第39回白山大賞典。キタノイットウセイは出走取消で9頭。
発馬後の向正面で前に出たのはリアンヴェリテ,ノーヴァレンダ,グリムの3頭。3馬身差でテルペリオンが単独の4番手。4馬身差でティモシーブルーとデルマルーヴルが追走し7番手にサクラエール。4馬身差でグレイトパール。3馬身差の最後尾にコスモマイギフト。1周目の正面に入ると前はリアンヴェリテとノーヴァレンダの2頭になり,3馬身差でグリム。さらに3馬身差でテルペリオンとデルマルーヴルという隊列に。コーナーではそれぞれの差が詰まっていき,5頭が一団で2周目の向正面ヘ。
3コーナーからはリアンヴェリテ,ノーヴァレンダ,グリムの3頭が雁行になり,リアンヴェリテはコーナーの途中で脱落。外を回ってデルマルーヴル,内を突いてテルペリオンが追い上げてきて4頭の競馬に。直線に入るところでグリムがノーヴァレンダの外から先頭に。詰め寄ったのは大外から追ってきたデルマルーヴルでしたが届かず,直線先頭のグリムが優勝。クビ差の2着にデルマルーヴル。半馬身差の3着がノーヴァレンダ。テルペリオンは直線で一杯となり,1馬身半差で4着。
優勝したグリムはマーキュリーカップ以来の勝利で重賞5勝目。第38回に続く白山大賞典連覇。このレースはJRAの5頭がほかに対して上位。古馬3頭の中ではグリムがほかの2頭より上位というのがはっきりしていました。したがって3歳の2頭がこの相手にどこまで喰らいつけるかというのが焦点。グリムが勝って2頭の3歳馬が2着と3着ですから,現状の能力関係を概ね反映した順当な結果であったのではないかと思います。やはり今日の相手関係と着差からすると,グリムは一線級とはまだ差があるとみてよいのではないでしょうか。父はゼンノロブロイ。母の父はサクラバクシンオー。4代母がバーブスボールド。
騎乗した浜中俊騎手は白山大賞典初勝利。管理している野中賢二調教師は連覇で白山大賞典2勝目。
スピノザの哲学における十全な観念idea adaequataと混乱した観念idea inadaequataの関係は,前者が真理veritasで後者が虚偽falsitasであるという関係に留まるものではありません。有と無の関係でもあるのです。つまり,十全な観念が有esseである,実在的なものであるとした場合には,混乱した観念というのは無すなわち非実在的なもの,実在し得ないものとか実在することが不可能であるものだと解さなければなりません。
このことは,ある公理的性格を有していると考えることもできます。というのは,第一部公理六により,真の観念verae ideaeは観念されたものideatumと一致しなければならないことになっているからです。観念を外来的特徴denominatio extrinsecaからみたとき,真の観念でないような観念があるとするならそれは誤った観念idea falsaといわれます。したがって,真の観念が観念の対象ideatumと一致するのであれば,観念の対象とは一致しないような観念が誤った観念であることになるでしょう。よって,観念されたものが非実在的なものでない限り,真の観念は観念されたものが実在的realiterであるといわれるのと同じ意味で実在的であるといわれなければなりません。ということは,誤った観念は真の観念が実在的であるといわれるのとは反対の意味で非実在的であるといわれなければならないことになります。
では観念の対象が非実在的であるということがあり得るのかといえば,それはあり得ないのです。なぜなら,第二部定理七系により,神の思惟する力Dei cogitandi potentiaと神の働く力actuali agendi potentiaは同等であるからです。この系の意味は,そもそもが神のうちにある観念はすべて十全な観念であるということです。観念をその本来的特徴denominatio intrinsecaからみれば,すべての真の観念は十全な観念です。つまり第二部定理三二により,すべての観念が神に関係する限りで真omnes ideae, quatenus ad Deum referuntur, verae suntということになります。しかるに神の働く力から生じるものが非実在的なものであると主張することは不条理です。なので観念されるものはそのすべてが実在的なものであるといわなければならず,よって真の観念いい換えれば十全な観念はそのすべてが実在的であるといわれなければなりません。したがって誤った観念いい換えれば混乱した観念というのはそのすべてが非実在的なもの,無であるといわれなければならないのです。
発馬後の向正面で前に出たのはリアンヴェリテ,ノーヴァレンダ,グリムの3頭。3馬身差でテルペリオンが単独の4番手。4馬身差でティモシーブルーとデルマルーヴルが追走し7番手にサクラエール。4馬身差でグレイトパール。3馬身差の最後尾にコスモマイギフト。1周目の正面に入ると前はリアンヴェリテとノーヴァレンダの2頭になり,3馬身差でグリム。さらに3馬身差でテルペリオンとデルマルーヴルという隊列に。コーナーではそれぞれの差が詰まっていき,5頭が一団で2周目の向正面ヘ。
3コーナーからはリアンヴェリテ,ノーヴァレンダ,グリムの3頭が雁行になり,リアンヴェリテはコーナーの途中で脱落。外を回ってデルマルーヴル,内を突いてテルペリオンが追い上げてきて4頭の競馬に。直線に入るところでグリムがノーヴァレンダの外から先頭に。詰め寄ったのは大外から追ってきたデルマルーヴルでしたが届かず,直線先頭のグリムが優勝。クビ差の2着にデルマルーヴル。半馬身差の3着がノーヴァレンダ。テルペリオンは直線で一杯となり,1馬身半差で4着。
優勝したグリムはマーキュリーカップ以来の勝利で重賞5勝目。第38回に続く白山大賞典連覇。このレースはJRAの5頭がほかに対して上位。古馬3頭の中ではグリムがほかの2頭より上位というのがはっきりしていました。したがって3歳の2頭がこの相手にどこまで喰らいつけるかというのが焦点。グリムが勝って2頭の3歳馬が2着と3着ですから,現状の能力関係を概ね反映した順当な結果であったのではないかと思います。やはり今日の相手関係と着差からすると,グリムは一線級とはまだ差があるとみてよいのではないでしょうか。父はゼンノロブロイ。母の父はサクラバクシンオー。4代母がバーブスボールド。
騎乗した浜中俊騎手は白山大賞典初勝利。管理している野中賢二調教師は連覇で白山大賞典2勝目。
スピノザの哲学における十全な観念idea adaequataと混乱した観念idea inadaequataの関係は,前者が真理veritasで後者が虚偽falsitasであるという関係に留まるものではありません。有と無の関係でもあるのです。つまり,十全な観念が有esseである,実在的なものであるとした場合には,混乱した観念というのは無すなわち非実在的なもの,実在し得ないものとか実在することが不可能であるものだと解さなければなりません。
このことは,ある公理的性格を有していると考えることもできます。というのは,第一部公理六により,真の観念verae ideaeは観念されたものideatumと一致しなければならないことになっているからです。観念を外来的特徴denominatio extrinsecaからみたとき,真の観念でないような観念があるとするならそれは誤った観念idea falsaといわれます。したがって,真の観念が観念の対象ideatumと一致するのであれば,観念の対象とは一致しないような観念が誤った観念であることになるでしょう。よって,観念されたものが非実在的なものでない限り,真の観念は観念されたものが実在的realiterであるといわれるのと同じ意味で実在的であるといわれなければなりません。ということは,誤った観念は真の観念が実在的であるといわれるのとは反対の意味で非実在的であるといわれなければならないことになります。
では観念の対象が非実在的であるということがあり得るのかといえば,それはあり得ないのです。なぜなら,第二部定理七系により,神の思惟する力Dei cogitandi potentiaと神の働く力actuali agendi potentiaは同等であるからです。この系の意味は,そもそもが神のうちにある観念はすべて十全な観念であるということです。観念をその本来的特徴denominatio intrinsecaからみれば,すべての真の観念は十全な観念です。つまり第二部定理三二により,すべての観念が神に関係する限りで真omnes ideae, quatenus ad Deum referuntur, verae suntということになります。しかるに神の働く力から生じるものが非実在的なものであると主張することは不条理です。なので観念されるものはそのすべてが実在的なものであるといわなければならず,よって真の観念いい換えれば十全な観念はそのすべてが実在的であるといわれなければなりません。したがって誤った観念いい換えれば混乱した観念というのはそのすべてが非実在的なもの,無であるといわれなければならないのです。