津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

今日の「歴史秘話ヒストリア」

2011-06-08 21:44:38 | 徒然

                     大祝・鶴姫のものと伝えられる胴具足

                   http://www.nhk.or.jp/historia/schedule/index.html

今日の「歴史秘話ヒストリア」は、強く!激しく!美しく!~戦国を生きた女たち~ ガラシャ夫人も登場です。(感想は後ほど・・・)

【巨大な敵に水軍を率いて戦った“瀬戸内のジャンヌ・ダルク”や、女だらけの鉄砲隊、敵の武将を一騎打ちで華麗に倒した女戦士の伝説。関ヶ原前夜、大名の妻・細川ガラシャを襲った「人質」の悲劇。誇りをかけて選んだ道は? 過酷な戦場体験を語り残した少女が明かす、知られざる恐怖の化粧とは? 伝説とロマンを探す旅から、究極の戦場サバイバルまで。激動の運命にりんと立ち向かった、戦国の女の激しくも美しい生き方に迫る。】

  ■大三島・大山祗神社 大祝氏女・鶴姫
       http://www2.harimaya.com/sengoku/html/iyo_syuk.html   
       ja.wikipedia.org/wiki/鶴姫_(大三島)

  ■冨田信高妻       
       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%AB%98       
       宇喜多忠家(ただいえ)の娘。坂崎出羽守(でわのかみ)の妹。慶長5年(1600)関ケ原の戦
       いの際,東軍に属し伊勢(いせ)(三重県)安濃津城をまもる夫が毛利秀元らの攻撃に城外で
       苦戦しているとき,城から打ってでて多数の敵をたおし,夫を城内退却させた。

  ■沼田真田信之室・小松 (本多忠勝女)
       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E4%BF%A1%E4%B9%8B

  ■池田恒興女
       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%81%92%E8%88%88

  ■成田氏・女 甲斐姫・・・・・・・・「のぼうの城」に登場する姫様
       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E6%96%90%E5%A7%AB

  ■木曽義仲室・巴御前
       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4%E5%BE%A1%E5%89%8D

  ■細川忠興室・ガラシャ夫人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%A3

  ■おあむ・・・・・・・おあむ物語
       http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg430.html  
      《「おあん」は尼の敬称江戸前期見聞記。1冊。享保初年(1716)ごろまでに成立か。
       石田三成の家臣山田去暦の娘が、美濃大垣城で見聞した関ヶ原の戦いのようすを、尼になっ
       てから子供たちに語った追憶談の筆録。
      

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「旦夕覺書」 花--18

2011-06-08 08:17:03 | 旦夕覺書

一、東照宮の御詞に乱世に武を嗜は不珍 縦は鼠の人に被捕を苦んて人に喰付か如し 治る世に武道
   を嗜は信の武道を好む人と可謂 司馬法に國大成といへ共戦いを忘るヽ時は危しといへり 太平の時
   も戦を不忘か武道を知る人と仰られると
一、同武士は常に忠義の勤肝要也 心懸能武士は人に負さるものそ 人間生して其様貌四民替る事なし 
   然て共家職の務めに依て其事業替事也 子細は先和歌の道公家脳知るもの 仙法の事を談するは出
   家能知るもの 武儀の道理を知る事は武士に及者なし縦は軍陳において對する人數を以て合戦して
   勝負を決時一方は武士千の人數にて合戦する時は武士必可勝そ 此其家に生れ出るより家職なれば
   武道の勤有故也 扨こそ武士の常に武儀を能勤る者は又武士に勝事必定也 此故に家職能勤る事肝
   要也
一、同世の中に狐つきと云事有 是をかちする事世に多し 唯世の人に人の付と云事あり 是を能禁へき
   事也 倭肝邪欲ある者を寵愛し其人を用る是人に人の付といふ物也 國亡敗る物也
一、同我家に武道不案内なるは大小上下共に不用之凡武道不咾の者は耻を不知耻は虚言多し 虚言
   多き者は必臆病なり 臆病なる者は騙安し 騙安き者はめり安し 如是侍は見方と成て多くは逆心をな
   す 敵と成りては恐るヽに足らず又曰大将は文武一致を知りて軍法の二字に本つき政道を立各家職を
   勤る者を用ゆへき也
一、同大将は人を能見知る事専一也 古今の各将人を能知れり 賢愚倭肝勇臆を見る事其品有といへ
   共先言と行と合と不合との二つにて大形知らるヽ物也
一、同関ヶ原にて九月十五日の朝霧かヽり敵の様子四五間の先も見へす 依之家康公被仰は物見に誰
   か可被遣井伊兵衛・本多中務は先へ参る内藤四郎左衛門は江戸留守に被召置扨は横須賀者に渥
   美源五郎を召て先の様子見せに被遣候處に源五郎二三町程行先の様子見れ共見られさるに付即
  刻立かへり御合戦は御勝利無疑候御旗本を被詰可然と申上る 依之即刻御旗本を御詰被成御合戦
  に勝利得らるヽ也 其後源五郎に間敵の様子を見へさるに何として御合戦御勝とは申そと 間源五郎
  曰関東よるはる/\是迄御出馬有て御合戦ならすして御引取被成場にてなし是非共に御一戦なくて
  は不叶場也 御勝利なれはよし御負の時は家康公も御討死我等も死する程に見そこなひは不入と云
  是心眼を以て見る者也

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
家康公伏見御城下へ御屋敷御座候時五奉行方より逆心可有と風聞之時黒田如水を召此屋敷無用心にても三千人數有之は自然の時三河へ可退との仰也 如水曰敵上の小幡やまより鉄炮二三百挺にて打懸其上火矢を射かけ申さは此所に御座有事難成奉存候向島へ御移可然と申上る 依て向島へ御移り被成則細川忠興・福島正則・加藤左馬之助・森右近此四人を召し宣ふは敵火を懸たらは各は何として馳参るへきやと被仰忠興の曰火懸を見て可参と申さる家康公宣ふは先各々家に火を可被懸子細は小西攝津守初其外奉行中之屋敷各家々の間に入りましり有之上は鍛冶にて驚き妻子を退る仕配にて此方へ之働延引すへきそ其間に向島へ御移り被成其後は東寺へ御引取あるへし 東寺は要害能しまり有る所にて三千の人數にて御籠何の御気遣もなき能地形との御諚也

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