第21回兵庫ジュニアグランプリ。
好発から少し外に持ち出すような形でスティールペガサスの逃げ。2番手以下はテイエムサウスダン,ファシネートゼット,メイショウテンスイ,ゲンパチマイティー,ガラミスジャクソン,ステラモナークの順でここまでは集団。2馬身差でエキサイター,イロゴトシ,イチライジンとなりアザワクとエイユーキャッスルが最後尾で併走もこの5頭も集団というレース。向正面でゲンパチマイティーがメイショウテンスイより前に出た以外は隊列の変動はほとんどありませんでした。ミドルペースであったと思われます。
3コーナーを回ってテイエムサウスダンがスティールペガサスに並び掛けていき,直線の入口で先頭に立って抜け出しました。外から追ってきたのがファシネートゼットとゲンパチマイティーで内を回ってきたのがメイショウテンスイ。直線でゲンパチマイティーが脱落。ファシネートゼットが外から一旦は2番手に上がりましたが,スティールペガサスとファシネートゼットの間からメイショウテンスイが鋭く伸びて2番手に。しかし先に抜け出していたテイエムサウスダンには追いつけず,優勝はテイエムサウスダン。メイショウテンスイが1馬身半差で2着。ファシネートゼットが1馬身4分の1差で3着。スティールペガサスが4分の3馬身差の4着でゲンパチマイティーが4分の3馬身差で5着。
優勝したテイエムサウスダンは3戦目に未勝利を勝ち上がり,続く1勝クラスも連勝。これで3連勝として重賞初制覇。ここはJRAでダートの1勝クラスを勝っていた馬が3頭いて,それらの能力が上とみていましたが,その3頭で上位を独占しました。位置取りやコース取りあるいはペースといった要因もあるので,この3頭の勝負付けがこれで済んだとみるのは早計かもしれません。また,1勝クラスのダート戦は毎週のように組まれていますから,あくまでも今日のメンバーの中での争いであり,出走していない馬の中にもっと能力の高い馬がいるとみておいた方がよいかと思います。父はサウスヴィグラス。
騎乗したミルコ・デムーロ騎手と管理している飯田雄三調教師は兵庫ジュニアグランプリ初制覇。
第二部定理四三が方法論的懐疑doute méthodiqueに対して批判していることは,すべてのことを疑うということは不可能であるということです。真の観念idea veraを有しているなら真の観念を有しているということを知り,したがってその確実性certitudoについて疑い得ないというのは,誤った観念idea falsaであれば疑うことは可能であるけれども,真の観念も含めたすべてのことを疑うことは不可能であるという意味だからです。ですからスピノザの哲学の立場からいえば,デカルトRené Descartesがやっていることは,ことばの上でそのようにいっているだけで,思惟作用としてそれをしているわけではないということになります。これはスピノザがことばと観念を別のものと解していることから説明できるでしょう。
さらにスピノザの確実性の考え方がデカルトに対する批判となるのは,方法論的懐疑の不可能性に留まるものではありません。というのは,真の観念が確実性と等置することができるのであれば,確実性はその真の観念だけに依拠して知られ得るものであって,ほかの何らかの観念に依拠しなければならないというものではなくなるからです。つまりデカルトは最終的には,神Deusの存在existentiaが確実性を保証するというように考えていたわけであり,神ではないたとえばXの真の観念がある人間の精神mens humanaのうちに存在するのだとしても,その確実性はその人間の精神のうちにある神の認識cognitio,神の真の認識によって保証されるという結論に辿り着いています。いい換えれば,ある人間の精神のうちにそうした神の認識が存在しないのであれば,それ以外のどんな真の観念の確実性も保証することはできないという結論に至っているのです。しかしスピノザの考え方でいえば,Xの真の観念の確実性はXの真の観念だけで保証されるのですから,別にそれを認識するcognoscere人間の精神のうちに神の観念が存在しないとしても保証されるということになります。つまり,神の存在が認識されるのでなければ確実性は保証されないというデカルトの考え方に対して,それがなくても真の観念の確実性は保証し得るという点で,スピノザの考え方はデカルトの考え方に対して批判的であることになるのです。
この相違というのは意外に重要であるといえます。
好発から少し外に持ち出すような形でスティールペガサスの逃げ。2番手以下はテイエムサウスダン,ファシネートゼット,メイショウテンスイ,ゲンパチマイティー,ガラミスジャクソン,ステラモナークの順でここまでは集団。2馬身差でエキサイター,イロゴトシ,イチライジンとなりアザワクとエイユーキャッスルが最後尾で併走もこの5頭も集団というレース。向正面でゲンパチマイティーがメイショウテンスイより前に出た以外は隊列の変動はほとんどありませんでした。ミドルペースであったと思われます。
3コーナーを回ってテイエムサウスダンがスティールペガサスに並び掛けていき,直線の入口で先頭に立って抜け出しました。外から追ってきたのがファシネートゼットとゲンパチマイティーで内を回ってきたのがメイショウテンスイ。直線でゲンパチマイティーが脱落。ファシネートゼットが外から一旦は2番手に上がりましたが,スティールペガサスとファシネートゼットの間からメイショウテンスイが鋭く伸びて2番手に。しかし先に抜け出していたテイエムサウスダンには追いつけず,優勝はテイエムサウスダン。メイショウテンスイが1馬身半差で2着。ファシネートゼットが1馬身4分の1差で3着。スティールペガサスが4分の3馬身差の4着でゲンパチマイティーが4分の3馬身差で5着。
優勝したテイエムサウスダンは3戦目に未勝利を勝ち上がり,続く1勝クラスも連勝。これで3連勝として重賞初制覇。ここはJRAでダートの1勝クラスを勝っていた馬が3頭いて,それらの能力が上とみていましたが,その3頭で上位を独占しました。位置取りやコース取りあるいはペースといった要因もあるので,この3頭の勝負付けがこれで済んだとみるのは早計かもしれません。また,1勝クラスのダート戦は毎週のように組まれていますから,あくまでも今日のメンバーの中での争いであり,出走していない馬の中にもっと能力の高い馬がいるとみておいた方がよいかと思います。父はサウスヴィグラス。
騎乗したミルコ・デムーロ騎手と管理している飯田雄三調教師は兵庫ジュニアグランプリ初制覇。
第二部定理四三が方法論的懐疑doute méthodiqueに対して批判していることは,すべてのことを疑うということは不可能であるということです。真の観念idea veraを有しているなら真の観念を有しているということを知り,したがってその確実性certitudoについて疑い得ないというのは,誤った観念idea falsaであれば疑うことは可能であるけれども,真の観念も含めたすべてのことを疑うことは不可能であるという意味だからです。ですからスピノザの哲学の立場からいえば,デカルトRené Descartesがやっていることは,ことばの上でそのようにいっているだけで,思惟作用としてそれをしているわけではないということになります。これはスピノザがことばと観念を別のものと解していることから説明できるでしょう。
さらにスピノザの確実性の考え方がデカルトに対する批判となるのは,方法論的懐疑の不可能性に留まるものではありません。というのは,真の観念が確実性と等置することができるのであれば,確実性はその真の観念だけに依拠して知られ得るものであって,ほかの何らかの観念に依拠しなければならないというものではなくなるからです。つまりデカルトは最終的には,神Deusの存在existentiaが確実性を保証するというように考えていたわけであり,神ではないたとえばXの真の観念がある人間の精神mens humanaのうちに存在するのだとしても,その確実性はその人間の精神のうちにある神の認識cognitio,神の真の認識によって保証されるという結論に辿り着いています。いい換えれば,ある人間の精神のうちにそうした神の認識が存在しないのであれば,それ以外のどんな真の観念の確実性も保証することはできないという結論に至っているのです。しかしスピノザの考え方でいえば,Xの真の観念の確実性はXの真の観念だけで保証されるのですから,別にそれを認識するcognoscere人間の精神のうちに神の観念が存在しないとしても保証されるということになります。つまり,神の存在が認識されるのでなければ確実性は保証されないというデカルトの考え方に対して,それがなくても真の観念の確実性は保証し得るという点で,スピノザの考え方はデカルトの考え方に対して批判的であることになるのです。
この相違というのは意外に重要であるといえます。