Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

アメリカ人のToo Much自尊心

2007-07-26 13:58:13 | アメリカ生活雑感
アメリカにきてまず最初にギャップを感じたのがアメリカ人との「自意識の違い」だった。いろんな人に話を聞いてみると、これは私に限らずアメリカ以外の国、特にアジアの人たちに共通する違和感でもあった。
アジアの国、私が感じる限り少なくとも日本人と韓国人は「謙虚」「控えめ」「有言実行」を美徳としている。たとえ自分でかなりがんばったと思っても必ず「いえいえ、まだまだですから」と言う。「驕れるものは久しからず」と学び、常に自分の中の驕りを戒めるようにしこまれてきた。えらそうに振舞うやつはクラスで嫌われ者になったし、出る杭は打たれることをいろんな局面で見聞きするうちに強い自己主張は仇になることを感じて育ってきた。しかしそれがたたって、いつのまにか当然すべき自己主張もしなくなり場を円満に丸くおさめることばかりにやけに気を使う腑抜けになってしまったようにも思う。

アメリカ人は正反対。
自己主張ばかりして人の気持ちをおもんぱかることをしない、自分の非を認めない、絶対に謝らない。極めつけは、たいした力もないのに「自分はイケてる」と妙な自信だけが強いこと。
この違いはどこからくるんだろう?とずっと不思議に思っていたところに、面白い記事を発見した。
“Too much self-esteem can be bad for your child(すぎる自尊心は子供にとって危険)”

この記事ではまず、YouTubeの世界でFuntwoというコードネームで一躍有名になった24歳の韓国人学生を例あげている。映像に映し出される彼の並外れたギターテクニックはビューアーの間で“第二のジミヘン到来”とまで囁かれ、誰しもが彼の正体を知りたがった。ところが彼はいつも野球帽を目深にかぶり誰も顔すらうかがうことができない。やっとのことでニューヨークタイムズの記者が彼を探し当てインタビューをしたところ、彼はこう言ったという。
「僕は常々、自分はそんなにいいプレーヤーじゃないと思っているし、今よりもさらにもっと向上していかなきゃいけないと思っているんです。」
さらに、彼は自分自身を評して「100点満点で50~60点」と自分にきわめて厳しい。記者いわく、「これぞまさに典型的なアジアンの傾向」。

記事ではさらに興味深い研究結果が紹介されている。
1992年に心理学者のHarold StevensonとJames Stiglerが、台湾、中国、日本、アメリカの小学生を対象に行った学力比較テストで、アジアとアメリカの子供たちではその「自己認識」に驚くほどの差が明らかになったという。テストの結果はアジアの子供たちの圧勝だったのにもかかわらず、あとから自分自身の出来を聞かれたアメリカの子供たちは、アジアの子供と比べて圧倒的に高い評価を下していたという。

この要因と考えられているのが、'80年代以降アメリカで推し進められている“強いself-confidence(自信)こそが子供たちの学力に高い成果をもたらす”という考えに基づいた教育方針。
そして25年後―。
サンディゴ大学のグループが去年発表した研究結果によると“自信を植え付ける教育は大学に山のようなナルシストを生み出す”結果となり“大学生の3分の2が平均より高いレベルのナルシスト(自己陶酔)傾向にある”。これは'82当時から比較すると30%増だという。さらにナルシストの傾向として、“短命、生殖力の欠落、冷淡、不正直、暴力的な振る舞い”などをあげている。

確かに「ほめて育てる」のはいいことだとは思うが、『ブラザー・ジャックのうた』(フランス)を“I am special! I am special! Look at me!Look at me!”と変えて子供たちに歌わせるセンスの悪さはいかがなものか。結果、アメリカは山のような自信満々マンたちであふれかえっている。



この記事を読んでいて頭をよぎったのが、最近よく一緒にセッションをしているマサコとそのダンナのポール夫妻。この二人がこの点(自己認識)で見事なまでに正反対なのだ。
もともとピアノで食っていた経験のあるマサコは、ここ数年前からJazzに本腰を入れはじめ、師匠につき、学校にも通い、人の演奏を聞き込み、練習に励み、そうして得た仲間たちとJam Sessionを主催してはこつこつとスキルを磨いてきた。それでもまだ自分の勉強不足を感じて地道に努力をしている人。
一方のポール。この人は自分のことを「ジャズ・ドラマー」と何のためらいもなく言う。悪いけれど彼のドラムは間違っても“ドラマー”とは呼べないレベル。体にリズム感というものが全くないのが歴然とわかる(ごめんね)。数年前、一緒にプレイすることに耐えかねたマサコが彼にもっと練習するように促したことがあるらしいが、そういわれること自体全く寝耳に水といった様子で、以降も練習しているところを見たことがないらしい。この自信はいったいどこからくるんだろうね?とよくふたりで話すことがある。「私は間違っても人に自分のことをJazzピアニストとは言えない。言うとすれば“I'm studying jazz piano.”だわ。」とマサコ。日本人とアメリカ人の違いなのか、だとすればどういう教育の違いなのか。

またあるとき、一緒に演奏をしたベーシストから「悪いけどポールのドラムでは僕は演奏できない」と泣きが入り、それを知ったポールは「あいつとはもう友達でもなんでもない」と激怒して以来一方的に絶縁したそうだ。
マサコと私に共通する気持ちは「それならば何故もっと努力をしてみんなに欲しがられるようなドラマーになろうとしないのか」だった。

先日のJam Sessionで、今まで我慢してきた私もついにキレた。リズム音痴のドラムと練習するのはまるで地獄。「自分の演奏を見たら少しは反省するかも」とマサコと結託して本人に映像を見せてみた。するとなんと彼は「けっこうイケてるじゃない」とケロリと言ったらしい。最悪のシナリオ・・・。
そしてとうとう「ポールちゃんとはできません。ごめんなさい。音楽以外のお友達でいさせてください」宣言をした。うまい下手の問題よりも、一生懸命練習をしている人たちが努力をしない人によって時間を台無しにされるということに、もう我慢できなくなっていた。私の最期通告のあと、なんとポールちゃんはしばらくハンストでマサコに反抗したらしい。やれやれ・・。哀れ、マサコよ。

普段は人畜無害な人でも、いったん自信満々マンになると手に負えない。アメリカ人にはこういうタイプが本当に多いのだ。
そういえば、Pちゃんを伴侶に選んだ最大のポイントは彼の謙虚さだったことを思い出した。(こっちもtoo muchだが・・)なかなかこのあたりのバランスは難しい。

あれっ?違う話になってもた。

(つづく)
Comments (7)
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