スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

大山名人杯倉敷藤花戦&第一部定理九

2016-11-29 19:15:15 | 将棋
 20日に倉敷市芸文館で指された第24期倉敷藤花戦三番勝負第三局。
 倉敷市長による振駒で里見香奈倉敷藤花の先手。後手の室谷由紀女流二段の三間飛車,先手の向飛車という相振飛車に。後手が変則的な作戦を用いましたがうまく戦機を捉えて仕掛けた先手が有利に。しかし後手が自玉周辺の受けは放棄して入玉を目指したのが意表を衝いたようです。
                                     
 後手が飛車取りに歩を打った局面。ここはとにかく▲8五金と打って入玉を阻止するのが最善だったようですが▲7二成桂△7五歩と進めたので少し難しくなりました。
 先手は入玉を阻止するために▲7八銀打。これには△9八角と飛車取りにしながらと金にヒモをつける一手です。これで▲7七銀△8九角成までは一本道でしょう。
 先手は▲8六歩と上部に拠点を作りました。これにも△7三桂打しかないでしょう。そして▲6二角の追撃にも△7四銀と引くしかないところです。
 ここで▲9三金と打ったのは危険だったのかもしれません。7三の桂馬が浮いてはいけませんし▲9四金打も防がなければならないので△9四歩はまたこの一手。ここから▲7三成桂△同桂▲8五桂△8一桂▲同桂成△同桂と進んだので千日手かと思われましたが,先手はそこで▲9五歩と打って回避しました。
                                     
 これは▲9四金の一手詰めの狙いなので△9一飛と受けましたがその手順は先手の勝ちでした。ここで△8二桂と受ける手はあったようです。もし先手が▲8五桂と打ってくれば△9五玉と取り▲7三角成に△8四桂と打っておく順。後手は9八に香車が成って7七の銀を取れないと入玉は難しそうなので,それで勝ちとはいえない気もしますが,実戦よりは有力な手順だったようです。
 2勝1敗で里見倉敷藤花の防衛第16期,17期,18期,19期,20期,23期に続き連覇で通算7期目の倉敷藤花です。

 実在性realitasと完全性perfectioは同一です。したがってより実在的であるほどより完全であるということになります。なのでたとえばAとBのどちらが完全であるのかを決定する材料があるとしたら,それはAとBのどちらがより実在的であるのかということになります。つまり,あるものと別のものの完全性を比較し,一方を他方よりも完全であると決定するためには,実在性の尺度というものがどこにあるのかということを知っていなければなりません。実在性の尺度が完全性の尺度そのものであるからです。
 『エチカ』の中では,実在性が何によって決定されなければならないのかということは規定されていません。これはそのような定義Definitioおよび公理は存在しないという意味です。しかしスピノザが何をもって実在性の尺度としているのかということは分かるようになっています。第一部定理九は次のように記述されているからです。
 「およそ物がより多くの実在性あるいは有をもつに従ってそれだけ多くの属性がその物に帰せられる」。
 この定理を一読すれば理解できるように,実在性の尺度というのは属性attributumです。というのはこの定理は,あるものにより多くの属性が帰せられるほど,そのものはそれだけ多くの実在性を有するようになると,主語部分と述語部分を入れ替えても成立しなければならないことが明白であるからです。したがって,もしAにはひとつの属性しか帰すことができないが,Bにはふたつ以上の属性を帰すことができると確実に認識できるならば,BはAよりも実在的であるすなわち完全であると決定できることになります。しかしもしもAにもBにも同一数の属性しか帰すことができないと認識するのであれば,AとBは同じように実在的すなわち完全なのであり,どちらがより完全であるかは決定できないことになります。
 スピノザはこの定理は第一部定義四から明白だとしています。ですがこれは僕にはよく分からないところもあります。ただ,実在的区別というのは属性間の区別distinguereのことです。したがって実在的にrealiter区別することができる要素である属性を多く有するということが,より実在的であるという意味なのだというのが僕の解釈です。
コメント
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