Sunday Song Book Playlist

2009年05月10日 | Sunday Song Book

<05月10日プレイリスト>
[エリー・グリニッチ特集 4]
MR. MAGIC MOON/THE GLEAMS '63
OUT IN THE STREET/THE SHANGRI-LAS '65
SPRING FEVER/TONY PASS '66
WHAT GOOD IS I LOVE YOU/DUSTY SPRINGFIELD "SEE ALL HER FACES" '72
WHAT GOOD IS I LOVE YOU/ELLIE GREENWICH "LET IT BE WRITTEN, LET IT BE SUNG" '73
PLEASE MAKE THE LOVE GO AWAY/THE WHATNAUTS "INTRODUCING" '70
GONNA GET MYSELF TOGETHER/JOHNNY NASH "TEARDROPS IN THE RAIN" '72
RIGHT TRACK WRONG TRAIN/CINDY LAUPER '83
BOYS IN THE ATTIC/ELLEN FOLEY "ANOTHER BREATH" '83
A GIRL LIKE THAT/NONA HENDRYX "THE HEAT" '85
CHA CHA CHARMING/シリア・ポール "夢で逢えたら" '77
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■内容の一部を抜粋
・近況
昨年の12月から続いてきた全国コンサート・ツアーは明日5月11日(月)の中野サンプラザで千秋楽を迎える。久しぶりの50本という大規模なホール・ツアーだったが何事もなく終われそうだとタツローさん。今日は直前の録音ということで豚インフルの話題があった。そしてまた曲書きの仕事が入ってきたそうだ。ライヴが終わったら即、次の曲にかかるのだという。「とりあえず明日のツアーのファイナル、がんばってやってみたいと思います。全国いらしていただいたお客様には改めて来週あたり御礼を申し上げたいと思います」とタツローさん。

・ELLIE GREENWICH(エリー・グリニッチ)特集
ついに4週目に突入。今週で最後となる。エリー・グリニッチはソロ・アルバムを何枚か出しているが今ではCDで聴けるし、今回はあくまでソングライター特集なので、エリー・グリニッチの未CD化作品、もしくは普段聴けないレアなものを中心に。'62、63、64年の黄金時代を過ぎて、'60年代後半から'70年代、'80年代まで足を伸ばしてキャリアの全てを4週間で網羅する。

・MR. MAGIC MOON
タツローさんがお世話になってる広島のレコード屋さん「クールハンド」の竹内さんから「この曲是非かけてくれ」とリクエストがあったそうだ。
http://www.coolhand-records.com/index.html

1963年の「MR. MAGIC MOON」はグリームス名義だが歌ってるのはエリー・グリニッチ。うわさではレインドロップスのオケを流用して作ったとか。誰かにエリー・グリニッチが歌ってもらおうとして書いて、録音して、トラックを作ったが、グリームスという名義でそのデモがリリースされたようだ。アメリカではヒットしなかったが、日本ではちょっとヒットしたとか。ジェフ・バリー、エリー・グリニッチとトニー・パワーズの共作。アレンジはジェリー・ラガヴォイ。この曲を聴いたフィル・スペクターがジェフ・バリー、エリー・グリニッチにオファーして、それでできたのがボビー・B・ソックス&ブルージーンズの「WHY DO LOVERS BREAK EACH OTHER'S HEARTS」だといわれている。コリアン系のガール・グループ、キム・シスターズがカヴァーしているとか。

・OUT IN THE STREET
シャングリラスの「OUT IN THE STREET」は1965年、全米53位。2週目にかけたシャングリラスの「LEADER OF THE PACK」は「族の頭」の歌だったが、この曲は一転して、族に入っていた男の子が足を洗って更生したのを族の女の子が悲しむという哀愁に満ちた歌。

・SPRING FEVER
トニー・パスはイタロアメリカ系の白人シンガーで、ドゥーワップ・グループのファッシネイターズのリード・ヴォーカルで知られている。ジェフ・バリーと古い関係でジェフ・バリー、エリー・グリニッチのプロデュースで1966年にアトコから出したシングルが「SPRING FEVER」。

・WHAT GOOD IS I LOVE YOU
エリー・グリニッチはかつてデモ・クィーンと言われたことがあるくらい歌がうまかった。ダスティ・スプリングフィールドには彼女の歌い方を真似して曲を提供していた。ダスティ・スプリングフィールドはエリー・グリニッチのデモを全て取っていたという逸話がある。ダスティ・スプリングフィールドの1972年のアルバム『SEE ALL HER FACES』から「WHAT GOOD IS I LOVE YOU」と、1973年のエリー・グリニッチのソロ・アルバム『LET IT BE WRITTEN, LET IT BE SUNG』から「WHAT GOOD IS I LOVE YOU」の聴き比べ。エリー・グリニッチのソロ・アルバム『LET IT BE WRITTEN, LET IT BE SUNG』は、キャロル・キングの『TAPESTRY』が大ヒットしたことから、周りから作るように言われて、ソロ・レコーディングしたくなかったが嫌々やったという。ライヴも好きではなかったのでほとんどやらなかったから、当時は話題にもならなかったが、今では評価の高いアルバムとなっている。

・PLEASE MAKE THE LOVE GO AWAY
エリー・グリニッチは1970年頃、レコード制作から足を洗おうとしてジングル制作のコマーシャルの会社を起こす。それまでは若さ故、楽しくスタジオで仕事をしていたが、だんだん業界のしがらみの厭らしさに神経が参ってきたのだとインタビューで話しているという。
それでも出版社は曲を売り込み、思わぬところからヒット曲が生まれている。ホワットノウツはニュージャージーのスィート・ソウルのグループ。1970年の「PLEASE MAKE THE LOVE GO AWAY」はジョージ・カーのプロデュースで全米ソウル・チャートの47位に上るヒットとなった。ソングライティングのパートナーはマイケル・ラシュコー。

・GONNA GET MYSELF TOGETHER
1972年のジョニー・ナッシュのアルバム『TEARDROPS IN THE RAIN』に収められた「GONNA GET MYSELF TOGETHER」はエリー・グリニッチの作品。ソングライティングのパートナーはマイケル・ラシュコー。

・ブロンディ
エリー・グリニッチは1970年代初めに権利問題などで神経衰弱となり2年ほど現場を離脱している。その後、コーラスで復帰してちまちまと仕事をこなしている。'80年代に入り、イギリスのニューウェブ・ムーブメントでエリー・グリニッチの再評価が起こる。例えばブロンディーの最初のデモが「OUT IN THE STREET」だったが、彼女のファースト・アルバムにコーラスで参加し、曲の提供も行っている。

・RIGHT TRACK WRONG TRAIN
最もインパクトがあったのはシンディ・ローパー。ファースト・アルバムにコーラスで参加、出世作となった1983年の「GIRLS JUST WANT TO HAVE FUN」のB面「RIGHT TRACK WRONG TRAIN」がエリー・グリニッチの曲だった。この曲は未CD化だという。シンディ・ローパーはニューヨーカーなので、エリー・グリニッチはインタビューで「今まで仕事した中でいちばん気があった人」と話しているそうだ。

・BOYS IN THE ATTIC
1983年のエレン・フォーリーのサード・アルバム『ANOTHER BREATH』(プロデュースド・バイ・ビリー・ポンシア)に収められている「BOYS IN THE ATTIC」はエリー・グリニッチ作品。

・A GIRL LIKE THAT
1985年には元ラヴェルのノナ・ヘンドリックスのアルバム『THE HEAT』(プロデュースド・バイ・バーナード・エドワーズ、ジェイソン・コルサロ、ミックスはアーサー・ベイカー)に収められた「A GIRL LIKE THAT」もエリー・グリニッチ作品。

・ミュージカル『LEADER OF THE PACK』
1985年にエリー・グリニッチの作品がミュージカルとなり、彼女も出演しボトムラインで公演している。これが大ヒットしブロードウェイに進出し、サウンドトラックも残っている。

・CHA CHA CHARMING
「4週間エリー・グリニッチを特集してつくづく思ったのは、いかに大瀧詠一さんがエリー・グリニッチを研究なさっているかということでありました」とタツローさん。大瀧さんに敬意を表して1977年のシリア・ポールさんのアルバム『夢で逢えたら』から「CHA CHA CHARMING」。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
05月17日は、レギュラー・プログラム「棚からひとつかみ」
http://www.smile-co.co.jp/tats/
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20世紀のはじまり○ピカソとクレーの生きた時代

2009年05月09日 | アート

5月3日(日) 晴れときどき曇り。

キヨシローの悲報にショックを受けていたが、3日は前から観に行こうと計画していた「20世紀のはじまり○ピカソとクレーの生きた時代」展へ行って来た。実は國學院大学文学部、宮下誠教授の記念講演会「クレーを見舞うピカソ」があったので聴講するという目的があったのだ。

時間までピカソとクレーの作品を見て、90分の講演を聴講するというスケジュール。講演のあとに再入場できたのでもう一度展覧会を観た。宮下誠教授は癖のある人だった。まぁ、でもキヨシローの悲報で沈んでた気持ちを癒すにはよかった。講演で自身のブログに触れていたのでリンクしておこう。
http://ameblo.jp/kegel/

そう、「20世紀のはじまり○ピカソとクレーの生きた時代」展は、タツローさんのライヴで遠征したときに渋谷で観る予定だった。3ヶ月後に兵庫県立美術館で巡回展があって観ることができた。もともとこの展覧会の作品はドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館の所蔵品だそうだ。現在改修工事のため閉館しているので日本にコレクションを貸し出すことにしたという。美術館の館長が、ピカソの「鏡の前の女」だけは勿体ないので貸し出すのを渋ったとか。日本で見られるのは今回が最後になるかもしれない。心ゆくまで鑑賞した。

観賞後は三宮に出てカフェラでまったり。大型連休中の神戸で人生を思う。



帰りの電車の中でiPodに入ってたキヨシローの曲を聴いた。『夢助』と『入門編』の中からたったの5曲。まだ死んだなんて信じられない。車窓から見えるたそがれが感傷的な気持ちにした。太陽を浴びて、その温もりは夜になってもまだ消えてない、ブライアン・ウィルソンはジョン・F・ケネディが亡くなった夜、そんな曲を書いた。僕もまたそんな心境だった。
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清志郎逝去

2009年05月08日 | Rock
先週、土曜日の夜、届いた悲報。


■訃報

かねてより病気療養中であった忌野清志郎ですが、
癌性リンパ管症のため5月2日 午前0時51分享年58歳にて逝去いたしました。
ここに生前のご厚誼に深謝し謹んでご通知申し上げます。
http://www.kiyoshiro.co.jp/news/index.html


信じられない思いでいっぱいだ。
まだ気持ちの整理がつかない。

最初にキヨシローを見たのはテレビだったように思う。
「ヤング OH! OH!」で見た記憶がある。
中学生の頃だ。
好きになって聴きだしたのは『ハートのエース』の頃。
最初に買ったアルバムは何だったか。
たぶん1986年のソロ・アルバム『レザー・シャープ』だったと思う。
はじめてライヴを見たのはもっとずっと後。
2002年のFM802のイベント。
http://homepage3.nifty.com/sitedoi/sahashi.htm#japanesoul

死んでしまったなんて信じられない。
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Motoharu Radio Show #005

2009年05月06日 | Motoharu Radio Show

2009/05/05 OnAir - 1st Week
Simply Red:Stars
Smokey Robinson:Being With You
Melody Gardot:Baby I'm a Fool
Fleet Foxes:Sun It Rises
Fleet Foxes:Drops In the River
Al Kooper:Staxability
Counting Crows:Come Around
blur:Tender
Beth Rowley:I Shall Be Released
Tom Petty:Free Fallin'
佐野元春:君が気高い孤独なら
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■内容の一部を抜粋
・連休
春の連休は「ゴールデン・ウィーク」と呼ばれているが秋の連休は「シルバー・ウィーク」というらしい。「まっ、ゴールデンに対してシルバーということだと思いますけれども、本当にこの言い方が普通に使われるようになるのかどうか。どうなんでしょうか」と元春。元春自身は「シルバー・ウィーク」と呼ばれていることを知らなかったそうだ。そもそも「ゴールデン・ウィーク」という名称は、ある映画会社が5月の連休でたまたま興行成績がよかったことからこの期間を「ゴールデン・ウィーク」と名付けたそうだ。この言い方が他の業界にもいい感じに広がっていったことから、今度は秋の連休を「シルバー・ウィーク」と名付けようということになったとか。でも「シルバー・ウィーク」はちょっと聞き馴染みがない。ちなみにNHKでは「ゴールデン・ウィーク」という名称が映画会社の宣伝用語じゃないかということで「大型連休」という言い方で統一している。

・Stars
シンプリー・レッドはヴォーカリスト、ミック・ハックネルを中心としたブリティッシュ・ソウル・バンド。「Stars」は彼らの'90年代のヒット。

・Being With You
「Being With You」は'80年代のヒット。スモーキー・ロビンソンはモータウン・レーベルのスター。素晴らしい曲をたくさん残している。ソングライティングだけではなく、その独特のヴォーカル・スタイルもその後のシンガーに大きな影響を与えた。

・Baby I'm a Fool
シンガー・ソングライター、メロディ・ガルドーのバイオグラフィーには「19歳のときに大きな交通事故に遭って入院中に受けた音楽セラピーがきっかけで作曲をはじめた」と書かれてるそうだ。彼女の最新作『My One And Only Thrill』から曲は「Baby I'm a Fool」。

・3PICKS!
「Motoharu Radio Show」では毎月番組推薦盤3枚のCDをピックアップしている。今月5月の「3PICKS!」はフリート・フォクセズ『Fleet Foxes + Sun Giant EP』、ゴメス『A New Tide』、そしてマデリン・ペルー『Bare Bones』。どのレコードも心に響くよいソングライティングと素晴らしいサウンドがあると元春。この中から今週はフリート・フォクセズの新作『Fleet Foxes + Sun Giant EP』を取り上げる。

・Fleet Foxes
フリート・フォクセズはアメリカ・シアトルの出身で平均年齢23歳の若いバンド。昨年、地元のインディー・レーベル「Sub Pop」からデビュー。彼らは自分たちの音楽のことを「バロック・ハーモニック・ポップ」と言ってる。「フリート・フォクセズの音楽でとても魅力的に感じるのは素晴らしいコーラス・ワークです。コーラス・ワークが素晴らしいバンドといえばビーチボーイズ、クロスビー、スティルス&ナッシュといったバンドがいますが、それと肩を並べるくらい充実しています。音楽的にはゴスペルやフォーク・ミュージックに知識と愛情を持ってるんじゃないか、そんなふうに感じます。演奏もアコースティックな楽器の使い方がとても効果的です。こうした音楽が新しい世代から生まれてくることは本当に歓迎してもいいことだと思います。インターネット、My Spaceにも彼らのページがあるので更に興味のある人は調べてみてください」と元春。
http://www.myspace.com/fleetfoxes

・Staxability
アル・クーパーのニュー・アルバム『White Chocolate』から。「タイトルは"White Chocolate"、[白いチョコレート]ですよね。僕は白人だけれどもブルースのことはよく知ってるぜという、いかにもアル・クーパーらしいタイトルだと思います」と元春。「Staxability」はアル・クーパーがスタックス・レーベル50周年を祝って作った曲。レコードではスタッフ・レコードのサウンドを支えたスティーブ・クロッパー、ドナルド・"ダック"・ダンといったミュージシャンが参加。曲の途中、スタックス・レーベルのヒット曲のフレーズがさりげなく出てくる、洒落た遊びをしている曲。

・GreenPeople
環境問題に取り組むユースたちを紹介するレポート「GreenPeople」。毎週このコーナーでは環境を巡る社会活動を通じて様々なアクションを起こしている人たちを紹介。このコーナーの協力はNHKの環境特集番組「SAVE THE FUTURE」。
今週はNPO法人グリーン・バード。2003年、東京・原宿の商店街の青年会が中心になって発足。ゴミやタバコをポイ捨てしないと宣言すれば誰でも参加できるお掃除ボランティア。企業や個人と協力し、オリジナルの袋を使って街のゴミ拾いを行っている。定期的な清掃活動の他、東京ガールズ・コレクションなどイベントともコラボレート。国内外28ヶ所に支部を持ちパリやスリランカでも活動している。5月30日には全国一斉の清掃イベントを予定している。
http://www.nhk.or.jp/savethefuture/mamoribito/index.html

・Come Around
カウンティング・クロウズのオリジナルとしては5年ぶりのスタジオ録音盤『Saturday Nights & Sunday Mornings』から。サンフランシスコ出身、リード・シンガー、アダム・デュリッツを中心に結成されたバンド。

・Tender
「ブリット・ポップの代表とは本来このバンドのことを言うんだろうなというブラー。1999年のアルバム『13』からの曲を1曲。あのポップでキャッチーなブラーがなぜまじめくさったゴスペル音楽をやるのか。当時はファンのあいだで賛否両論でした。僕たちが持ってる中で愛は何より素晴らしい。そんなことを歌っています。僕は素敵な曲だと思います」と元春。
聞くところによるとこの「Tender 」を書いたデーモン・アルバーンは、ちょうど彼女と別れたばかりだったということで失恋の歌なのかもしれない。

・I Shall Be Released
ボブ・ディランの曲をイギリスの26歳のシンガー・ソングライター、ベス・ローリーがカヴァーしている。
「ゴスペル音楽が教会で奏でられる祈りの音楽としたら、この音楽もまたゴスペルに近いものを持ってるんじゃないかと思います」と元春。

・Free Fallin'
40歳を過ぎて離職し、十代のようにこれからの生き方を模索しているというリスナーからのメッセージ。
「Free Fallin'」はトム・ペティの曲。

・君が気高い孤独なら
アルバム『Coyote』のリード・トラック。新しい季節に元春からプレゼント。

・自分にご褒美をあげたいときはどんなとき?
「来週のオンエアなんですけれども、リスナーのみなさんに僕から是非訊いてみたいことがあります。それは『自分にご褒美をあげたいときはどんなとき?』。何か思いついたら番組宛までを送ってください。楽しいコメント待ってます」と元春。
http://www.moto.co.jp/MRS/
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Ryuichi Sakamoto Playing The Piano 2009

2009年05月05日 | Live

3月27日(金) 曇り。

サンケイホールブリーゼで行われた坂本龍一の「Ryuichi Sakamoto Playing The Piano 2009」を聴きに行った。

坂本龍一のニュー・アルバム『out of noise』に伴うピアノ・ソロ・コンサート・ツアー。
今回の全国コンサート・ツアーでは全公演の会場で消費される電力をグリーン電力でまかない、
想定されるCO2の排出量をカーボンオフセットする試みが行われている。
チケット代金からも日本国民一人が一日に排出するCO2約6kgを
1kgカーボンオフセットする費用として一部活用されているらしい。
1kg分のCO2削減の証として入場時にはピンバッジが配布された。

・カーボンオフセット
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%83%95%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88

またiTunes Storeでは全公演のライヴ音源を公演終了後24時間以内に有料配信している。

・osaka032709
(↓クリックするとiTunes Storeにジャンプします)

坂本龍一 - osaka 032709 - behind the mask

さて、サンケイホールブリーゼ公演から1ヶ月以上経過したが、
有料配信された音源を聴きながらライヴレポートを書いてみよう。

開演時間が過ぎた頃、静かにホールの灯りが落とされた。
サンケイホールブリーゼはホール内が黒で統一されているのでステージは真っ暗闇となった。
その暗闇の中で僅かに音が聴こえる。
目がなれた頃、ステージに教授がいて、やがてぼんやりとステージは明るくなった。
教授はグランドピアノから身を乗り出して、鍵盤の弦を叩いたり、弾いたりしているのが見えた。
1曲目は「glacier」。「glacier」は「氷河」を意味する言葉だ。
昨年、教授が北極圏のグリーンランドを訪れた体験から生まれた曲で、
現地でフィールド・レコーディングした音源が使われている。
オープニングは幻想的な風景が広がる音楽だった。

2曲目は毎日、即興演奏をやっているという。
3曲目にコトリンゴの曲をカヴァーした「to stanford」。
ニュー・アルバム『out of noise』の中では輪郭のはっきりとした楽曲だ。
張りつめていた会場の空気がほどけてゆくような印象があった。

「hibari」はアルバムのリードトラックといってもいい曲。
決まったメロディを反復しながら、しかし少しずつずれてゆくミニマル・ミュージック。
聴くほうも演奏するほうも忍耐が求められると教授は話した。

教授がケータイのCMに出演していることから、
「composition 0919」のみカメラ付きケータイ、デジカメでの撮影が許可された。
この動画がそれ。



教授は上から下まで真っ黒の衣装。めがねをかけています。
ピアノは2台ありまして、もう1台はコンピューターで自動演奏。

何枚か写真も撮影したけれどほとんど失敗(苦笑)。
慌てて撮影するとうまく撮れない。公開できるのはいちばん上の画像1枚のみ。
2階席の8列目はこんな感じでした。

さて、以上5曲目まではどの会場も同じセットリストにしているそうだ。
iTunes Storeで全公演の音源を配信するので意識してセットリストを替えてるという。
大阪で初披露となったのはYMO時代の曲で「Behind the Mask」。
何の曲かわかったとき、僕は思わず「おおっ」と感嘆の声をあげた。

しばらく教授の音楽を日常的に聴いてなかったせいか、
この日のセットリストで曲名の判明しない曲が何曲かあった。
「chanson」はアルバム『BTTB』の曲らしい。
「mizu no naka no bagatelle」は昔サントリー・オールドのCM用に書いた曲だそうだ。
2曲とも記憶の淵からすっぽりと消えてしまっている。

「鉄道員(ぽっぽや)」はライヴではじめて聴いたと思う。
同名の映画のタイトル曲で作詞が奥田民生、歌は坂本美雨。
「映画はヒットしたんですが曲は話題にならなかった(笑)」と教授。
曲の途中で賛美歌のようになるところがあって、その部分がポケモンの音楽に似ていると
身内からクレームがあったそうだ。

「鉄道員(ぽっぽや)」と同じ日に作った曲があって、そっちのほうは何故か話題になったという。
そう言って弾いたのが「energy flow」だった。
出だしを弾いて、
「なんとなく似てない? イ短調、Aマイナーが同じですね」と教授。

本編のラストとなったのは「シェルタリング・スカイ」。
映画のサントラは何年も後になって中古盤で手に入れた。
しかしこの曲も僕はタイトルが思い出せず、演奏中に何の映画の曲だったか思い巡らしていた。

アンコールになって客席から「東風」をリクエストする声が飛んだ。
実は僕は「東風」のピアノ・ソロをずっと聴きたいと思っていた。
だからリクエストした彼が「お願いします」と勇気を出して言ったとき
大きな拍手をして彼を応援した。
彼のリクエストが叶い「東風」は演奏されたわけだが、
ハーモニーの美しさを際立たせるためにゆったりとしたヴァージョンで披露された。
そして教授は完奏せずに途中で止めてしまって、
YMOのディスコティック・ヴァージョンから抜けられなくて迷ってる段階だと話した。
矢野顕子ヴァージョンの「東風」をプロデュースしたのも教授自身だったが、
あのヴァージョンが最も完成したセルフ・カヴァーだということだった。

「1900」は好きな曲だ。曲を書いたのはエンニオ・モリコーネ。
「美貌の青空」はライヴの定番。毎回ライヴでは披露されている印象がある。
コンピューターを使っての自動演奏のタイミングが合わず出だしをやり直した。

筑紫哲也の「NEWS23」のテーマ曲「put your hands up」はひたすら美しかった。
昨年11月に亡くなった筑紫さんを追悼しているかのようだった。

ダブル・アンコールに応えて演奏されたのは「tibetan dance」。
途中で誰かが手拍子をはじめて、1階席で手拍子は広がったものの、僕は参加せず。
ノイズのひとつだと思って聴いていた。


■Ryuichi Sakamoto Playing The Piano 2009
2009年3月27日(金)サンケイホールブリーゼ
2階2H列9番

坂本龍一(Piano)

Setlist

01 glacier
02 Improvisation0327
03 to stanford
04 hibari
05 composition 0919
06 Behind the Mask
07 silk endroll
08 chanson
09 mizu no naka no bagatelle
10 tango
11 poppoya
12 energy flow
13 lonliness
14 the sheltering sky
Encore
15 (tong poo)
16 1900
17 bibo no aozora
18 happyend
19 put your hands up
20 aqua
21 tibetan dance
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Sunday Song Book Playlist

2009年05月03日 | Sunday Song Book

<05月03日プレイリスト>
[エリー・グリニッチ特集 3]
I CAN HEAR THE MUSIC/THE BEACH BOYS '69
BUT YOU LIED/CATHY CARROLL '62
OUR LOVE, IT GROWS/MYRNA MARCH '62
THAT BOY JOHN/THE RAINDROPS '63
I HAVE A BOYFRIEND/THE CHIFFONS '63
NOTHING WENT RIGHT/LORRIE DARNELL '63
HE'S GOT THE POWER/THE EXCITERS '64
THAT'S WHAT THEY SAID/MIKE CLIFFORD '62
HAPPY ANNIVERSARY/PAT POWDRILL '63
EVERYBODY COME CLAP YOUR HANDS/MOODY & THE DELTAS '64
THIS IS IT/JAY & THE AMERICANS "COME A LITTLE BIT CLOSER" '65
THE LOOK OF LOVE/LESLEY GORE '64
HICKORY, DICKERY, DOCK/BABY JANE & THE ROCKABYES '63
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■内容の一部を抜粋
・近況
番組は相変わらず前倒しで収録している。12月から続いてきた全国コンサート・ツアーは5月1日、2日の沖縄公演で49本が終了した。残るは5月11日(月)の中野サンプラザ千秋楽を残すのみとなった。かなりの前倒しなのでどうなってるかわからないとタツローさん。追加公演の情報はタツローさんのホームページに掲載されている。
http://www.smile-co.co.jp/tats/

・ELLIE GREENWICH(エリー・グリニッチ)特集
先週、先々週はヒット・ソングのオンパレードだったが、今週はだんだんおたくな世界に入ってきて有名でない曲の目白押し。それでもロックンロールなプログラムなのでガール・ポップ、'60年代ポップがお好きな方でしたらお気に召していただけると思います、とタツローさん。エリー・グリニッチ、旦那さんのジェフ・バリーと組んでバリー/グリニッチで一世を風靡したが、今週は隠れた曲なので他のソングライターとのコラボレーションが割と多いそうだ。

・I CAN HEAR THE MUSIC
1969年にビーチボーイズがカヴァーしたバリー/グリニッチ作品。もともとは1966年にロネッツの最後のヒット曲となった作品。当時のビーチボーイズは不振だったが全米24位といいチャート・アクションを示した。

・BUT YOU LIED
1962年、エリー・グリニッチの最初期の作品でキャシー・キャロルというアイドル・シンガーに提供した曲。ワーナー・ブラザーズからリリースされたシングル。共作はスクリーン・ジェムズのスタッフ・ライター、トニー・パワーズ。プロデュースド&アレンジド・バイ・スタン・アップルドバウム。

・OUR LOVE, IT GROWS
ミルナ・マーチは女優兼シンガーの人。1962年にルーレットからリリースされたシングル。もともとはジョニー・ソマーズに書いた曲だがジョニー・ソマーズはレコーディングしてくれなかったそうだ。エリー・グリニッチが単独で書いた曲。プロデュースはバート・バーンズ。

・THAT BOY JOHN
ジェフ・バリーとエリー・グリニッチの幽霊グループ、レインドロップスの1963年の暮に発売されたシングル。ちょうど折り悪くジョン・F・ケネディが暗殺されたので、「THAT BOY JOHN」というタイトルがひっかかってしまって、全米64位で終わってしまったが、エリー・グリニッチはこの曲が気に入ってるとコメントしている。

・I HAVE A BOYFRIEND
同時期にヒットしたシフォンズの曲でジェフ・バリー、エリー・グリニッチとハンク・メドレスの三者クレジット。全米36位。バリー/グリニッチらしいバック・リフが聴ける1曲。

・NOTHING WENT RIGHT
1963年の作品。ロリー・ダーネルというガール・シンガーのローリー・レーベルからのシングル。エリー・グリニッチとマーク・バーカンのコンビで書かれた曲。全くヒットしなかった。

・HE'S GOT THE POWER
エキサイターズの「DOO-WAH-DIDDY」に勝るとも劣らない名作。エリー・グリニッチとトニー・パワーズの共作。プロデュースはバート・バーンズ。1963年、全米57位。

・THAT'S WHAT THEY SAID
L.A.出身のシンガー、マイク・クリフォードの1962年のシングル「WHAT TO DO WITH LAURIE」(邦題「いとしのローリー」)のB面。邦題は「みんながいったこと」。曲を書いたのはエリー・グリニッチとベン・ラレー。プロデュースド・バイ・リーバー&ストーラー。

・HAPPY ANNIVERSARY
黒人女性のパット・パウドリルはアイク&ティナ・ターナーのバック・コーラスのアイケッツのメンバーだった人。彼女の1963年のシングル。曲を書いたのはエリー・グリニッチとトニー・パワーズのコンビ。エリー・グリニッチのデモも残っているらしい。アレンジはジャック・ニッチェ、プロデュースはジミー・ボーエンというウエスト・コーストのプロジェクト。

・EVERYBODY COME CLAP YOUR HANDS
ジェフ・バリー、エリー・グリニッチはジェリー・リーバー、マイク・ストーラーの事務所で働いていたので、リーバー&ストーラーのプロデュース作品に深く関わっている。ジェリー・リーバー、マイク・ストーラーが設立した「レッドバード」、「ブルー・キャット」に続く「デイジー」という3番目のレーベルから、1964年にデビューしたムーディ&ザ・デルタスの作品。ニューオリンズ出身の黒人シンガー、ムーディー・スコットをスカウトしたのは元シンガーのジョー・ジョーンズ。ディキシー・カップスをニューオリンズから引っぱってきたのもこの人。曲はジェフ・バリー、エリー・グリニッチ。

・THIS IS IT
リーバー&ストーラーといえばジェイ&ジ・アメリカンズ。ニューヨーク出身の5人組のグループ。「THIS IS IT」は1964年にシングル・カットされたがヒットせず、1965年のアルバム『COME A LITTLE BIT CLOSER』に収められた。曲を書いたのはエリー・グリニッチとトニー・パワーズのコンビ。

・THE LOOK OF LOVE
レスリー・ゴアの1964年のシングル。全米27位。曲はジェフ・バリー、エリー・グリニッチ。最近はCD化されてステレオ・ヴァージョンが聴けるが、今日はタツローさんの持ってるシングル盤からデジタル・プログレッシングしたモノラル・ミックス・ヴァージョン。

・HICKORY, DICKERY, DOCK
タツローさんがジェフ・バリー、エリー・グリニッチ作品の中でとりわけ好きな1曲。ベイビー・ジェーン&ザ・ロッカバイズについては全然わからないという。「HICKORY, DICKERY, DOCK」はマザーグースのチクタク・チクタク・ボーン・ボーンを引用したダンス・ミュージック。リーバー&ストーラーのプロデュース。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
05月10日は、引き続き「ELLIE GREENWICH(エリー・グリニッチ)特集」
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サウンド・ミュージアム 坂本龍一

2009年05月02日 | RADIO

■サウンド・ミュージアム 坂本龍一
2009年4月26日(日) NHK-FM 19:20 - 22:00
坂本龍一
渋谷陽一

Playlist
hibari / 坂本龍一
千のナイフ / 坂本龍一
iconic storage / 坂本龍一
東風 / YMO
Merry Christmas Mr. Lawrence / 坂本龍一
TIBETAN DANCE / 坂本龍一
Broadway Boogie Woogie / 坂本龍一
RISKY / 坂本龍一
Same Dream, Same Destination / 坂本龍一
chanson / 坂本龍一
World Citizen -I won't be disappointed / 坂本龍一
RIOT IN LAGOS / YMO『YELLOW MAGIC ORCHESTRA LIVE IN GIJON 19/6 08』より
still life / 坂本龍一
firewater / 坂本龍一
glacier / 坂本龍一
composition 0919 / 坂本龍一
to stanford / 坂本龍一
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■内容の一部を抜粋
・サウンド・ミュージアム
3月4日に5年ぶりとなる最新アルバム『out of noise』を発表した坂本龍一を取り上げる2時間40分。進行は渋谷陽一。題して「坂本龍一と渋谷陽一で聴く坂本龍一」。
http://www.nhk.or.jp/sound-m/

・hibari
ニュー・アルバム『out of noise』の1曲目。今回のプレイリストは渋谷陽一が丸一日かけて選曲したそうだ。

・千のナイフ
1978年のアルバム『THOUSAND KNIVES OF・RYUICHI SAKAMOTO』の1曲目。
「よくわかんないね、どう捉えたらいいのか(笑)」と教授。若いって乱暴だね、二十代には二十代、三十代には三十代にしか作れない音楽っていうのはあるよねと。

・iconic storage
ロンドンから届く音楽のリアクションだという1980年のアルバム『B-2 UNIT』収録曲。当時このアルバムは10万枚以上のセールスを記録しヒット・アルバムとなった。

・東風
イエローマジックオーケストラ時代の代表曲。
「ちょっとレトロっぽいね」と教授。不思議だが同じ時期に作った『B-2 UNIT』のほうが音が立ってると感じるそうだ。
「基本的にロックな人だとひじょーうにします。坂本龍一はロック的なアティチュードとロック的なエモーションでやるとすごくいいんだなぁというのを僕は感じますよね。だから今回の『out of noise』も同じ構造を感じますよね」と渋谷陽一。

・YMO
30年前は自分を当時の状況に適応させるのに苦労したと教授。今また3人でやってるがすごく楽なんだという。バンドをやるのがはじめてだったし、共同作業が苦手だったのでYMO時代は辛かったそうだ。
YMOに入るときの有名なエピソードがあって、それは高橋幸宏さんと教授が細野晴臣さんの家に呼ばれて、コタツにみかんとおにぎりがあって、細野さんから大学ノートを見せられて、そこには富士山の絵と「イエローマジックオーケストラ」と書いてあって、「やんない?」と誘われて、「うん、でも、まぁ、僕も自分の仕事が忙しいんで、時間があったらやってもいいっすけどね」みたいなことを言ったそうだ(笑)。「なんて生意気な野郎なんだっていう(笑)。それは両足突っ込まないで、いつでも逃げられるようにという僕の独特のスタンスなんですけれど。もちろんうれしんですよ。尊敬する細野さんにそんなこと言われたっていうのはさ」と教授。

・Merry Christmas Mr. Lawrence
1988年のアルバム『Coda』から「Merry Christmas Mr. Lawrence」のピアノ・ヴァージョン。
「ちょっとびっくりするな。僕は過去のものはほとんど聴かないんですよね。びっくりするぐらいに打鍵が強いですね。やっぱ若いからですかね。なんか全然音色が違うな、今と。こんなに強く弾けないですよ、今はもう枯れちゃって(笑)」と教授。

・YMO散開
アルバム『テクノデリック』を作ったときにやりつくした感があったそうだ。その後1年間休止したあと、暗黙の了解で最後の年にしようというのがあったとか。だから最後はぱあっと花火を上げて終わろうよという気持ちになっていたという。

・TIBETAN DANCE
YMO散開後の1984年にリリースされたアルバム『音楽図鑑』から。
この当時はYMOを仮想敵にして、YMOはメジャーでポップなバンドで人気者で「陽」の世界、自分は「陰」の世界、もっと過激なことをやるんだという陰陽のバランスを取っていたという。それが無くなって肩の荷がおり、もう少し難しいところに入っていたという感じあったそうだ。アルバム完成まで1年10ヶ月かかったという。
久しぶりに聴いた印象は「もっとほんわかしたトラックかなと思っていたんですけど、明るい曲だしね。ものすごい緊張感があるトラックですね。緊張が走ってるなぁ(笑)」と教授。

・Broadway Boogie Woogie
1986年のアルバム『未来派野郎』の1曲目。
「乱暴だなぁ」と教授。当時のことは忙しくてあまり覚えてないそうだ。毎晩飲んでいたとかで「俺が、俺が、俺が」という感じがするという。サンプリングマシーンが急速に普及してきて、コンピューターも使いやすくなって楽しくてしょうがない感じなのだそうだ。

・RISKY
1987年のアルバム『NEO GEO』から。ヴォーカルはイギー・ポップ。ドラムはスライ&ロビーのスライ・ダンバーで、プロデューサーのビル・ラズウェルがベースを弾いている。
「音感がゴージャスだな」と教授。
十代の頃はファンク・ミュージックを知らなくて、リズムに弱いというコンプレックスがあったのだという。二十歳を過ぎてから鈴木茂さんにスライ&ファミリーストーンを教えてもらったそうだ。そこからブラック・ミュージックやジャマイカの音楽を聴くようになったそうだ。

・Same Dream, Same Destination
1980年代の後半はアメリカのレコード会社と契約して『Beauty』、『Smoochy』、『Sweet Revenge』とポップな作品を制作する。レコード会社の社長命令だったが、曲のタイトルが変えられたり、シングルを作れと言われたり、プロデューサーの指名まであったという。
「Same Dream, Same Destination」はアズティック・カメラのロディ・フレームと一緒に作った曲。すべてループで作ったそうだ。当時、アズティック・カメラからプロデュースのオファーがあり知り合ったという。1994年のアルバム『Sweet Revenge』から。

・chanson
アメリカのレコード会社から「ポップなレコードを作れ」と言われて精一杯やったがよい結果が出せなかった。
1998年、原点に立ち返る意味で"Back To The Basic"の頭文字をタイトルにしたアルバム『BTTB』を発表。ブラームスっぽい曲を書いたりして十代の頃に聴いてきた音楽に寄り添ったのだという。その中から「chanson」。
「この落差がすごいよね」と教授。

・World Citizen -I won't be disappointed
2004年の前作『CHASM』から。
自分より一回り下の世代が作り出す音響系とかエレクトロニカと出合い楽しんでる、と教授。

・YMOの再結成
最初は食事会からはじめたという。細野さんはお酒が飲めないから食べたらすぐ帰ったという(笑)。

・RIOT IN LAGOS
2008年にスペインのヒホンで行われたYMOのライヴから。
昔のYMOはテクノでクールなバンドだった。「汗をかかない」というのがテーマだったそうだ。最近は普通になってきて汗をかいてライヴをしているという(笑)。細野さんのベースは今がいちばんすごいそうだ。テクノじゃなければというしばりがないのでチャック・レイニーから何から全部、おいしいものが、詰まってるものが、平気でゴリゴリ出てくる、と教授。

・still life
ニュー・アルバム『out of noise』から。
この2年ほどアイディアをノートに書いていたという。そこには「響き」という言葉が何回も出てきたそうだ。
「不思議な音楽だね(笑)」と教授。

・firewater
ニュー・アルバム『out of noise』から。アルバムの中でいちばん過激な曲。
「この独特なアシッド感、でも誰にもわかる心地よさ」と渋谷陽一。
「坂本龍一というのはものすごいエモーシャルな人で、ものすごいセンチメンタルな人だ、自分のセンチメンタリズムと向きあおうとする度にクールであろうとする、そのバランスの中でいろんなものが出たり、引っ込んだりする、そういうふうな歴史なのですよ」と話す。

・glacier
ニュー・アルバム『out of noise』から。曲の中に出てくる水の音は北極圏のグリーンランドを訪れたときに、氷河を割って録音した音なのだそうだ。自然にできた三角形の氷の中に入って行って鈴を鳴らし録音した音も入ってるという。

・composition 0919
ニュー・アルバム『out of noise』から。
秋にヨーロッパで20本ほどのライヴ・ツアーが予定されているそうだ。

・to stanford
ニュー・アルバム『out of noise』から。コトリンゴが書いた曲。
コメント (2)
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懐かしい未来 #001

2009年05月01日 | 懐かしい未来

■大貫妙子 ~懐かしい未来~
2009年4月28日(火) NHK-FM PM11:00 - AM00:00
DJ: 大貫妙子
GUEST: 山下達郎

Playlist
SNOW / 大貫妙子
ずっと一緒さ / 山下達郎
すてきなメロディー / シュガーベイブ
A Ray Of Hope / The Rascals
懐かしい未来~longing future~ / 大貫妙子
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■内容の一部を抜粋
・生放送
今夜はスタジオまでクルマを運転してきたという。月がきれいだったとか。

・荒吐ロック・フェスティバル
26日の日曜日には荒吐ロック・フェスティバルに出演したター坊。生憎、雨と風の悪天候だったとか。
http://arabaki.com/home.php

・懐かしい未来
四月から毎月最終火曜日の夜11時から生放送でお届けする新番組。毎回ゲストを迎えての60分。
再放送は翌週火曜日の午前10時から。
生放送の番組へのメッセージは番組ホームページで受け付けているそうだ。
http://www.nhk.or.jp/n-mirai/

「いろんな世代がいてそれぞれいろいろな価値観をお持ちだと思いますが、そういう世代を超えて生活を見直すべき時期が来ているのではないかなと思っています。あるいは世代から世代に、どこからか切れてしまった繋いでゆくべきものというか、繋げてゆくことの必要性というのか、そういうことも含めてなんですけれど、みなさまの来てくださるゲストの意見を伺おうと思っていますが。私もいろいろ旅をしてきまして、日本を離れて思うことはですね、本当に日本というのは素晴らしい国だなぁというふうに思います。もちろん政治の抱えてる問題とかたくさんございますが、そういうことではない昔からの文化や習慣や食、すべてのことをもう一回見つめ直してみたいなという気持ちもございます。そういうことも改めてお伝えできればと思っています」とター坊。

・SNOW
テレビのCMで使用されている曲。CMやテレビ、映画主題歌や、様々なコンピレーションに収録のカヴァー楽曲をコンパイルしたアルバム『palette』が4月29日にリリース。その中から。

・大貫妙子
1973年にシュガーベイブを結成し、3年ほど活動した後、1976年にソロ・デビューし、シンガー・ソングライターとして活動している。

・山下達郎
記念すべき第一回のゲストは山下達郎。「この方に会ってなければ私は音楽を続けていなかったかも」とター坊。シュガーベイブ時代からの盟友。ふたりは同じ年齢。タツローさんは2月生まれで、ター坊は11月生まれ。はじめて会ったときは20歳と19歳だったとか。

・50
現在、全国ツアー中のタツローさん。本当は47本で先週末に終了しているはずだったが、沖縄二日間が追加となり49本。験をかついでもう1本、中野サンプラザを追加して50本。「49はやっぱよくない」とタツローさん。ター坊はNHKホールで見たそうだ。

・公演時間
タツローさんのライヴは毎回大体3時間ぐらいある。今回は6年ぶりの全国ツアーなので冗長な部分は省いているのだという。タツローさんによると冗長に思えるところは休んでいるそうで、コーダで一息ついて次の準備をしているのだとか。それを今回はおもいきってやめたという。どの公演も今回は3時間5分ぐらいになっているそうだ。

・ライヴ中の喋り
ター坊はライヴの最中に喋ると歌に集中できないという。タツローさんは「あれが自分の型だから」と話す。喋ることで休めるし、次のストレスフルなピッチの曲もできるのだという。そのライヴ中の喋りでホールのことについて話しているが、その話題をふたりでしたいとター坊。

・ずっと一緒さ
昨年リリースしたタツローさんのシングル。

・NHKホール
ステージ側から見ると広く見えるが客席側から見ると近いね、とター坊。「アンビエンスが良くて拍手が上から落ちてくる」とタツローさん。意外とステージは小さく、一階の客席も小さいから本当は小さいホールで、両ウイングに広げて作ってあるからうまいことできてる、とタツローさん。

・大阪
1974年4月、シュガーベイブではじめて大阪へ行ったときはこわかったというふたり。「デューク」という喫茶店でライヴを行ったときは、通路に一直線に楽器を並べて演奏したのだとか。お客さんは12,3人だったが、そのうちの何人かは今でもライヴに来るとタツローさん。

・フェスティバルホール
ホール自体は採算性は全然問題ないが、ホテルとか施設の耐震が問題なのだという。ホールを残して上だけを建て替えようとすると、周りの道路を1年間封鎖しなければできないそうだ。それが府なり市なりの交通許可が下りないのだとか。許可が下りても補償で天文学的な予算がかかるという。簡単に5分、10分で話せないけれど、反対した以上リサーチしてみたら、文化的な施設を残そうとしたらいかに行政的に難しいことかがわかったとタツローさん。東京でも日比谷の三信ビルという素敵なコリドーのビルが結局、壊さざるをえなかったと。「法隆寺は壊さないのに、なんでフェスティバルホールをこわすのかっていう(笑)。東京でも同じ問題がたくさんあるでしょ」とタツローさん。

・ファンに対していちばん大切にしてきたことは?
人によってただの通過儀礼のように音楽を聴いてた人もいる、とタツローさん。ほんの一時期、マイブームのように音楽にのめり込んで、今は全く音楽に興味を持てないという人がいるのだと。そうではなくて中学の頃に聴いてた音楽が48歳になっても聴き続けられるようになるにはどうすればいいのかと考えているのだという。「エバーグリーン」といえば陳腐な言い方だが、ずっと通してゆくものを探してきたのが、自分の中で音楽生活だから、型を壊すよりも守るほうが難しいし、人によってはワンパターンとか懐メロとか言う人もいるけれど、同じサウンドをどれだけ保持できるかを自分の中で課題としてやってきたから、それを共有してくれるお客さんがおそらく来てくれるのだというふうに思っているそうだ。変えてゆくという作業もアバンギャルドだが、逆に変えないのも実はアバンギャルドではないのかなと。問題なのはスピリットが同じかどうかで、お客さんに対して大切にしてきたことはそういうものではないかな、とタツローさん。

・DOWN TOWN
今回のライヴでは24歳のドラマーを起用しているが、ライヴで最後に演奏する「DOWN TOWN」が、シュガーベイブを辞めてから25年くらいで、いちばんシュガーベイブに近い演奏だとタツローさん自身は思ってるのだとか。ター坊もライヴで聴いてぶわっと涙が出てきたのだという。それはたぶんドラマーの若さだろうとタツローさん。一人変わるとモチベーションが変わるのだそうだ。そういう意味では前に進まないとダメだとタツローさん。ドラマーの小笠原拓海くんに出会うまで1年半探したとかで彼は17人目だったという。

・雨は手のひらにいっぱい
イントロでエレクトリック・ピアノを演奏しているのはター坊。

・ハンドマイク
ター坊はハンドマイクで歌えないそうだ。スタンドマイクで直立して歌うから女「東海林太郎」と言われてるらしい(笑)。

・すてきなメロディー
Aメロはター坊で主メロはタツローさん、作詞は伊藤銀次さん。

・フェニックス
タツローさんは2003年にNHK総合で放送された「地球だい好き 環境新時代」のテーマ・ソングに「フェニックス」を書き下ろした。

・未来に取り戻したいものは何か?
この番組の命題。

・ミューズ
タツローさんは今回の全国ツアーの最中に民放の報道番組のテーマ・ソングを書き下ろした。「私のコアな観客層(四十代から五十代)の表情からは今回の大不況の切実さが伝わってきます。その空気感からこの曲『ミューズ』が生まれました」というタツローさんのコメントがメディアに配布されているらしく、ター坊が紹介した。曲は名古屋公演のとき三日間ホテルに缶詰となり、東京から持ち込んだキーボードで作ったという。タツローさんのファンのコア層は四十代中盤の男性で、企業のリストラの対象となっているのがその世代。ツアーで回っていると彼らから切迫感に満ちた空気をひしひしと感じたそうだ。今回のツアーのセットリストの根本的なポリシーは明るい歌で、前向きな、人生は前を向いて歩いて行こう、がんばっていこうという明るい歌しか歌ってないという。アメリカでは「兆しが見えた」と言ってるが、まだ当分はこの経済不況の状態が続くだろうから、力づける歌しかできないと思い、そうしたコメントを発表したのだそうだ。
「飢餓とか貧困の問題がなかなか解決できないけれど、僕はいつか全部とは言わないけれど、少しずつね、解決できると。悪いことが蓄積されてる分だけ、いいことも蓄積されてるというふうに、僕らは信じて生きたいなと思ってるし、そういうことを考えると、もうちょっと世界は平和になって行くかなというね。それを個人で、それから政治のレベルで、どれくらいやったり、発言したり、行動したりするというのは難しい問題なんだけれど。僕がこうやって放送で言ったところでね、アレなんだけれど。まぁ、雑駁な言い方すればそういうようなことを考えて、今回はそういう曲を作ったりしてるんですよ(笑)」とタツローさん。

・A Ray Of Hope
タツローさんのアイドル・グループ、ラスカルズはイタリア系アメリカ人のグループでカソリックの人たち。ブルー・アイド・ソウルと呼ばれる音楽で、白人だけれど黒人音楽に傾倒している。それがだんだんエスカレートしてきて、半分黒人が参加するコンサートでなければやらないと宣言したのだという。当時1967,8年の話で、それは南部でライヴができないことを意味していて、ヒット・ソングを連発したグループだったが、人気が翳ってきて解散してしまった。でも、タツローさんはその志、音楽に対する思想を学んだのがラスカルズだったそうで、「A Ray Of Hope」という曲はタツローさんにとってプライヴェート・アンセムなのだという。今回のライヴでは「蒼氓」の中で取り上げている1曲。

・TOKYO M.A.P.S
ター坊は大型連休中に開催されるJ-WAVEのイベントに出演。
J-WAVE & Roppongi Hills present
TOKYO M.A.P.S supported by JAVA TEA
TAEKO ONUKI EDITION

開催日:5月2日(土)~5月5日(火)
会場:六本木ヒルズアリーナ(日比谷線「六本木駅」より徒歩約5分)
入場無料
http://www.tokyomaps.jp/

・懐かしい未来~longing future~
アルバム『palette』で本邦初公開された曲。この番組のテーマ・ソング。

・次回放送
5月26日(火)NHK-FM PM11:00 - AM00:00
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