<05月10日プレイリスト>
[エリー・グリニッチ特集 4]
MR. MAGIC MOON/THE GLEAMS '63
OUT IN THE STREET/THE SHANGRI-LAS '65
SPRING FEVER/TONY PASS '66
WHAT GOOD IS I LOVE YOU/DUSTY SPRINGFIELD "SEE ALL HER FACES" '72
WHAT GOOD IS I LOVE YOU/ELLIE GREENWICH "LET IT BE WRITTEN, LET IT BE SUNG" '73
PLEASE MAKE THE LOVE GO AWAY/THE WHATNAUTS "INTRODUCING" '70
GONNA GET MYSELF TOGETHER/JOHNNY NASH "TEARDROPS IN THE RAIN" '72
RIGHT TRACK WRONG TRAIN/CINDY LAUPER '83
BOYS IN THE ATTIC/ELLEN FOLEY "ANOTHER BREATH" '83
A GIRL LIKE THAT/NONA HENDRYX "THE HEAT" '85
CHA CHA CHARMING/シリア・ポール "夢で逢えたら" '77
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■内容の一部を抜粋
・近況
昨年の12月から続いてきた全国コンサート・ツアーは明日5月11日(月)の中野サンプラザで千秋楽を迎える。久しぶりの50本という大規模なホール・ツアーだったが何事もなく終われそうだとタツローさん。今日は直前の録音ということで豚インフルの話題があった。そしてまた曲書きの仕事が入ってきたそうだ。ライヴが終わったら即、次の曲にかかるのだという。「とりあえず明日のツアーのファイナル、がんばってやってみたいと思います。全国いらしていただいたお客様には改めて来週あたり御礼を申し上げたいと思います」とタツローさん。
・ELLIE GREENWICH(エリー・グリニッチ)特集
ついに4週目に突入。今週で最後となる。エリー・グリニッチはソロ・アルバムを何枚か出しているが今ではCDで聴けるし、今回はあくまでソングライター特集なので、エリー・グリニッチの未CD化作品、もしくは普段聴けないレアなものを中心に。'62、63、64年の黄金時代を過ぎて、'60年代後半から'70年代、'80年代まで足を伸ばしてキャリアの全てを4週間で網羅する。
・MR. MAGIC MOON
タツローさんがお世話になってる広島のレコード屋さん「クールハンド」の竹内さんから「この曲是非かけてくれ」とリクエストがあったそうだ。
http://www.coolhand-records.com/index.html
1963年の「MR. MAGIC MOON」はグリームス名義だが歌ってるのはエリー・グリニッチ。うわさではレインドロップスのオケを流用して作ったとか。誰かにエリー・グリニッチが歌ってもらおうとして書いて、録音して、トラックを作ったが、グリームスという名義でそのデモがリリースされたようだ。アメリカではヒットしなかったが、日本ではちょっとヒットしたとか。ジェフ・バリー、エリー・グリニッチとトニー・パワーズの共作。アレンジはジェリー・ラガヴォイ。この曲を聴いたフィル・スペクターがジェフ・バリー、エリー・グリニッチにオファーして、それでできたのがボビー・B・ソックス&ブルージーンズの「WHY DO LOVERS BREAK EACH OTHER'S HEARTS」だといわれている。コリアン系のガール・グループ、キム・シスターズがカヴァーしているとか。
・OUT IN THE STREET
シャングリラスの「OUT IN THE STREET」は1965年、全米53位。2週目にかけたシャングリラスの「LEADER OF THE PACK」は「族の頭」の歌だったが、この曲は一転して、族に入っていた男の子が足を洗って更生したのを族の女の子が悲しむという哀愁に満ちた歌。
・SPRING FEVER
トニー・パスはイタロアメリカ系の白人シンガーで、ドゥーワップ・グループのファッシネイターズのリード・ヴォーカルで知られている。ジェフ・バリーと古い関係でジェフ・バリー、エリー・グリニッチのプロデュースで1966年にアトコから出したシングルが「SPRING FEVER」。
・WHAT GOOD IS I LOVE YOU
エリー・グリニッチはかつてデモ・クィーンと言われたことがあるくらい歌がうまかった。ダスティ・スプリングフィールドには彼女の歌い方を真似して曲を提供していた。ダスティ・スプリングフィールドはエリー・グリニッチのデモを全て取っていたという逸話がある。ダスティ・スプリングフィールドの1972年のアルバム『SEE ALL HER FACES』から「WHAT GOOD IS I LOVE YOU」と、1973年のエリー・グリニッチのソロ・アルバム『LET IT BE WRITTEN, LET IT BE SUNG』から「WHAT GOOD IS I LOVE YOU」の聴き比べ。エリー・グリニッチのソロ・アルバム『LET IT BE WRITTEN, LET IT BE SUNG』は、キャロル・キングの『TAPESTRY』が大ヒットしたことから、周りから作るように言われて、ソロ・レコーディングしたくなかったが嫌々やったという。ライヴも好きではなかったのでほとんどやらなかったから、当時は話題にもならなかったが、今では評価の高いアルバムとなっている。
・PLEASE MAKE THE LOVE GO AWAY
エリー・グリニッチは1970年頃、レコード制作から足を洗おうとしてジングル制作のコマーシャルの会社を起こす。それまでは若さ故、楽しくスタジオで仕事をしていたが、だんだん業界のしがらみの厭らしさに神経が参ってきたのだとインタビューで話しているという。
それでも出版社は曲を売り込み、思わぬところからヒット曲が生まれている。ホワットノウツはニュージャージーのスィート・ソウルのグループ。1970年の「PLEASE MAKE THE LOVE GO AWAY」はジョージ・カーのプロデュースで全米ソウル・チャートの47位に上るヒットとなった。ソングライティングのパートナーはマイケル・ラシュコー。
・GONNA GET MYSELF TOGETHER
1972年のジョニー・ナッシュのアルバム『TEARDROPS IN THE RAIN』に収められた「GONNA GET MYSELF TOGETHER」はエリー・グリニッチの作品。ソングライティングのパートナーはマイケル・ラシュコー。
・ブロンディ
エリー・グリニッチは1970年代初めに権利問題などで神経衰弱となり2年ほど現場を離脱している。その後、コーラスで復帰してちまちまと仕事をこなしている。'80年代に入り、イギリスのニューウェブ・ムーブメントでエリー・グリニッチの再評価が起こる。例えばブロンディーの最初のデモが「OUT IN THE STREET」だったが、彼女のファースト・アルバムにコーラスで参加し、曲の提供も行っている。
・RIGHT TRACK WRONG TRAIN
最もインパクトがあったのはシンディ・ローパー。ファースト・アルバムにコーラスで参加、出世作となった1983年の「GIRLS JUST WANT TO HAVE FUN」のB面「RIGHT TRACK WRONG TRAIN」がエリー・グリニッチの曲だった。この曲は未CD化だという。シンディ・ローパーはニューヨーカーなので、エリー・グリニッチはインタビューで「今まで仕事した中でいちばん気があった人」と話しているそうだ。
・BOYS IN THE ATTIC
1983年のエレン・フォーリーのサード・アルバム『ANOTHER BREATH』(プロデュースド・バイ・ビリー・ポンシア)に収められている「BOYS IN THE ATTIC」はエリー・グリニッチ作品。
・A GIRL LIKE THAT
1985年には元ラヴェルのノナ・ヘンドリックスのアルバム『THE HEAT』(プロデュースド・バイ・バーナード・エドワーズ、ジェイソン・コルサロ、ミックスはアーサー・ベイカー)に収められた「A GIRL LIKE THAT」もエリー・グリニッチ作品。
・ミュージカル『LEADER OF THE PACK』
1985年にエリー・グリニッチの作品がミュージカルとなり、彼女も出演しボトムラインで公演している。これが大ヒットしブロードウェイに進出し、サウンドトラックも残っている。
・CHA CHA CHARMING
「4週間エリー・グリニッチを特集してつくづく思ったのは、いかに大瀧詠一さんがエリー・グリニッチを研究なさっているかということでありました」とタツローさん。大瀧さんに敬意を表して1977年のシリア・ポールさんのアルバム『夢で逢えたら』から「CHA CHA CHARMING」。
■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係
■今後の予定
05月17日は、レギュラー・プログラム「棚からひとつかみ」
http://www.smile-co.co.jp/tats/