Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

前半戦を終えて。

2008-08-16 06:28:05 | アメリカ生活雑感
北京が朝を迎える頃、こちらは夜に入る。
おかげで、昼間は何に心を煩わされることなく仕事を片付けることができる。
午後7時。私のオリンピックが始まる。
夕飯の支度をすませ、午後9時から始まる競泳~決勝をテレビ観戦。
なんでも、アメリカの放送局はフェルプスの新記録で盛り上がる競泳の決勝をアメリカのゴールデンタイムにもってくるように中国側に迫ったらしい。

午後11時。
競泳がひととおり終わって一息つくと今度はインターネット動画に切り替えて、柔道観戦開始、長い夜が始まる。
柔道の準決勝は午前5時なので、とりあえずベスト4入りが決まればそれまで3時間ほど仮眠し、それから準決勝→決勝→表彰式と見て寝るのは午前6時過ぎ。
そんな生活を7日間続け、とりあえず前半の“戦い”が終わった。


やはり、柔道の結果には寂しいものがある。
同じ武道をやるものとして、日本の「柔道」の行く末には危機感を感じずにはいられない。
根本的に何かを変えなければ、とは思うけれど日本の「柔道」は守りとおしてもらいたいと思う。
そもそも武道をオリンピック競技にするべきではなかったのだ。


今回は、テレビに最初に映し出されるその“面構え”でその後の戦いがだいたい読めてしまった。
期待された泉は、初めから死んだマグロの目をしていたし、鈴木はアテネのようなふてぶてしさが全くなくうつろに見えた。
他の予選敗退選手はそもそも生命力のかけらもなくおどおどしていた。
それに比べて、石井のあの飢えたオオカミのような目。


今年の全日本柔道を制したとき、メディアはまるで石井にあてつけるかのように「積極的に戦って」負けた井上康生をねぎらい賞賛した。
“逃げ”の柔道とバッシングを一身に浴びながらも、「そもそも美しい柔道ってなんですか?」とインタビューで言ってのけたヒール。
日本人の待ち望んでいた勝ち方ではなかったけれど、石井には「こいつは負けないだろう」という安心感があった。



「試合は殺し合いと思ってやれ」
大学時代の剣道部の師範がよくこう言っていたのを思い出す。
“お行儀のいい”うちの大学チームに、もっと泥臭くなれとはっぱをかけたかったのだろう。一本とられたら殺される、というくらいの殺気を持てと説いたのだ。
死ぬ気で相手に向かう気持ちには、体がおのずと反応する。



美しい=お行儀がいい、ではない
美しい=正しい、だと思う。
表彰式に向かうメダリストのなかで、谷本だけが畳に上がるとき一礼をしていた。
これこそが美しさ・正しさであり、しいては強さの基なのだと思う。
究極の美しさを身に付けたとき、究極の強さも同時に手に入れる。
ロンドンでは、そんな美しさを世界に見せ付ける日本であってほしいと心から願う。



心に残ったことば。

「これから柔道する子供たちにもっともっと一本を取る柔道をしてもらいたい」(谷本歩実/柔道女子63kg級)



「親父なんで。親父の仕事をしました。」( 内柴正人/柔道66kg級)



「自分の人生に優先順位をつけろ。」(太田雄貴/フェンシング)



「これが自分色のメダルです。」( 松田丈志/競泳男子200mバタフライ)




雑感
インターネットで日本のテレビを生で見られる秘策を入手。めでたく日本の実況を見られるようになって喜んだのだが・・・


なにしろ、うるさい。う・る・さ・い!!!!
女子アナ、いらない。タレントもいらない。
それにいちいち流れるあのBGM、やかましい。
アテネのときは気にならなかったのに、今はただうるさく感じる。
もっと競技に集中させて欲しい。


どうして日本のメディアはいつまでも女子選手を“ちゃんづけ”で呼ぶのだろう。
29歳の谷本選手を「歩実ちゃん」よばわりしたキャスターには、怒りがこみあげてきた。
また、2組の片方だけを「美人コンビ」と呼ぶのも不快だ。
アメリカのメディアは、性別や年齢に関係なくアスリートに大して最大の敬意をはらってインタビューをする。
日本のメディアの軽薄さが、日本をだめにしていることに早く気づくべきだ。


「星野ジャパン」、「反町ジャパン」って何?
そもそも選手が主役だろ?
選手をリスペクトせずにメダルだけ期待するなんて、失礼千万。
これも全てメディアのせい。




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