スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

メルボルンカップ&『知性改善論』の矛盾

2019-11-07 19:15:48 | 海外競馬
 5日にオーストラリアのフレミントン競馬場で争われたメルボルンカップGⅠ芝3200m。
 メールドグラースは序盤は徐々に位置が下がるような形で11番手。最初は先頭から8馬身差くらいでしたが,一団だった馬群が徐々にばらける形になり,最終コーナーの入口では12馬身差くらいになりました。そこからはいい手応えで馬群の真只中を進みながら前との差を詰め,直線に入ってから外に持ち出そうとしました。大外までは出せませんでしたが,外から2頭目の位置から前を追うことに。しかし優勝争いに加わるところまではいかず,勝ち馬から1馬身4分の1弱の差で6着でした。
 これまでのレースに比べると,末脚はやや鈍かったように思えます。それが距離が長かったことによる影響なのか,それとも馬場状態が瞬発力を削ぐ要因になったのかは分かりません。あるいはスローペースで折り合いを欠いたのが響いたという可能性もあるでしょう。ただ,この着差までは食い込んでいるわけですから,この距離にまったく対応することができない馬ではないということだけははっきりしたと思います。

 『スピノザ 力の存在論と生の哲学』は,スピノザのテクストを読解することによって,もっといえばそれだけによって,スピノザの哲学を力potentiaの存在論と解し,それを生の哲学として定式化することを目指しています。このとき,スピノザのテクストとして用いられるのは,『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』と『エチカ』です。序論と結論を除くと全六章によって構成されていて,二章までは『知性改善論』,三章から六章までの四章は『エチカ』の読解となっています。論述の主旨に関してはすでにいったように詳しく探求しませんが,個々の部分の中には僕がこれまで気にもしたことがなかったことがいくつか含まれていますので,その点についてはここで僕の見解を表明しておきます。それはこの本の主旨とは関係なく,いってみればこの本にとっては枝葉末節にも属さないような事柄ではあるのですが,僕のこれまでの考察やこれからの考察にとっては無関係であるとはいえないからです。ですから,僕はそれらの事柄については見解を表明しますが,たとえ僕がそれらの事柄について何らかの見解を表明したとしても,それは『スピノザ 力の存在論と生の哲学』の主旨にとっては何の影響も与えないし,単にそこに書かれている事柄を考察するということを除けば,無関係でさえあるということを前もっていっておきます。
                                        
 この本の第一章の中で,『知性改善論』の中にはある矛盾が含まれていると指摘されています。これは確実性に関係する矛盾です。
 『知性改善論』の三五節で,スピノザは確実性とは客観的本性以外の何ものでもないといっています。事物の客観的有esse objectivumとはその事物の観念ideaのことです。したがってこれは,確実性とは観念であるという意味ですが,単に客観的有といわれず客観的本性といわれているのは,それが真の観念idea veraあるいは十全な観念idea adaequataであるということを示すためです。これは説明しだすときりがありませんから省略しますが,前後の文章の脈絡から,スピノザがそのようにいいたいことは明白です。そして七四節では確実性すなわち真の観念といういい回しが出てきます。これは誤った観念idea falsaが真の観念と混同されることを主眼とする一文の中にみられるいい回しです。
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