第40回浦和記念。クリストフ・スミヨン騎手が腰椎を捻挫したためケイティブレイブは御神本騎手に変更。
発走後の向正面でハナに立ったのはアイファーイチオー。2番手にデルマルーヴルとマイネルバサラ。4番手にセンチュリオンとケイティブレイブ。以下はヤマノファイト,オールブラッシュ,ロードゴラッソ,キングニミッツ,アナザートゥルース,バイタルフォース,ナラという順で,この時点ではあまり差が開きませんでした。1周目の正面に入ってマイネルバサラが単独の2番手になり,外に出したケイティブレイブが3番手。デルマルーヴルは内を回っての4番手でその後ろにセンチュリオンという隊列に変化。前半の1000mは61秒9のハイペース。
向正面の半ばでアイファーイチオーは一杯となりマイネルバサラが先頭に。ケイティブレイブはその外の2番手。早めに動いて追い上げてきたアナザートゥルースとの差が開きました。最終コーナーの中間でケイティブレイブが先頭になり直線に。捲り上げてきたアナザートゥルースの勢いはよかったのですが,直線に入った時点でのリードも大きく,また差が開くような形になってケイティブレイブの優勝。アナザートゥルースが3馬身差で2着。アナザートゥルースの後から外を追い上げてきたロードゴラッソが4分の3馬身差で3着。道中の反応が鈍かったデルマルーヴルでしたが最後はロードゴラッソの内から伸びてきてクビ差の4着。
優勝したケイティブレイブは昨年のJBCクラシック以来の勝利で重賞10勝目。浦和記念は第37回以来となる3年ぶりの2勝目。能力だけでいえば勝たなければおかしいメンバー構成。ただ春にドバイに遠征したところ現地で腹痛を起こして出走取消。その後に開腹手術を受け,それ以来の実戦でしたから,それ以前の力を出せるのかどうかが最大の不安点でした。結果的には問題なかったということになります。総じて内を回った馬が苦戦しましたので,最内枠だったものの早めに外に出した騎手の判断もよかったのだと思います。父はアドマイヤマックス。母の父はサクラローレル。母の12歳上の半兄に1999年に北海道スプリントカップ,2000年にガーネットステークスと黒船賞と群馬記念とかしわ記念と朱鷺大賞典,2001年にガーネットステークスととちぎマロニエカップを勝ったビーマイナカヤマ。
騎乗した大井の御神本訓史騎手はJBCスプリント以来の重賞5勝目。浦和記念は初勝利。管理している杉山晴紀調教師も浦和記念初勝利。
スピノザのように,Xの確実性certitudoをXの真の観念idea veraだけに依拠させ,それ以外のどのような観念もその確実性の保証には不要であるとする考え方は,自然科学と親和性をもつことになります。なぜなら,デカルトRené Descartesのように,神Deusの存在existentiaがあるのでなければ観念の確実性が保証できないというのであれば,自然科学的な真理veritasもまた神の存在に従属することになりますが,スピノザの場合はそのような従属性は必要ありませんから,自然科学が神の観念から離れた単独の真理あるいは真理を探究する学問として成立することになるからです。とりわけデカルトとかスピノザが生きていた時代というのは,神学,キリスト教の神学がまだ大きな影響力を発揮していた時代なので,自然科学が神学に従属しなければならないのか,それとも神学に従属せずともそれ自体で真理を解明することができる学問であるのかという相違は,現代における相違よりもずっと大きかっただろうと推測されます。スピノザの哲学が無神論というラベルを貼られ,その影響がスピノザの死後も長く続いたのは,必ずしもこの考え方に起因したとはいえないのですが,ある意味ではこのような意味で確実性を提示したことは,自然科学を神学から解放する要素であったという見方は,それほど誤った見方ではないように僕には思えます。
たとえば天動説と地動説があったときに,地動説を唱える学者が,天体の運動motusに関して真なる認識cognitioを有していたとするなら,その学者はその学説について確実性を有しているということになります。そしてこの学説の確実性は,神学に依拠しなくとも担保されるというのがスピノザの考え方になるわけです。スピノザは科学者として地動説を唱えたというわけではありません。しかしその正しさを補完するような要素が,スピノザの哲学にはあることになります。学説だけでいえばスピノザもデカルトも天動説は誤りで地動説が正しいという点では一致していたと思われますが,デカルトの考え方を採用すると,その正しさもまた神学に依拠しなければならないことになるのに対し,スピノザの場合はそうではなくなるという相違は,そんなに小さなものではないように僕には思えるのです。
発走後の向正面でハナに立ったのはアイファーイチオー。2番手にデルマルーヴルとマイネルバサラ。4番手にセンチュリオンとケイティブレイブ。以下はヤマノファイト,オールブラッシュ,ロードゴラッソ,キングニミッツ,アナザートゥルース,バイタルフォース,ナラという順で,この時点ではあまり差が開きませんでした。1周目の正面に入ってマイネルバサラが単独の2番手になり,外に出したケイティブレイブが3番手。デルマルーヴルは内を回っての4番手でその後ろにセンチュリオンという隊列に変化。前半の1000mは61秒9のハイペース。
向正面の半ばでアイファーイチオーは一杯となりマイネルバサラが先頭に。ケイティブレイブはその外の2番手。早めに動いて追い上げてきたアナザートゥルースとの差が開きました。最終コーナーの中間でケイティブレイブが先頭になり直線に。捲り上げてきたアナザートゥルースの勢いはよかったのですが,直線に入った時点でのリードも大きく,また差が開くような形になってケイティブレイブの優勝。アナザートゥルースが3馬身差で2着。アナザートゥルースの後から外を追い上げてきたロードゴラッソが4分の3馬身差で3着。道中の反応が鈍かったデルマルーヴルでしたが最後はロードゴラッソの内から伸びてきてクビ差の4着。
優勝したケイティブレイブは昨年のJBCクラシック以来の勝利で重賞10勝目。浦和記念は第37回以来となる3年ぶりの2勝目。能力だけでいえば勝たなければおかしいメンバー構成。ただ春にドバイに遠征したところ現地で腹痛を起こして出走取消。その後に開腹手術を受け,それ以来の実戦でしたから,それ以前の力を出せるのかどうかが最大の不安点でした。結果的には問題なかったということになります。総じて内を回った馬が苦戦しましたので,最内枠だったものの早めに外に出した騎手の判断もよかったのだと思います。父はアドマイヤマックス。母の父はサクラローレル。母の12歳上の半兄に1999年に北海道スプリントカップ,2000年にガーネットステークスと黒船賞と群馬記念とかしわ記念と朱鷺大賞典,2001年にガーネットステークスととちぎマロニエカップを勝ったビーマイナカヤマ。
騎乗した大井の御神本訓史騎手はJBCスプリント以来の重賞5勝目。浦和記念は初勝利。管理している杉山晴紀調教師も浦和記念初勝利。
スピノザのように,Xの確実性certitudoをXの真の観念idea veraだけに依拠させ,それ以外のどのような観念もその確実性の保証には不要であるとする考え方は,自然科学と親和性をもつことになります。なぜなら,デカルトRené Descartesのように,神Deusの存在existentiaがあるのでなければ観念の確実性が保証できないというのであれば,自然科学的な真理veritasもまた神の存在に従属することになりますが,スピノザの場合はそのような従属性は必要ありませんから,自然科学が神の観念から離れた単独の真理あるいは真理を探究する学問として成立することになるからです。とりわけデカルトとかスピノザが生きていた時代というのは,神学,キリスト教の神学がまだ大きな影響力を発揮していた時代なので,自然科学が神学に従属しなければならないのか,それとも神学に従属せずともそれ自体で真理を解明することができる学問であるのかという相違は,現代における相違よりもずっと大きかっただろうと推測されます。スピノザの哲学が無神論というラベルを貼られ,その影響がスピノザの死後も長く続いたのは,必ずしもこの考え方に起因したとはいえないのですが,ある意味ではこのような意味で確実性を提示したことは,自然科学を神学から解放する要素であったという見方は,それほど誤った見方ではないように僕には思えます。
たとえば天動説と地動説があったときに,地動説を唱える学者が,天体の運動motusに関して真なる認識cognitioを有していたとするなら,その学者はその学説について確実性を有しているということになります。そしてこの学説の確実性は,神学に依拠しなくとも担保されるというのがスピノザの考え方になるわけです。スピノザは科学者として地動説を唱えたというわけではありません。しかしその正しさを補完するような要素が,スピノザの哲学にはあることになります。学説だけでいえばスピノザもデカルトも天動説は誤りで地動説が正しいという点では一致していたと思われますが,デカルトの考え方を採用すると,その正しさもまた神学に依拠しなければならないことになるのに対し,スピノザの場合はそうではなくなるという相違は,そんなに小さなものではないように僕には思えるのです。