「国連決議で認められた活動に限るという前提で、恒久法がつくれるかどうかを検討する」と小沢の主張を丸のみする考えを示した。さらに、「今日の状況の中で力を合わせないと政策実現できない。連立を組んでいただけないだろうか」と、ついに本題を持ち出した。
 小沢は「そんな大きな話はここでは決められない」と回答を留保。約一時間で会談を打ち切り、党幹部と協議するため党本部に戻った。
 福田は、成算があったのだろう。会談後、伊吹に「もし、民主党がオーケーの返事を出したら、政策協議機関を設置して滞っている政策を中心に実行する」と指示。直後に記者会見した伊吹は「ボールは民主党にある」と、民主党に決断を促した。

  ■     ■
 だが、ほどなくして福田のもとには、期待に反する知らせが届く。
 「誠意ある対応をしていただきましたが、結果として、のめません」
 小沢は二日午後九時半すぎ、民主党本部八階の代表室で、福田に電話で大連立拒否を伝えた。
 小沢は党首会談終了後、民主党の役員会に出席。「政策協議が(大連立の)入り口だが、どうだろう」と切り出した。
 小沢は「政策協議をしていけば、参院選で掲げた公約を実現できる。ただし、本当の意味での政権交代ではない。国民がどう見るかも分からない」と、大連立参加のプラスとマイナスを説明した後、「両院議員総会を開こう」と提案した。小沢は最後まで連立への賛否は口にしなかったが、党の正式な議決機関である両院議員総会の開催を提案したことからも、小沢が連立に傾いているのは明らかだった。
 しかし、これに対し「政権に入ることが目的なのではない。政権交代が目標だ」「大政翼賛会的で国民の反発を招く」と反論が続いた。発言者は六人。全員反対だった。
 小沢は「みんながそう言うのなら、分かった」と決断。大連立構想は表に出てから、わずか数時間で頓挫した。
 町村は記者団に「答えがこんなに早く出るとは思わなかった。しかも、ノーという答えが。意外であり、かつ残念だ」と福田の思いを代弁した。

  ■     ■
 自民党の連立パートナー、公明党代表・太田昭宏に大連立打診の可能性を福田から知らされたのは、二日午後二時半の与党党首会談の席だった。大連立が実現すれば、公明党は自民党から使い捨てにされかねず、党内は動揺した。
 小沢が連立の打診を持ち帰った後、公明党は、常任役員会を開いて対応を協議。その最中に、民主党が申し出を拒否したとの一報が入ってきた。
 ある幹部は「ボールを投げたと思ったら、あっという間に返ってきた。そして、ボールはなくなってしまった」と皮肉な笑いを浮かべた。
 小沢は、提案を持ち帰ったことで党内の疑心暗鬼を招いた。
 福田はいきなり切り札を切ったのに成果は得られず、公明党の不信も買った。
 「福田も小沢も両方傷ついた」
 自民党の閣僚経験者はこうつぶやいた。 (敬称略)(東京新聞)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   あるブログ ⇒ 世に倦む日日
● 安倍晋三の統一教会祝電醜聞と自民党総裁選 - 渡辺恒雄の戦い 
 
・・館伊知郎との昨年末のインタビューのとき、渡辺恒雄は「内閣から新自由主義者を追い出さないといけない」と堂々と宣言した。私はテレビの前で溜飲を下げ、思わず拍手喝采したが、この「新自由主義者」とは言うまでもなく竹中平蔵を指す。年が明けて、すぐに堀江貴文が逮捕された。そして半年を経たずに宮内義彦の子分である村上世彰が逮捕された。有言実行。男らしい。東大人脈をフルに動かしている。木村剛が落城すれば、次はいよいよ竹中平蔵の本丸に迫る。利権絡みの醜聞なら竹中平蔵には腐るほどある。福田康夫が白旗を上げる前に、タイミングを見て渡辺恒雄が雑誌を動かしたのだ。これで福田康夫も一息つける。これから、安倍晋三(電通・米国)と渡辺恒雄(共産党・東大)の間の熾烈な情報戦が始まる。スキャンダルは一個や二個ではないだろうが、安倍晋三の側の戦略も万全で、二の手、三の手が残っている。最初のカードは小泉首相の昨日の記者会見で、誰が聞いても分かるとおり、安倍晋三に対する支持表明だった。・・


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(こんな発信もある) あるWebページ

● 電網木村書店 Web無料公開『読売新聞・歴史検証』  
 (13-5)最後の「独裁」継承者はフィクサー児玉誉士夫の小姓上がり

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
● 渡辺 恒雄/TUNEO WATANABE  座右の銘『百忍自ら憂いなし』『静観自ら得る』
         渡辺 恒 経歴
 
読売新聞社 社長・主筆  渡邊 恒雄
大正15年 5月30日生
昭和24年 3月 東京大学文学部哲学科卒
同 25年11月 読売新聞社入社

同 55年 6月 常務取締役・論説委員長
同 58年 5月 専務取締役・論説委員長
同 60年 6月 専務取締役・主筆兼論説委員長
同 62年 6月 副社長・主筆
平成 2年 6月 代表取締役・副社長・主筆
同  3年 5月 代表取締役・社長・主筆


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
● 党首会談、ずれた認識 「合意なき話し合い」に終わる  11月6日 朝日
2007年11月05日23時05分
 福田首相と民主党の小沢代表の党首会談の結果について両氏の認識の食い違いが5日、明確になった。小沢氏は(1)自衛隊の海外派遣は国連活動への参加に限る(2)連立ができれば補給支援特措法の成立にはこだわらない――の2点について、首相が小沢氏の主張を「丸のみ」したと強調したが、首相は5日、いずれも明確に否定した。トップ会談をテコにインド洋での給油活動再開に道を開こうとした首相と、連立政権樹立を急いだ小沢氏。両氏の思惑のずれから、党首会談は「合意なき話し合い」に終わった。
 「こだわらないって? こだわってるんですよ、私は」。首相は5日夜、記者団に「新法断念」を打ち消した。首相周辺も「すべては新法をどうするかということを起点としたうえでの党首会談だった」と語り、首相が新法をあきらめるわけがないと強調する。

 自民党幹部によると、小沢氏は党首会談で新法断念を求めてはいない。「(新法は)少し直せば、1週間でできる。連立さえできれば、すぐできる」。法案の修正で歩み寄れるとの考えを示したという。
 自衛隊の海外派遣は国連決議に基づくものに限る。国連活動であれば武力行使も可能――。小沢氏はそうした同氏の「原理原則」に首相が同意したと述べ、「政府方針の大転換であると同時に憲法解釈の大転換」と高く評価。連立協議を受け入れてもいいと判断した最大の理由にあげた。

 確かに首相は、自衛隊の海外派遣の枠組みを定める恒久法(一般法)について「小沢氏の主張もあり、国連決議や国連の承認した活動を原則にやっていこうという話し合いはした」と認め、小沢氏の主張を受け入れる考えを示した。
 政府・与党のこれまでの検討では「国連決議を条件にすると使い勝手が悪い」との考えが強く、自民党の小委員会が昨年夏にまとめた条文案では、国連決議や国際機関の要請がなくても派遣が可能との考えを打ち出した。首相が小沢氏に歩み寄ったのは間違いない。

 しかし、このことがイコール小沢氏のいう国連活動の枠内なら海外での武力行使も許されるという憲法解釈の変更を容認したことになるかというと、疑わしい。
 首相は5日、「国連決議があれば何でもかんでもやるのか」と述べ、現行の憲法解釈の枠内を想定していることを示唆。政府・与党内ではまた、恒久法とは別に「特例的なものを国会の議決でつくることは法制上十分ありうる」(伊吹文明自民党幹事長)としており、米国を念頭に「特定の国の軍事作戦を我が国は支援しない」ことまで首相が認めたという小沢氏の認識とは食い違う。

 連立をどちらが提案したのかの説明も相反している。小沢氏は4日の会見で、小沢氏側が呼びかけたとする一部報道を「事実無根」と強く否定した。首相は公式には「あうんの呼吸」との説明にとどめている。しかし、自民党幹部の解説はこうだ。「首相は『個別テーマを話し合い、その先で連立を考えたらどうか』と言ったが、小沢氏は『まず連立を組まないと党内がもたない』と強く主張した」
 「メモ、いちいちとってるわけじゃない。思いが違うということはあるかもしれませんよ」。首相が5日夜、語ったように、記録もなく、第三者も同席しない「ブラックボックス」の中での話し合いこそが、さまざまな憶測をうみ、小沢氏の辞任表明などの政局混乱の原因となった。

● 国会:会期延長問題は与党ペースか 民主“混乱”で   11月6日 毎日
 福田康夫首相は5日、自民党の伊吹文明幹事長に国会会期(今月10日)延長について民主党との協議に入るよう指示したが、小沢一郎代表の辞意表明で司令塔不在の民主党は「国会どころではない」(幹部)状態で、延長問題も法案審議も与党ペースになりつつある。民主党内は党首会談で「大連立」の合意寸前だった衝撃が尾を引いており、大連立を回避するには与党との対話に応じた方が現実的との空気が広がっている。失敗に終わった「大連立ショック」が、皮肉にも「対話ムード」を呼び込みつつある。

 「いろんな判断があるが(個々の法案をめぐる)協議も動き出した。話し合いの雰囲気を大事にしたい」。伊吹氏は5日午後の党役員会でこう発言し、福田首相と小沢代表の2度の党首会談による「効果」を強調した。
 焦点の新テロ対策特別措置法案を審議する衆院テロ防止・イラク支援特別委員会は5日午前、海上自衛隊の給油量の誤りに気づきながら報告を怠ったとして、海上幕僚監部の寺岡正善・元防衛課長を参考人に招いたが、寺岡氏が出席を拒否し質疑は行われなかった。
 野党は「寺岡氏を呼ばなければ法案の質疑には応じない」と反発したが、与党が傍聴を認めない「秘密会」にして7日の特別委に寺岡氏を招致する「アイデア」を出し、与野党が合意した。

 これで、野党も6、7両日の法案質疑に応じることになった。審議時間は与党が採決の目安とした30時間を大きく上回る。小沢氏が党首会談で同法案成立に協力する姿勢を見せたことで、民主党は与党の8日採決方針に徹底抗戦する勢いが目に見えて弱まりつつある。

 「対話ムード」が最も顕著なのは、「政治とカネ」をめぐる政治資金規正法の改正問題だ。民主党は5日の与野党国対委員長会談で合意できなければ、単独でも改正案を提案し、自民党に「踏み絵」を迫る考えだったが、取りやめた。逆に民主党の山岡賢次国対委員長が議論を続けるための作業部会の設置を提案、「協調路線」へ切り替わりつつある。

 参院の外交防衛委員会では、野党が与党の反対を押し切って守屋武昌・前防衛事務次官を8日に証人喚問することを決めているが、与党は5日、江田五月議長に「喚問を決めた手続きに瑕疵(かし)がある」と強く抗議。議長は民主党幹部に「野党単独の証人喚問にならないか心配している」と懸念を伝えた。こちらも議決のやり直しなど与党との調整が行われる可能性が出てきた。【竹島一登、小林多美子】毎日新聞 2007年11月5日 21時33分 (最終更新時間 11月6日 0時17分)



コメント ( 0 ) | Trackback ( )




 今年は秋の花の開花の時期が違った。
 ところで、香りのいい金木犀は有名。岐阜市周辺では10月中旬に咲く。

 木犀の仲間で、いつも一番早く咲くギンモクセイ・銀木犀。今年は遅かった。
          7007年10月13日のブログ
 どれくらいの遅れかというと、去年のキンモクセイの開花と同じころ。
         2006年10月12日のブログ

 金木犀の後に咲くのがヒイラギモクセイ。
 葉に棘のあるヒイラギとモクセイの交配だそう。

 先週の水曜日、岐阜地裁での裁判の時、ふと気づいたら咲いていた「ヒイラギモクセイ」。去年、ここにあるのを見つけた。

 なお、柊(ヒイラギ)の花はまた、違う。
 インターネットでみると、時々、「ヒイラギモクセイの花をヒイラギの花」と間違えている人がいるようだ。
 ヒイラギは通常でも11月から12月に咲くから、開花が遅い花。今年はまだのはず。
  違いのひとつは、花弁が反り返ることなど ヒイラギの花

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
岐阜地方裁判所の柊木犀
高さは5メートル以上はある大きな樹
(どの写真もクリックすると拡大。写真右下あたりのクリックでさらに拡大)


真っ白い花


    

  

株元には白い花がたくさん落ちていたから
満開を過ぎたころか

 
人気ブログランキング→→←←ワン・クリック10点
ここのところ6位、7位、8位あたり


コメント ( 3 ) | Trackback ( )