スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

大山名人杯倉敷藤花戦&確実性

2019-11-18 19:00:03 | 将棋
 10日に皆生温泉で指された第27期倉敷藤花戦三番勝負第一局。対戦成績は里見香奈倉敷藤花が15勝,伊藤沙恵女流三段が5勝。
 開催実行委員会の委員長による振駒で伊藤三段の先手。駆け引きのある序盤戦でしたが,先手のノーマル向飛車に後手の里見倉敷藤花が5筋位取りの対抗形に。終盤まで接戦でした。
                                        
 後手が歩を垂らした局面。ここは☖6八銀と打つ手もあって,それならすぐに飛車を取れます。☖6八歩は時間は掛かりますが確実に攻めていこうという手。このまま☖6九歩成とされてはいけないので☗4八金上としたのですが,これはあまりよくなく,☗7九飛と回るべきだったようです。
 後手は☖6九歩成☗2九飛でと金を作り☖6八とでそのと金を使いにいきました。先手は☗4五歩と突きここは☖3三角。
 先手にとってはここが最後のチャンスで,☗5三成銀と攻めるべきだったとのこと。実戦は☗3五歩からさらに角を攻めにいったのですが☖5八と☗同金☖5七歩成とされました。
                                        
 これだと☗3四歩の後の☖2四角が攻めにも利いてしまいます。第2図は後手の勝勢でしょう。
 里見倉敷藤花が先勝。第二局は23日です。

 確実性certitudoを概念notioとしてみたとき,それがどのような概念であるのかということをまとめておきます。
 確実性とは,ある人間が何事かを認識したときに,その認識cognitioが確実である,いい換えれば真verumであるということを知るということを意味します。人間が何事かを認識するcognoscereとは,人間がその何事かを対象ideatumとした観念ideaを有するということを意味します。第二部定理四三備考から分かるように,人間が何事かについてそれが確実であるということ,つまり真であるということを認識するためには,前もって確実な認識,真の認識がその人間の精神mens humanaのうちにあるのでなければなりません。したがって,ある人間が何事かについて確実性を有するための絶対条件は,その人間の精神のうちにその何事かの真の観念idea veraが存在するということになります。
 しかしこの条件は,絶対条件であると同時に十分条件でもあります。なぜなら第二部定理四三により,ある人間の精神のうちに何事かの真の観念が存在すれば,その人間は同時に自身がその真の観念を有しているということも知るからです。他面からいえば,ある人間の精神のうちにXの真の観念がある場合には,その人間の精神のうちにはXの真の観念の観念も存在するからです。これは,ある人間の精神のうちにXの真の観念があるということは,その人間の精神の本性naturaを構成する限りでXの観念は神Deusのうちで真であるという仕方で神と関連付けられるのですが,Xの真の観念の観念がその同じ人間の精神のうちにある場合にも,これと同じ仕方で神と関連付けられなければならないからです。これはXの真の観念とXの真の観念の観念が同一個体であるということに注意するなら,第二部定理七から明白です。この定理Propositioでものrerumといわれているのは物体corpusという意味ではなく観念対象という意味であり,真の観念の観念の観念対象は真の観念ですから,真の観念と真の観念の観念の原因causaと結果effectusの連結と秩序Ordo, et connexioは同一であることになり,したがってそれらは同一の仕方で神と関連付けられなければなりません。
 もし確実性の反対概念が存在するのであれば,これと同じようなことがいえる概念でなければなりませんが,そういう概念はないのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マイルチャンピオンシップ&... | トップ | 竜王戦&誤った観念の観念 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

将棋」カテゴリの最新記事