スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&第二部定理四三備考

2016-03-14 19:43:57 | 将棋
 尼崎で指された第65期王将戦七番勝負第五局。
 郷田真隆王将の先手で羽生善治名人のノーマル四間飛車。相穴熊になりました。たぶん後手の序盤の指し方が拙かったため,中盤の戦いに入った時点で先手の方が指しやすくなっていたのだと思われます。
                                     
 後手が2二に打たれていた歩を払った局面。盤面の右側で後手が大きく得をしているわけではありませんから,左側が厚くなっている分だけ先手よしでしょう。ここで☗6五歩と突いて全面的な戦いを開始しました。
 ☖7七角成☗同金に☖6五銀と引きました。これくらいしかなかったのかもしれません。先手は☗4四角と打ち☖3三角☗同角成☖同桂にまた☗4四角。
 後手は事前に銀を引いていましたから☖7六歩☗同銀☖同銀☗同金寄と交換して☖7二飛と回りました。第1図の飛車は7二から動いたものですから,事前に先手が☗2二歩と打った手が効果的だったのが分かります。
 先手は☗8四歩と穴熊の急所を攻めました。後手は☖3九角と飛車取りに打ったのですが☗8三歩成☖同銀☗8四歩と攻めを続けられ☖同角成と取ることに。先手はここで☗7五歩と打ち,飛車と馬を一遍に遮りました。
                                     
 後手は飛車を取れるくらいでないと勝負になりませんが,取ることもできないほど差が開いていたということです。なので第2図はすでに大差ということなのではないでしょうか。
 郷田王将が勝って3勝2敗。第六局は今週の金曜と土曜です。 

 第二部定理四三備考は,真理の規範は真理veritas自身であるということを説明する目的から記述されています。そしてこの説明によって,スピノザはいくつかの質問に解答できたといい,その質問のひとつとして,真の観念idea veraは実在性realitasすなわち完全性perfectioにおいて誤った観念以上のものを有するか否かというのをあげています。
 「真の観念と偽の観念との相違に関して言えば,前者は後者に対して有が非有に対するような関係にある」。
 これが当の質問に対する直接的な答えをなす部分といえるでしょう。スピノザはこのように解答できる論拠としては第二部定理三五を示しています。ですがこの例示は僕には分かりにくいです。スピノザがいいたいのは,誤った観念というのは形相的にformaliterみた場合には虚偽falsitasないしは誤謬errorを意味するけれども,虚偽や誤謬の形相formaというものは存在しない,すなわち非有であるということなのだろうと思います。もしこの解釈が正しいのなら,第二部定理三三を指摘しておけばさらによかったのではないかと思えます。
 個別的な思惟の様態cogitandi modiを意味する観念は第二部定理三二によって真verumである,また第二部定理七系の意味により十全adaequatumであるというのが,観念というものの基本原則と僕は解します。それに対して真の観念と誤った観念,あるいは同じことですが,十全な観念idea adaequataと混乱した観念idea inadaequataの関係の基本原則となるのがこの点にあると僕は解します。したがって,人間が第一種の認識cognitio primi generisによって事物を認識するということを,それ自体で肯定するという見解opinioに対しては,僕はまったく賛同できないのです。なぜならそのように主張することは,有に対して非有であるもの,いい換えれば無であるもののことを積極的に評価するということを意味すると考えるからです。
 実際に誤った観念あるいは混乱した観念の実在性が問題になるのは,それが現実的に存在するある人間の精神mens humanaのうちにあるという場合だけです。つまり真の観念が実在性において誤った観念を上回っているかという問いは,事物を真に認識する精神が誤った認識をする精神より実在性において上回るのか,つまり優れているといえるのかどうかという意味においてのみ成立します。
 
コメント
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