スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典JBCレディスクラシック&中性脂肪

2019-11-04 18:57:45 | 地方競馬
 浦和競馬場の1400mで争われた第9回JBCレディスクラシック
 タイセイラナキラ,アップトゥユー,ゴールドクイーンの3頭が先手を奪いにいき,発走後の正面で激しい先行争い。最内のモンペルデュが押し込められ,内埒に接触してしまい落馬。1コーナーを回ってゴールドクイーンが先頭に立ち,ピッチを落とさずに後ろを離していきました。2番手にアップトゥユー,タイセイラナキラ,ファッショニスタの3頭。5番手にラーゴブルーとミッキーオフィサー。ヤマニンアンプリメを挟んでストロングハートとサラーブ。ミッシングリンクが後方2番手で最後尾にレッツゴードンキ。最初の600mは34秒4のハイペース。
 タイセイラナキラとアップトゥユーは前との差を詰めることなく後退。ファッショニスタもゴールドクイーンに追いつく前にコーナーの途中では一杯。外を回って追い上げてきたヤマニンアンプリメが2番手に上がって直線。外連味なく逃げたゴールドクイーンでしたが最後はさすがに一杯。差したヤマニンアンプリメが優勝。逃げ粘ったゴールドクイーンが2馬身差で2着。早めに一杯になったファッショニスタも最後まで粘って6馬身差の3着。
 優勝したヤマニンアンプリメクラスターカップ以来の勝利。重賞3勝目で大レース初勝利。このレースは牡馬を相手に重賞を勝っていたのがヤマニンアンプリメとゴールドクイーンの2頭。結果的にその2頭が3着以下を離しての決着となりましたので,順当な結果といえるでしょう。ゴールドクイーンは無理にでも先手を奪ったことで力を出し,ヤマニンアンプリメは,前走で浦和コースを経験していたのが強みになったことで,難しいコースでも順当な結果で終えることができたのだと思います。母の9つ上の半兄に,1989年にデイリー杯2歳ステークス,1991年にアルゼンチン共和国杯,1992年に目黒記念を勝ったヤマニングローバル。Imprimeはフランス語で印刷用紙。
                                        
 騎乗した武豊騎手菊花賞以来の大レース制覇。JBCレディスクラシックは初勝利。JBC全体では10勝目。管理している長谷川浩大調教師は開業から8ヶ月で大レース初勝利。

 中性脂肪値,に関してまとめておきます。
 トリグリセライドといわれることもある中性脂肪の正常の範囲値は,下限値が50㎎/㎗で,上限値が149㎎/㎗とされています。僕は以前はこの値に下限値を下回るという異常が出ることがありました。最近でいうと2018年5月のときに46㎎/㎗となっていました。それ以前にも下回ったこともありますが,そのことで医師から何か注意を受けたことは1度もありません。それ以降は98,89,109,97,121と傾向としては増加に転じ,今年の4月に152と,初めて上限値を上回りました。それが5月には185と大幅な超過に転じていたのです。
 昨年の5月はまだ母が生きていた時期です。ですから僕の中性脂肪値が上昇傾向に転じたのは,母の死の直前からになります。僕はそれ以前にも自身で夕食の支度をしたことがありますが,期間でいえば限定的です。それが母の死の間際からは,ロサンゼルスの伯母が来日している期間を除けば,すべて僕が支度をするようになりました。とくに母の死後は,昨年末から今年の正月にかけての短期間の来日があっただけですので,自分の食事の用意はほとんど自分でするようになったことになります。
 当然ながら中性脂肪値というのは,食生活と大いに関係していると思われました。ですから僕が自分のすべての食事の用意をするようになったことと,中性脂肪値の上昇には関係があったものと思います。では食生活の中にどのような変化があったのかといえば,それまでに比べると揚げ物,たとえばトンカツやチキンカツ,あるいはカキフライといったものを食べる機会が増えたということです。とくに上昇傾向が顕著になり,上限値を超過するようになった時期は,そのような揚げ物を食べる機会がさらに増していました。そして考えられる原因というのがこれだけでしたので,僕は5月に大幅な上限値の超過があって以降は,そうしたものを食べる機会を一切なくしました。元々はそんなに食べていなかったことからも分かるように,僕は脂っこいものは基本的に好きではありませんので,食べないようにするということはそんなに辛いことではありませんでした。
コメント
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