17日に幕張メッセで指された第40回日本シリーズの決勝。対戦成績は渡辺明JT杯覇者が12勝,広瀬章人竜王が11勝。
振駒で広瀬竜王の先手。角換りを志向しましたが渡辺JT杯が角道を開けずに拒否。2手目☖6二銀の将棋からの進展としてありそうな序盤となり,先手が雁木,後手が5筋の位を取る将棋に。
5五で角が交換され,すぐに先手が角を打ち,後手が銀を引いた局面。僕はAbenmaTVで観戦していて,いずれは取られそうな歩を☗6四歩と突いておくか,右の銀を使いにいく☗5七銀や☗4六歩を指すのかなと思っていましたが,☗2二歩と打ちました。指されてみると☖同金で金が角筋に入るのでこれもいい手かと思いましたが,実際はやり過ぎだったようです。
先手はそれから☗4六歩と突きました。対して☖3二王は浮いている金にヒモをつけた手。先手は☗2四歩☖同歩☗4五歩☖3三銀☗2五歩☖同歩☗3五歩☖同歩として☗2五桂と跳ね☖2四銀に☗2三歩と打ちました。これは☖1二金の一手。
後手はほぼいいなりになっているだけですが,先手は歩を多く渡していますから,攻めが止まって一段落してしまうと不利になります。それで☗3四歩と垂らしましたが☖2三王と取られました。
第2図の後手玉は愚形に見えますが,これで先手の攻めは続かなくなっているようです。ここからは攻め合いとなり,後手が勝ちました。
渡辺JT杯が優勝。第35回,39回に続く連覇で3度目の日本シリーズ優勝。通算11回目の棋戦優勝です。
真理veritasと虚偽falsitasが反対概念でなければならないと僕が考える,もうひとつ別の理由があります。
スピノザの哲学における真理と虚偽の関係は,単にそれらが真verumであるのか偽であるのかということだけを意味するのではなく,前者が有esseであるのに対して後者が無であるという有と無の関係も同時に意味します。これはスピノザが第二部定理四三備考で,真の観念idea veraと偽の観念についていっていることから明白です。スピノザは有と無とはいわず,有と非有といっていますが,非有というのが無を意味するのはとくに説明を要さないでしょう。すると,有と無は当然ながら反対概念ですから,真理と虚偽もまた反対概念でなければならないことになります。これはとくに,スピノザがいっている有と非有で解すればより容易に理解できるでしょう。有と非有は反対概念であって,よって真の観念と偽の観念は反対概念であることになりますが,個々の真の観念の集積が真理であって個々の偽の観念の集積が虚偽なのですから,真理と虚偽は反対概念であるということが帰結するからです。
つまり,真理と虚偽は,真の観念と誤った観念が反対概念であるなら反対概念でなければなりませんし,有と無あるいは有と非有が反対概念であるならやはり反対概念であるのでなければなりません。そしてこれは両方とも成立するのです。ですから,その規範が何であるかということを問う限り,真理と虚偽は反対概念ではないといういい方も僕は一理あると考えますが,真理と虚偽を概念notioの上で解する場合には,各々の規範にその根拠を求めるべきではないのであって,よって真理と虚偽は反対概念であると僕は考えるのです。
これに対して,確実性certitudoと不確実性の場合はそういうわけにはいきません。真理と虚偽は,真の観念がある,誤った観念があるといわれる場合のそれら各々の集積であるのに対し,確実性及び不確実性は,ある知性intellectusのうちに何らかの観念がある場合に,その観念が確実であることないしは不確実であることをその知性が知るということを意味するからです。よってこの場合には,確実性および不確実性の規範から各々の概念を解さなければなりません。そしてその規範は同一なのです。
振駒で広瀬竜王の先手。角換りを志向しましたが渡辺JT杯が角道を開けずに拒否。2手目☖6二銀の将棋からの進展としてありそうな序盤となり,先手が雁木,後手が5筋の位を取る将棋に。
5五で角が交換され,すぐに先手が角を打ち,後手が銀を引いた局面。僕はAbenmaTVで観戦していて,いずれは取られそうな歩を☗6四歩と突いておくか,右の銀を使いにいく☗5七銀や☗4六歩を指すのかなと思っていましたが,☗2二歩と打ちました。指されてみると☖同金で金が角筋に入るのでこれもいい手かと思いましたが,実際はやり過ぎだったようです。
先手はそれから☗4六歩と突きました。対して☖3二王は浮いている金にヒモをつけた手。先手は☗2四歩☖同歩☗4五歩☖3三銀☗2五歩☖同歩☗3五歩☖同歩として☗2五桂と跳ね☖2四銀に☗2三歩と打ちました。これは☖1二金の一手。
後手はほぼいいなりになっているだけですが,先手は歩を多く渡していますから,攻めが止まって一段落してしまうと不利になります。それで☗3四歩と垂らしましたが☖2三王と取られました。
第2図の後手玉は愚形に見えますが,これで先手の攻めは続かなくなっているようです。ここからは攻め合いとなり,後手が勝ちました。
渡辺JT杯が優勝。第35回,39回に続く連覇で3度目の日本シリーズ優勝。通算11回目の棋戦優勝です。
真理veritasと虚偽falsitasが反対概念でなければならないと僕が考える,もうひとつ別の理由があります。
スピノザの哲学における真理と虚偽の関係は,単にそれらが真verumであるのか偽であるのかということだけを意味するのではなく,前者が有esseであるのに対して後者が無であるという有と無の関係も同時に意味します。これはスピノザが第二部定理四三備考で,真の観念idea veraと偽の観念についていっていることから明白です。スピノザは有と無とはいわず,有と非有といっていますが,非有というのが無を意味するのはとくに説明を要さないでしょう。すると,有と無は当然ながら反対概念ですから,真理と虚偽もまた反対概念でなければならないことになります。これはとくに,スピノザがいっている有と非有で解すればより容易に理解できるでしょう。有と非有は反対概念であって,よって真の観念と偽の観念は反対概念であることになりますが,個々の真の観念の集積が真理であって個々の偽の観念の集積が虚偽なのですから,真理と虚偽は反対概念であるということが帰結するからです。
つまり,真理と虚偽は,真の観念と誤った観念が反対概念であるなら反対概念でなければなりませんし,有と無あるいは有と非有が反対概念であるならやはり反対概念であるのでなければなりません。そしてこれは両方とも成立するのです。ですから,その規範が何であるかということを問う限り,真理と虚偽は反対概念ではないといういい方も僕は一理あると考えますが,真理と虚偽を概念notioの上で解する場合には,各々の規範にその根拠を求めるべきではないのであって,よって真理と虚偽は反対概念であると僕は考えるのです。
これに対して,確実性certitudoと不確実性の場合はそういうわけにはいきません。真理と虚偽は,真の観念がある,誤った観念があるといわれる場合のそれら各々の集積であるのに対し,確実性及び不確実性は,ある知性intellectusのうちに何らかの観念がある場合に,その観念が確実であることないしは不確実であることをその知性が知るということを意味するからです。よってこの場合には,確実性および不確実性の規範から各々の概念を解さなければなりません。そしてその規範は同一なのです。
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